海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

岡山駅前で

2023-06-15 | 写真日記

バンカラ像は第六高等学校の記念碑

 

高知駅から岡山駅に到着後にバス停へ向かう時、アレ?こんなバンカラの像が昔からあったっけ?と一瞬思ったが、そういえばあったよなと納得。アレ?と思い、後ろを振り向けば桃太郎の像もあった。もう岡山での記憶は薄れつつあるのは、私は18歳までしか岡山で過ごしてないからだ。その後、私は福岡へ3年住み東京へ行き、今は上海がメインの生活が続いている。つまり成人になっての岡山は、ほとんど知らないので、今は外から客観的に岡山という街を見ていると思って良い。という事は、岡山で生まれ岡山に今も住み続けている人とは、岡山の見え方や感じ方が違うのだ。もう、私のそれは異邦人の眼に近いかも知れない。

岡山駅前にある銅像の桃太郎伝説は、今の大人であれば誰でも知っているだろうが、今の子供は桃太郎の昔話を聞かされているのだろうかな?と突然思った。今の子供には桃太郎伝説は、ツッコミどころの多すぎる話。最新のゲームなどに慣れた子供は「桃太郎はよく死ななかったね」なんて思っている子もいるだろう。今も岡山は桃太郎に頼って地元をPRしているが、そろそろ脱却した方が良いし、これは岡山に限った事ではないけどね。

前世紀の話だが、上海人にとっての上海県城(上海発祥の地で倭寇に攻められ城壁に囲まれていた地域)は、地元の人にはあまり行きたく無い場所だったと聞いている。それは、風呂もトイレもない家がほとんどで、1930年代に建てられた家が長屋のように並んでいた街だった。そんな場所を撮る写真家は上海でも稀だった。つまり、外国人と地元の人では街の見え方が大きく違うのだ。私の上海での写真展や写真集で、多くの美術関係者から言われた事は、誰も撮らない街を記録してくれてありがとうだった。そして、撮り始めてから14年後にやっと上海で評価された。上海の記録を保存している国の機関に聞くと、この地域の記録と前世紀末の上海全土の写真記録がほとんど残ってないのだそうだ。(ひとり上海人の有名撮影家「陸元敏」が一番多く上海を撮っている)

☆数日前に私が今住む川崎市で、昼間に強盗事件があった。それを取り押さえたのがインド人で、彼はクリケットをやっていて、ロープ状の物を投げて犯人の体にそれが巻きついて確保。今、手近にある物を使い犯人を取り押さえた判断力と行動力はすごい。確か、渋谷でもナイフを使い襲われている人を助けたのもアジア系外国人。何事にも戦うんだよ、外国人の男は。一方の中国では、女が戦う場面を何度も見た事がある。先月だったか、おっさんが大きなハサミを持って女性に馬乗りになり襲っていたのを助けたのは、現場付近にいたおばさんだった。彼女は、最初にハサミを取り上げようとしたが失敗。その後、近くにあった工事用のシャベルで後方から男の頭をゴン、その後に警察が確保。

画像のバンカラニーチャンが闊歩していた時代は、きっと日本も戦う男も多かっただろうな。草ばっかり食ってんじゃねーよ、日本の若い男は。

コメント
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