2006年の黄陂南路を初代GRで撮影
初代GRの発売は2005年で、813万画素1/1.8型のCCDだった。フィルム時代のGR1から使っていた私にとってはすんなりと移行でき、常時持ち歩く事が出来るコンパクトで高性能のカメラが販売された事はすごく嬉しかった。画像の良さは今見ても十分使えるレンズ性能には驚く。
2005年当時の上海は、フルサイズの一眼レフやAPSサイズの一眼デジタルカメラを市内で持ち歩くと、相手に警戒されたり撮影を拒否される場合が多く、当時の東方明珠電視塔(上海タワー)の展望台に持ち込めなかったし、浦東空港の税関でも持ち込みが厳しかった時代だった。当時のデジタル一眼レフは高価だったので、まだ一般の人には高嶺の花だった時代。
では、当時どうやって持ち込んだかと言うと、成田発上海行きの最終便(当時18:30発のユナイテッド)に乗ると、こちらの税関を通る時間帯は22時過ぎになる。その頃は税関員もやる気が無いので、ほとんどノーチェックになるのだ。そして、服装やバックも含め自分をカメラマンらしく見せない事が大事。特にバックは絶対に普通のスーツケースにして、いかにもカメラが入ってますよ風なトランクやカメラバックは絶対にダメ。それと、絶対に「FRAGILE」シールをベタベタとトランクに貼ってはダメ。一度だけテンバのバックを持ち込んだ時に荷物検査を受けたが、中から出て来たレンズは全部40年以上前の古い日本製レンズだったので、その時の係官のがっかりした表情は今でもよく覚えている。
その約9年後の現在、中国のプロも一般のカメラユーザーも日本人より高価なカメラやレンズを普通に持ち、世界中を旅する時代になった。では、後の10年後のカメラはどうなっているのか推測してみると、絶対に小型軽量に向かうのは間違いない。日本の一部のプロも気づき始めているのだが、AF性能が良ければミラーレスでも良いと思い始めている人がけっこう増えてきたのだ。大事なのは何を撮るかによって大きく左右されるが、スポーツ撮影以外のカメラマンは小型軽量のミラーレスに変更する人がかなり増えると思っている。私もたまにフルサイズの一眼レフとレンズを使うと、カメラってこんなに重くてデカかったっけと思ってしまう。
今後、プロのカメラマンは写真と同時に動画も要求される時代がすぐそこに来ているしすでに始まっている。しかも少人数でそれをこなさなければならないので、カメラ以外の周辺機器も含め機材の小型軽量は未来のカメラの必須条件だろうな。
☆初代GRで撮影。