クラスター爆弾全面禁止合意 専守防衛に空白(産経新聞) - goo ニュース
いくら旧型クラスター爆弾を破棄し、新型弾に切り替えても、防衛とはならない。
忍び寄る原油高騰、物価高、高齢少子化社会などに、武器弾薬が何の役にも立っていない現実に目覚める必要がある。
福祉や教育などには「金がない」と言いながら、そんな新型クラスター爆弾を多数保有するために多額の予算をつぎ込むなら、それを福祉や教育、物価安定の方などに回して欲しいものだ。
その方が、よっぽど「防衛」になる。
クラスター爆弾全面禁止合意 専守防衛に空白(産経新聞) - goo ニュース
いくら旧型クラスター爆弾を破棄し、新型弾に切り替えても、防衛とはならない。
忍び寄る原油高騰、物価高、高齢少子化社会などに、武器弾薬が何の役にも立っていない現実に目覚める必要がある。
福祉や教育などには「金がない」と言いながら、そんな新型クラスター爆弾を多数保有するために多額の予算をつぎ込むなら、それを福祉や教育、物価安定の方などに回して欲しいものだ。
その方が、よっぽど「防衛」になる。
私達の国民生活の源となる政治政策は、簡単に言うと官僚が立案し、それを国民が選挙で選んだ議員が議決し、そして首長により施工命令が出されて官僚が実行に移しているといえるだろう。
この施工実行は、タダでは出来ない。私達国民が納めた、税金によって賄われている。しかしこの税金を管理し、出納するのは、官僚や議員や首長であって、我々国民は蚊帳の外に追いやられている。
このために官僚や議員や首長らによる贈収賄と言うようなことに止まらず、血税を私したような事件が相次ぐことになっている。
それはもう、枚挙に暇があるまい。そして彼らは、こう釈明する。
「法にのっとって処理している」
とーーーーーーーーーーー。
「法にのっとって・・・・」と言っても、それは彼らが、彼らの特権によって、彼らの都合の良いように仕上げられている。
一方では、国民に対しては律しることを求め、絞め付けが強化されている。自分に甘くて、国家の主人公には手厳しいのである。
それはまるで、猫に鰹節を与えてしまったに等しい。
それは血税の管理、出納管理だけではなく、法と言うものの施工管理も、正しく施工されたか管理する機能までが国民には任されてはいない。
もちろんオンブズマン団体があるが、彼らの権限はやはり官僚や議員が作成し議決したものによって制約され、枠をはめられた内でしか活動が許されない。
いわば議会制民主主義には、国民を外に置くための主義であり、税金などをどのように処理しようが意のままになると言う論理がまかり通ると言う、「猫に鰹節」を与えたような有様になっている。
我々国民には、納税者として、納税した税金の使途を正確に監視する義務があるはずだ。
官僚や議院や首長ばかりに任せておくべきではあるまい。
人とは悲しくも弱いもので、運命を知りたがる。それで占いとか運勢とか家相などの易相等に関心を持つことになる。この延長に、霊や魂がある。
霊や魂は、存在するとも、存在しないとも言わなければならない。存在すると言う人も、それを取り出して「これが霊であり魂だ」と証拠出来るならともかく、それらは何かの痕跡みたいなもので実証されたものではない。本人がそう思っているだけのものでしかないのだろう。
それにも増して気を付けなければならないことは、この霊にせよ魂にせよ、それは過去のものであると言うことである。過去のものの一を取り出して、何やかやと言っているに過ぎない。即ち、人の進化の一過程である。
我々にとって必要なのは、過去があったという事実は曲げられないが、その過去にあった逆境についてではなく、その逆境をどう乗り越えてきたかと言うことが大切なのである。
今の霊と魂の存在は、こうした過去にあった幾多の逆境を乗り越えてきたものとして受け取るならば、霊と魂の意義を持つ。
一院制議連が発足 「ねじれ」追い風、参院からは逆風(産経新聞) - goo ニュース
一方の議院の選挙によってねじれ国会が生じたら、他方の議院を解散し選挙すればよい。
そうして民意を問うことによって、二院制の効果が存在する。
一院制にすると抑制が効かないが、二院制にはこうした効果があると思う。
だがしかし、現在の議院構成には、疑問を感じる。特色がなく、同じみたいだからである。
故に参院は、タレントなどが選ばれるのではなく、何かの道に秀でた人が選ばれる議院になったものになって欲しいと思う。
伊達に国権の最高機関として、議院が国民の期待に答えないままでいるべきではない。
私は週に三回、ディサービスに通っている。
そのディサービスセンターのヘルパーさんから、丁度一月前に「ビーズ張りをしませんか?」と勧められた。
このビーズ張りとは、十色位の直径五ミリ程のビーズ球を縦70、横90この合計630個を並べていくもので、細かい作業である。それは丁度ジグソウパズルの様でもあるし、山下清氏のちぎり絵の貼り付けにも似ていて、ビーズ球の色の置き場所が正確でないと、全体の図柄がおかしくなってしまう。
私達の人生というのも、このようなものなのかもしれない。
まっさらな基板に、山を超え谷を超え川を渡り、曲がりくねった道を行き迷い、寄り道をし、時には笑い、悲しみ苦しみ、泣き、そんな絵模様を描いてゆく。
そうして描いた絵模様を修正したりして、一つの人生図絵を仕上げていく。
そして出来上がったビーズ張りが、こんな図柄です。