青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

英知の危うさ

2009年11月28日 | 短歌に政治や社会
ノーベル賞受賞者6人、首相に削減見直しを直談判(読売新聞) - goo ニュース

来年度予算編成のために、これまでの事業仕分けのやり方を改める作業が行われた。
だがしかし、やはりこれまでと同じような、これまでみたいな、「あれも欲しい、これも欲しい」と取り合いになっている。
このように「取り合いする」とはいっても、864兆円もの借金があるという現実をどうするかということは構わず、「くれ、くれ」と言うばかりだ。
こうしたことも、「ノーベル賞受賞者」など教養英知あるといわれる人達までもが、この世の実体というものに気付かず、何故このように「くれくれ」と言うのだろう。

この世の実体は、「二面性」を持つ。
たとえば「新型万能細胞」を開発しても、その万能性は、一瞬にして全ての細胞を死滅させる万能細胞を出現させる危険があるという別の面を持っている。
スーパーコンピューターにしても、絶対完全なスパコンは、完成しない。
膨大な情報を扱うようなスパコンになればなるほど「バグ」、不具合が付きまとう。これはこれまでにも、銀行の「ATM」や「鉄道、航空機」などの交通機関などでよく不具合が出て混乱している。
さらにコンピューターの場合、ウイルスに犯される。
このウイルスは、現在は人的なものだが、スパコンになれば、スパコン自体がウイルスを発しかねない事態にならないとも限らない。
それは、ペニシリンの発見によって病原菌の治療に貢献できたが、それもつかの間耐性菌が出現してきたのに似ている。

我々人間が英知によって求める「万能」は、自分勝手な完全であり、絶対完全ではない。必ず「相対する完全」が付きまとうと言うことを、忘れてはならない。
人間が持つ「賢さ、英知」などは、危うい。
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短歌 69、

2009年11月27日 | 短歌に政治や社会

            後わずか 師走迎える 小和日に
    青空を背に 紅葉燃ゆ山
        
2009/11/27

ディサービスセンター向かいの、小山。


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人生も代理が出来るか  ?

2009年11月26日 | 短歌に政治や社会
「子持つ道閉ざさないで」代理出産の母と娘、心境語る(読売新聞) - goo ニュース

今は、何でも人任せにしようとする。
食事でも、外食だけでなく、調理済み食品や、そうした調理済み食品を配達する業務もあるし、掃除請負、物置請負、これは和服などを預かり管理する業務だそうで、自宅でタンスに入れておかなくてもいいという。
これらも一種の「代理」になる。
それに「臓器移植」も、これも代理に当てはまる。
最近は自宅で老後を看取られずに、代理介護としての老人ホームが増えているし、それを好い事に「介護前離婚」ということも流行している。

なんだかこうなると、「人生代理」ということも、できるようになるのかもしれない。
「代理母出産」などが行われる現実を見ると、こんな変なことを、思ったりする。
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作詞 36、

2009年11月26日 | 作詞

一つ二つと数えてみたら   2009/11/26


笑顔を 一つ二つと数えてみたら
まぶしい 輝きに
泣き虫さんは頬笑んで 怒りん坊も頬笑んだ
明るい 朝日の光の中に
 嬉しい笑顔を 見せていた
今日も両手の中に 命の心を受け止めたい


やさしさを 一つ二つと数えてみたら
いっぱいの 花びらに
悔しささえもやさしく うらやましさもやさしく
楽しい野原の 花園に
優しい笑顔を 見せていた
今日も両手の中に 命の心を受け止めたい


楽しさを 一つ二つと数えてみたら
口ずさむ 唇に
悲しみも楽しく 涙の跡も楽しく
楽しい歌声の 後に
嬉しい笑顔を 見せていた
今日も両手の中に 命の心を受け止めたい


笑顔を やさしさを 楽しさを
一つ二つと数えてみたら
ここは故里 母なる星
みんな助け合い 励まし合いして
いつも笑顔で やさしさあふれる
素晴らしき住処は 我らが地球

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我が行いは・・・・・

2009年11月25日 | 人生設計

行きつけの所で、こんなものを見た。
女性週刊誌、「週間セブンか、週間女性」だったかに載っていたが、最近は「介護前離婚」というのが多いそうだ。

この「介護前離婚」というのは、舅や姑を介護しないでおきたいために、認知症などのような介護状態にならない前に離婚してしまうのだそうだ。
それは「自分だけが幸せになりたい」がための、言い換えると「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」に過ごしたいためのものである。

しかしこの世は、そのように上手くはならない。
「自分だけが幸せ」になろうとしても、「自分だけが豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」に過ごそうとしても、そうした「求める」というものは永遠なものでも、永続するものでもない。必ず「枯れる」という終わりがある。
人には「病気、事故、老い」というものがあり、そういう事になれば、求めるものも求め続けていけなくなる。
「求める」どころか、「世話を受ける」という、介護される身となる。

となると、「求める」上においては、「与える」という行為が必要になる。
それは、泉も汲み上げるばかりでは枯れてしまうため、注ぐという行いをこそ、必要になってくる。

私たちはよく言われるのだが、「行儀を良くしなさい」と言われる。
殊に食事中の行儀に対して、学校などでもよく注意されている。
ところが、家庭での親が行儀が悪いと、効果が上がらない。
その上に、親の「暴飲暴食、好き嫌い、食べ残し」等が、子供に多大な影響を及ぼしている。
親にしてみれば「どのように食べようと勝手」とか言う気かもしれないが、「食事をする」という行いが、家庭、家族、国家、人類、自然、宇宙全体の食生活に関わることだという気概を持たないことには、生命あるものとしての有り様を問われてしまう。

「我が行い」という、たった一つの「個人の行い」も、これ程の大きな意味を持つ。

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短歌 68、

2009年11月24日 | 短歌に政治や社会

            頼る辺は 家族より他に 何処にある
      浮世を荒む 風の冷たさ



「俺が、私が」とお互いに言い合っているけれども、世の中や生きることはそんな甘いものではなく、「さぁ、いざ」と言う場合には、最も拠る辺とすべきは「家族や肉親」だろう。であるなら、お互いが助け合い、慰めあいして、和やかに過ごしていくべき・・・・・

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短歌 67、

2009年11月23日 | 短歌に政治や社会

★ 西日受け 山は緑に 空青く
     人世迷えど 冬は近くに
         
2009/11/23

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行儀の悪さ  2

2009年11月22日 | 短歌に政治や社会
今夕六時ごろ、だった。
テレビに眼を向けたら、こんな宣伝、コマーシャルの場面が眼についた。

道路の端の駐車スペースに、軽自動車が駐車しようとしている。
ところがこの軽自動車、何と普通に横付けに駐車しないで、縦に駐車している。
そこへもってきて、開いたスペースに、テーブルを置いて食事なんかしようとしている。
なんとも、行儀の悪さといったらない。
こういう映像を流して、売り上げに利益を上げようとしている。

こういう駐車の仕方は、道路交通法に違反すると思うし、いわんや道路上を独り占めに占有してテーブルを広げたりするのも、法規に違反しているだろう。
違反切符は、こういう映像を公開するくらいだから、何十万点も減点する必要がある。
しかし警察も、公安委員会も、かつ又こういう映像を全国に映し出しているくらいだから、マスメディアまでもがダンマリ・・・・・

これでは、飲酒運転やら速度違反、信号無視や無免許運転が根絶することはなさそう。
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行儀の悪さ

2009年11月20日 | 短歌に政治や社会
今日の、午後五時ごろのことである。
ふとテレビに眼が行ったら、こんな場面が眼に入った。

若い女性が、である。
裸で、バスタオルを巻いたまま、テーブルに向かって座り。何か食べている。
それが何かの宣伝、コマーシャルだったようで、そこで終わってしまったが、こういう行儀の悪い場面を堂々と映像として流し、それで売り上げを伸ばそうというものらしいから、この国の文化度というものが知らされる。

文部科学省やPTA、教育関係者ばかりでなく、マスコミメディアまでもが、だんまりになっている。
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続  、敬愛無くば

2009年11月19日 | 人生設計
我々は、「民主主義」を、主義主張するものと思っている。そしてそれを、「権利」として持っていると思っている。
「誰に対してか」・・・・・・
それは、同じ人間に対してしか行っていないが、「真の民主主義」は、普遍性を持つ。

前述したように、「民主主義」において大切なことは「思いやり」ともいうべき「敬愛し合う」事である。
これは、「相手への働きかけ」と同時に、「こちらの受け止め方」でもある。即ち「能動性と受動性」を、併せ持たなければならない。

私が住んでする所は地方の町だが、町外には田野が、ちょっと先には山間が広がっている。
こうした自然環境豊かな地方でも、様子が変わってきた。
夏にはもう、蛍が見られない。
秋にも、赤とんぼ(アキアカネ)の乱舞する群れも見られないし、スズメの姿さえ少なくなった。ただカラスばかりが、異常に目立つ。

「蛍」も「赤とんぼ」も「スズメ」も、思い切り自然の中で乱舞したかっただろう。
だが我々人間の「豊かになり、楽しく、楽(快適)」になろうとすることにより、人間ばかりがコンサートやスポーツや芸能ごとやイベントなどで群れて、乱獲されるやら淘汰されて、次々と消え失せていく。
かっての花形スポーツ選手や俳優が亡くなったというので、大勢の忌門者が並び忍ぶのに控え、「蛍、赤とんぼ、スズメ」がいなくなっても、平気の平左な顔をしている。
それは、今の人間は自然に対してさえも、「敬愛」の念を持たなくなったからともいえる。

我々人間が、「敬愛の念」を持って、自然への「民主主義」の思いを掛けるのは、いつの日になることか・・・・・
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