青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

柔道の心

2022年03月16日 | 国際

プーチンは、柔道をしている。

だがプーチンは、柔道の心を知らない。分かっていない。

だからウグライアに軍事侵攻したりするような愚か者になっている。


戦争難民

2022年03月15日 | 国際
ロシア軍かウグライアに軍事侵攻した結果、300万人近い戦争難民が周辺国に逃れている。だがロシア軍は、攻撃を止めない。
ならば国連軍、NATO軍など連合軍を持って、ロシア領土を攻略すればいい。これによってロシア民間人の難民が出ても、周辺国は敵国ばかりだから、袋のネズミになる。そうするとプーチンは、狂人だから核をちらつかせようが、核を使えば四方八方からの波状核攻撃を受けるし、核のボタンを押す者は、ボタンを押せば家族も知人もみな犠牲になる覚悟で押せるだろうか。
人類の平和を成すためには、人類は命懸けにならなければならない。核も兵器も弾薬も、これらはみんな必要悪である。対して覇権のため隣国を侵略する行為は、狂人であり、プーチンがそのものである。
死刑廃止というが、悲惨な犯罪を阻止するには、死刑制度は必要悪となる。
必要悪を駆使して、戦争難民が出ないようにして行くべき事だ。

国連義勇軍

2022年03月14日 | 国際
ロシア軍がウグライアに軍事侵攻したが、国際社会は外部でワイワイ騒いでいる。歌謡ショーやコンサート、スポーツや金融制裁、経済制裁や物資援助はしていても、直接介入は、世界大戦を危惧して及び腰になっている。そのためにウグライアでは被害が増大している。
今の私は、高齢者だし車椅子生活者なので身動きできないが、若く元気だったなら、国連義勇軍、国連軍、国連特攻軍の一員として戦闘に参加したいものだ。
ただし、出兵先は、ウグライアではない。ウグライアでロシア軍と戦闘すると、民間人にも被害を及ぼす。故に出兵先はロシア本国である。
ロシアの発電施設、パイプライン、鉄道網を攻略する。これらは航空機や戦車などの燃料輸送を断ち切り、補給を断ち切るためにする。
こうなるとロシアは服背に向けて戦わなければならず、立場は逆転していくだろう。

中国外相が「国際法に合致」と海警法を正当化ウイグル弾圧批判には「デマ」と猛反発

2021年03月08日 | 国際


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/sankei-wor2103070020

なんとも無教養な人だ事。

「国防」とは、そもそみ「国亡」の事だ。そうやって、国を亡ぼすことに齷齪しているがよい。

 


「『徴用』めぐる問題は韓国側が解決策を」安倍首相会見

2019年12月24日 | 国際

★ 解決策 韓国側に 任せとき
    桜見る会の 責任はやらず       2019/12/24

★ いつもながら 何ても解決は 人任せ
    自分事も 自分でできぬとは      2019/12/24


首相、1カ月に2閣僚辞任で陳謝予算委「任命責任を痛感」

2019年11月06日 | 国際
止めも
★ 当選せば 全権得たと 自惚れる
    任命も解任も 国民が持つ法       2019/11/6

★ 法は知らず 政治の務めも 知らずして
    浅知恵振るう 政界雀          2019/11/6

★ 本気持ち 首里城復興 誓うなら
    辺野古建設 完全中止し         2019/11/6


口がどんどん「への字」に……小泉進次郎環境相の就任記者会見で気になった仕草とは

2019年09月14日 | 国際
★ 釈尊も 親鸞聖人も 言っている
    言葉多くには 災いの元が      2019/9/14
 
★ 言葉には 心の端も 込められず
    自己の姿のみ 有りのまま出て    2019/9/14
 
 

存在かすむ自民・石破氏「戦争責任」ブログも波紋石破派が夏季研修会

2019年09月02日 | 国際
石破茂氏のブログを読んだが、そこには人間性が込められていない。
我々人間が生きていく上で大切なことは、政治的な心情であってはならない。「人間として生きていく道」「いかに生きるか」にある。そこには欲得が入り込まないし、入り込ませてはならないものである。
石破氏が軍隊化に取り組むべきだとしているが。今言った「人間として生る道」と「いかに生きるか」においては、軍隊的なものを必要としている。しかしそれは、普通一般的に言えるものとは異なる。
一般的に言える軍隊には、過酷な中の規律と忍耐しかない。
だが「人間として生きる、いかに生きる」ことの上には、「実直誠実さ」も併せ持つ。この「実直誠実さ」が、「人間として生きる道、いかに生きるか」を左右している。
今日の教育には、過酷な中での規律と忍耐は、実績を挙げられることが取り上げられている。「スポーツ」や「学力」にてである。
だがそれは競争社会を生み出し、格差社会化させていく。
それは「実直誠実」さが伴っていないことにある。それと言うのも「規律や忍耐」は肉体的なことだからだ。「知識」や「演技力」にしても、肉体的でしかなく、「実直誠実」とする「精神的」さを伴っていない。
「精神性」を伴っていないから、どんなに力をつけていても犯罪を犯したりする。
これは「軍隊化」しても同じになる。
ではどうすればいいかというと、「実直誠実」な精神を育てる場が必要になる。その「場」とは、宗教修業の場である。