海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

自分の身は自分で守る

2024-06-29 | 写真日記

溝の口の駅の花壇で

 

1979年にカメラ助手として、スペインに入国し約2ヶ月間レンタカーで6カ国を周った経験はとても貴重な経験で、それは今も生きている。その2ヶ月間で、国が違えば全ての事をリセットして物事を考えて行動しなければならない事を知った。それは、人種・宗教・歴史・治安など様々な事。その2ヶ月間に経験した最悪な事は、スペインから陸路でポルトガルに入った翌日にレンタカーを壊され4x5のカメラを盗られた事と、その翌日にもレンタカーの窓を割られ軽微な被害を受けた。そんな事が2日続いたので、ポルトガルは危険という事で予定を変更し陸路でポルトガルを脱出。その為に予定にない4カ国を経由し最後はフランスから日本へ帰国。自分が独立してからもロケで様々な国に行ったが、ラッキーが重なり身体を傷つけられるような被害を受けた事は今もない。

前世紀に映像関係者など先輩から叩き込まれたのは、いついかなる時もカメラという高価な物(当時の話)を持ち歩いている事を自覚し、後ろにも目を持てという事。そして、撮影済みのフィルムをいかに安全に日本に持ち帰るかも海外ロケでは最重要課題。また、公共交通機関を利用する場合は、自分の周囲にどんな人がいるのかをさりげなく察知し常に人に背を向けない事で、これは日本で今も私は実践している。そして、海外で最悪な有事に遭遇した場合は、日本ではなくアメリカかフランス領事館を頼れというのが海外在住時の裏鉄則なのは今も変わらないと私は思っている。何事にも腰が引けている日本の役人は、ここ一番で当てにならんという事ね。

今回の蘇州市での日本人親子殺傷事件で、身を挺して犯人を阻止した中国人女性の胡友平さん(54歳)が亡くなったというニュースはとても残念でならない。おそらく彼女の年齢では50歳が定年の世代なので、定年後の職だったかも知れない。中国在住の日系企業や中国在住の日本人は、亡くなった胡友平さんの遺族にお見舞金を送る事が出来るような窓口を作るべきだと思うし、もしそんな信頼出来る窓口があるなら私もスマホ決済で寄付したい。

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中国の子供の登下校は親族の送り迎えが常識

2024-06-27 | 写真日記

潮州のタクシーの中から

 

潮州のタクシーの中から

生徒達が学校の校門の階段で立ち止まっているのは、迎えの身内を待っているためだ。なので、中国では登下校の時に校門の前は大渋滞するのが常。

 

下校時間の上海 校門前にはガードマンが常駐しているのが当たり前

 

私が東京から上海に事務所を移転したのは2003年。その時に近くの小学校を見た時に驚いた事は、幼稚園児や小学生が親族同伴で登下校している事。逆に中国人が日本に来て驚くのは、日本の小学生が一人で学校へ登下校している事と、日本の小学生は自ら給食の配膳や教室の掃除をしている事。また、授業が終わってクラブ活動がある事も驚いたそうだ。

中国は子供が誘拐される事も多く、親は子供から目を離せないほど街歩きでも警戒しているのと、昔は学校を襲撃する切れたオヤジもいて過去悲惨な事件も多かったので、学校の校門前には警棒や刺股を持った警備員が常駐しているのは当たり前の事。ただ、最近は警備が厳重になり防犯カメラなどの影響もあり、ここ数年の上海は空巣もなども含め治安は東京よりずっと良いと私は思っている。日本を海外から見ていると、動機が幼稚過ぎる犯罪が多のはコロナ前の数年前からだと思っているが、最近さらに幼稚過ぎる動機の事件が多過ぎ。

今回の蘇州での日本人親子と中国人を刃物で襲った事件は、私にとっては耳を疑うほど衝撃だった。元々、上海近郊の蘇州・杭州・南京・無錫付近は人民の民度が高い地域。この事件の2週間前に吉林省でアメリカ人講師が4人襲われた事もあり、犯人の動機など詳しい事が中国でも報道されてないが、中国国内があまり良い方向に向いてないので治安が悪くなっているとも取れる。

私は2005年と2012年に2回の反日デモを上海で経験し、当時襲撃を受けた新華路付近の日本料理屋を数件実際に見たが、この時も外国人に刃物を向けるような悲惨な事件は起きてない。また、私が日本人という事で個人的にイヤミを言われたのは21年間住んでいて3回だけで、身体的な実害はまったくない。

日中両国共に現在もビザ免除が解禁されてないが、今回の蘇州の件も含め内外の人種国籍を問わず襲撃事件がさらに起きれば、中国に仕事や観光で行きたいと思う外国人はさらに激減する事は間違いないだろうな。そうなれば、コロナで大打撃を受けている観光業や飲食業なども含め中国経済はさらに大打撃を受ける事になる。

☆今回の蘇州事件とは全く関係ないが、日本のKADOKAWAがサイバー攻撃を受けていまだに解決せず。しかも身代金を払ってしまったという記事。日本の会社はサイバー攻撃に対処する専門部署がどのくらい機能しているのか、その予算がどのくらい割り当てられているのか知らんが、先進国の中でもITセキュリティに関する意識は国も会社も国民も低過ぎ。KADOKAWAの社長って、ドコモでiモードを作った夏野剛というIT先駆者のオッサンだが、皮肉なもんだね世の中は。だいたい、ITに関わる人材は35歳過ぎると時代について行けないと言われている分野だからね。KADOKAWAサイバー攻撃を受け今も復旧せず→コレ  しかもサイバー攻撃を仕掛けた国が今は最悪な国。ただ、KADOKAWAの会長がオリンピック問題で226日勾留された事に対して、日本の検察の捜査手法"人質司法"だと訴えた事も今後見逃せない(文春に記事あり)。これは、軍事転用技術を不正に輸出したとして疑いをかけられ332日間勾留された大川原化工機が争っているのと同じ。

 

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古墳跡で黒猫に

2024-06-25 | GFX+オールドレンズ

GFX50SII+EF50mm f1.4

 

近所の古墳跡を歩いていて、何となく気配を感じて振り向くと黒猫が。この画像は2カット目だが、すでに猫は足を踏ん張り逃げる体勢に。コロナ前の事だが、尾道の墓の横の裏路地で路に迷った時に出会った野良の黒猫は路案内をしてくれた。その後、新宿ゴールデン街の細い路地で黒猫に出会い、今回が野良の黒猫に会ったのは3回目。なぜか上海では黒の野良猫には一度も会ってない。

2023年の事だが、上海には「街猫」というシステムがある。これは、運営者が野良猫専用の小さな家(90x70x50cm)を作りマンションの外など目立たないに場所に設置。その家の中にはライブカメラが設置してあり、街猫の登録者は24時間猫の様子をスマホで動画を観る事が出来る。そして、好きな猫にスマホでお金を支援出来て餌代や去勢の資金などに当てられるシステム。昨年上海で5000以上設置だったので、今はもっと増えているはず。また、昨年の5月に「Bund Art Festival」が開催された時に、すでに再開発で立ち退きが完了している豫園近くの方浜中路で猫の壁面アートが開催された。それくらい上海では猫を愛している人が多いと言える。

☆猫の壁画アート→コレコレ

☆東京都知事選の"NHKから国民を守る党"の下衆ポスター問題。それと以前の"つばさの党"問題など、自由を履き違えているバカな奴らを見ていると、日本が平和ボケしていると言われても仕方ないね。

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路地裏へ

2024-06-23 | GFX+オールドレンズ

 

寺の横の小路

 

こんな路に遭遇すると、ついシャッターを。路を歩いていて、写真を撮りたい時にカメラが無いと後で後悔する事が多い。そんな訳で、外出する時はいつもカメラ同伴。この日は、GFX50SI +EF50mm f1.4の組み合わせ。この付近から65x24フォーマットで東京方面を撮る事が出来るが、それには焦点距離35mmと最新のデジタルレンズが必要なので、天気と季節を待っている。出来れば夏の入道雲を入れたいな。

☆日本の地方から若い女性が都会へ流出し地方は若者の人口減のニュースを観たが、これって当たり前の話。日本は男性と女性の賃金格差も含め、世界的に見ても不平等すぎる。そのニュースだったか特集でのインタビューで若い女性の一言→都会(東京だったかも)が令和だったら、地方は江戸時代だ。ちょっと誇張されているが、私はある意味正しいと思っている。上海では今は女性は50歳定年で男性は60歳定年だが、今後は+5歳になるかもという話を聞いた。まぁ、他国の話なのでどうでも良いが、中国では女性の方が優秀過ぎると私は思っているので、定年年齢を男女逆の方が良いのではないかと今も思っている。

 

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横谷宣写真展 黙想録をgallery bauhausで

2024-06-21 | GFX+オールドレンズ

gallery bauhaus

 

聖橋の歩道をGFX50SIIとNokton Classic 40mm f1.4で

 

御茶ノ水駅から歩いてgallery bauhausへ向かい、横谷宣写真展「黙想録」を。このギャラリーの入口で超有名モノクロプリンターに偶然会った。お茶の水のギャラリーで、10数年ぶりに偶然会うなんて凄い確率。二人でギャラリーを後にした後、御茶ノ水駅付近の喫茶店で一緒に珈琲を。

横谷宣の写真展は、11年前の「森話」以来。そして、今回の展示を見逃すともう二度と観る事が出来ないのは、写真は一点しかプリントされてないからだ。つまり、写真が売れたらその個人の所有物に。という事で写真集も販売中だった。

上海に事務所を移転し一時期ピンホールカメラで上海の街を撮っていた時期があり、その後フィルムが手に入りづらくなりピンホールカメラでの上海撮影は終了。その後、ピンホールカメラで撮影したような雰囲気をCanonのデジカメで再現する為に様々なオールドレンズを試したが、結局FDレンズを使い補正レンズアダプター付きマウントアダプターに行きついた。そんな方法で上海の夜を数年にわたり撮影していた時期があったが、デジカメを富士のミラーレスに変えてやめてしまった。現代のデジカメ用レンズは、シャープ過ぎて私には合わない。仕事の撮影では現代のデジカメ用レンズを使う事もあったが、ここ数年それらレンズはペリカンケースの中で眠っている。

☆横谷宣写真展「黙想録」gallery bauhaus→コレ

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