ちょっとテレビを見ていたら、こんな番組の放送案内が出ていた。
「わが子の顔写真を修整して、願書に張り付ける」
なんや、こりゃーーーーー。
まるで捏造奨励のような番組を、放送するということか。
こんなふうに、国民の財産である電波を、落札してものにしたからといってこんな番組を放送するなどとは、放送論理審議会とか言うものは、何しているんだろう。
これでは青少年に弊害ばかり及ぼす、はずだ。
「命の尊厳」は、願いを持っている。
望みも、持っている
それはまた「心の尊厳も精神の尊厳」もであり、また「自然の尊厳」もである。
では「命の尊厳、心の尊厳や精神の尊厳、自然の尊厳」は、どんな願いや望みを持っているのかと言うと、我々人間が持っている「欲望」を、「無くしてくれよ」という願いと望みを持っている。
我々人間は、元々こんな「欲望」を持たずに生まれてきた。
そしてこの「欲望」を背負わないままに、この世を去っていく。
だとしたら、「欲望」というものは、ほんの一時的に、我々の心や精神に宿っているものに過ぎない。
こうした「本の一時的に宿る」ものに右往左往しているのでは、折角持っている「命の尊厳、心の尊厳と精神の尊厳、自然の尊厳」に対して、恥ずかしい事ではないか。
野党の参院対応「やり過ぎ」=橋下氏(時事通信) - goo ニュース
この人も、野田首相も、輿石幹事長も、安部自民党総裁も、みんながみんなやり過ぎていて、国民の幸せはそっち除け。
みんな鼻たれ小僧じみた事ばかり言っている。
これが日本という国の、姿なのであります。
山中教授ら文化勲章、文化功労者に宮崎駿さんら(読売新聞) - goo ニュース
一方では、こういう人たちを基礎になって支えようとして・・・・・・・・・・
高知の生き埋め事故、作業員2人の死亡を確認
この人たちには、何の名誉さも与えられない。
無駄死もいいところにさえ、追い込んでいる。
こんな「文化勲章」を受賞できるものが、真に名誉なことなのだろうか。
仕事が無くハローワークに通う人たち、過疎地の老人たち、貧困者たちなどを尻目に、なんとも晴れがましがっている。
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所信拒否の野党批判=輿石氏
時事通信 10月28日(日)13時53分配信
民主党の輿石東幹事長は28日、野党が参院で野田佳彦首相の所信表明演説の聴取を拒否するとしていることについて、「憲政史上なかったことと言われている。所信表明は首相がこれからどうするということを発信するものだから、きちんと聞いてもらいたい」と述べ、野党の対応を厳しく批判した。福井市内で記者団に語った。
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こんなこと言っているが、参院で「首相問責決議案」が可決されたという事実をキチン」と聞いていなかったことにある。
輿石という幹事長、ドツンボやな。
ips細胞の発見などにより、医科学技術は発展している。
だがそれに伴って「負」の面も際立ってくる。少子高齢化社会の進行である。
病気の治療技術が発展するに従い、こうして高齢化が進んでいくと、この高齢者を介護しなければならないために、子供を産んで育てる環境も、その気持ちも希薄になっていく。
その傍ら、青少年は「スポーツ、芸能」事等に熱を上げ、それが「命の尊厳」を持つ者の特権などと勘違いしている。「豊かに、楽しみ、楽(快適、便利)」な生き方が、命を与えられたものとしての価値としか見ていない。
そして過疎地に高齢者を置いてきぼりにして、快楽を謳歌しようとしてのめり込んでいる。
我々が言うところの「命の尊厳」とは、結局のところ「心の尊厳と精神の尊厳」を持たない、言って見れば無機質なものでしかない。
週刊誌などには、「性体験、不倫や浮気法」といったものまで記事にされている。
人間としての「心の尊厳や精神の尊厳」を離れて、欲情や欲望のままで生きていくことが、「命の尊厳」としていていい訳がない。
こうした「心の尊厳と精神の尊厳」に培われた「命の尊厳」が育たないから、「悲惨な犯罪事件、いじめ、虐待、争い」が後を絶たない。
「尊厳」とは一般に、「命の尊厳」という風に使われる。
そしてこの「命の尊厳」ということは、別な言い方をすると「人権」となる。「基本的人権」のことだ。
だが我々は、この「尊厳、人権」を、可笑しな事にしている。
象は、自分の寿命を悟といわれる。象は自分の死期が近いのを知ると、ひとり群から離れて象の墓場といわれる、そこへ行く。そして倒れて、生涯を終える。
これは確かなこととは言えないというが、この墓場といわれる所に、何体もの骨格や象牙が重なり合っているということだから、無視する訳には行かないことになる。
他方、我々人間は、病気になったりすると、薬石を投じてもらって治療してもらおうとする。これが難病になると手術となり、更には臓器移植となり、そしてそうしていて寝たきりになっても、何本もの管を付けられるやら電極を付けられるやら、食事の代わりにと腹部に穴を開けてする胃瘻で命を長らえていく。
しかしこの状態になっているものの多くは、認知症か意識がない状態にある。
このままの状態に、果たして「命の尊厳」があるかどうか、問いかけなければならなくなる。
我々は、象のように自らの寿命、それは限界とも、ここまでの結末の人生とも受け止めるという、諦めも必要になるのではないだろうか。
ただ単に何としても命を永らえている事だけに、「命の尊厳」があるとは言えないと思う。
そしてこのような命題を出すのは、「命の尊厳」には、「心の尊厳、精神の尊厳」とが関わり合っていると見なしたいのである。
たとえば厳罰を受けるような犯罪を犯し死刑を宣告された者に対して、「命の尊厳」とか「基本的人権」から死刑停止を受けさせようとしても、その者に「心の尊厳と精神の尊厳」が無いなら、「生命の尊厳」そのものが腰砕けになる。
又「命の尊厳」は、「心の尊厳と精神の尊厳」だけでなく、「自然の尊厳」も無視すべきではない。
これは「三権分立、国家と政府と国民」というように、単に一つのものを尊厳化し尊重するのは、自然の摂理から離れたものになる。
「命の尊厳、心の尊厳と精神の尊厳、自然の尊厳」に心寄せるなら、それは信仰の道、即ち宗教に入り込むことになる。
谷垣氏「武装解除、解散時期言って」8月に発言(読売新聞) - goo ニュース
今日の人間社会は、「自らのことは、棚に上げ」すれば、それで事がうまくいくと思うものが多い。
そんな身勝手で、自分の都合の良いように物事が運ぶなら、国民としては「消費税増税、電気料金値上げ、生活必需品値上げ」を止めてもらいたい。
こういう事は棚上げにして、自分の都合に沿えといっいても、お断りする。
放射性物質、4原発で30キロ圏外への拡散予測(読売新聞) - goo ニュース
こんな予測に一生懸命になったとて、無駄なことだ。
何故なら、こんな予測をしなければならないのは、原発があるからであり、原発がなければ、全く必要がない。
こんな予測をしている暇がったら、全ての原発を廃炉にしたほうが、てっとり早いし、後の憂いもなくなる。