昨晩、東北への視察から帰ってきました。
向こうではレンタカーを借りて移動したのですが、
3日間での総走行距離は約610km。
一緒に行かせてもらった木村議員が以前にも視察されていたこともあり、
特に被害が大きかったと思われる沿岸地域を中心に、
効率よく色々な場所を見て回ることができ、
また、色々な話を聞くことも出来ました。
沿岸を中心に津波による甚大な被害の爪あとが、
今なお、残っていることは言うまでもありません。
建物の基礎が残っていることから、その場所に、
以前は多くの方々が住んでおられたことは分かっても、
正直なところ、元々の姿さえ、想像できないところも、
たくさんたくさん、ありました。
復興に向けた努力を、皆が協力して、やり遂げねばならない。
それは、疑いようもない事実だと、改めて、実感しました。
一方で、現地とこちらとの奇妙なほどの温度差も感じました。
西宮市においては、瓦礫の受入が大きな問題となっています。
だから、振り返ってみると、視察に行く前は、
私の今回の視察での問題意識も、
その是非に関わる材料となる部分に集中していたように思います。
でも、現地でお話してみると、そこらへん、
なんだか、ずいぶんと意識が違うように感じました。
あくまで、私が見聞きした内容と、私の感覚に基づく意見でしか
ありませんが。
今回、甚大な被害にあった地域が、復興するために最も重要なのは、
瓦礫の処理ではないように思いました。
多分、それは、元々、そこで暮らしていらっしゃった方々が、
今一度、そこで暮らすことができる場つくりだと思います。
それは、水産加工場やら、製氷工場やらも含めた働く場つくりであり、
高台に移設された住宅の整備であり。
瓦礫の山が、たくさん存在することは事実です。
でも、その多くは、人が暮らす場所とは遠く離れたところに
置かれ、処理されています。
いみじくも視察先でお話しする機会を持つことが出来た、
某自治体の職員さんが仰った
「そもそも、津波に流されて発生した瓦礫を、
津波に流されてしまった地域に集めてるんですよ。
よそのことは分かりませんが、
あんまり、居住地の近くに瓦礫があるってのはないんじゃないですか。」
という話に、瓦礫の集積場所の話は集約されているように思います。
もちろん、これが早くになくなったほうが、より好ましいというのは
そうだと思います。
けれども、
「この瓦礫の存在が現地の復興の大きな足かせになっている!」
という論調は、少し事実とは異なるようにも思うのです。
あるいは、広域処理のためにかかる莫大な費用を、
もっと、本当に必要とされていることに向けるべきではないのか、とも。
復旧・復興のために必要なことは、いくらでもあるのだと思います。
でも、その中で優先順位付けせざるを得ない部分があるというのも
紛れもない事実だと思うのです。
いろいろと考えを整理せねばならん。
あらためて、強く、そう感じました、ということをご報告して、
本日は、これにて失礼いたします。