電気料金「安過ぎた」=原発ゼロで上昇へ―枝野経産相(時事通信) - goo ニュース
「作った」ら、それが故障したり破損したりすることを肝に銘じて、それにいつでも対処しておく事は、当たり前のことだ。
それが東電など、電力会社が備えておくべきことだ。
よくある「自動車のリコール」など、そうしておかなければならない。
それを何にも知らないものが、馬鹿みたいな事を言っている。
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何の事はない。
「私は無能でございます」といって、告白しているようなもの。
経営者としての「先見の明」が、空っぽという事。
「知恵」というもの、それは「思い」となるものであるが、この「思い」は、我々人間はどのような「思い」でも持つ事ができる。それはどこまでも果てしなく広く、大きく、かつ深い。
そうした果てしなく広く、大きく、かつ深い中に、我々人間の、いや人間ばかりでなく全ての生命に、更に無機質といわれる物質や水、空気などの中にも、たった1つの心としてあるものが「智慧」である。
この「智慧」は、前述したように普遍性を持ち、それでありながら「自然の心」の中でも述べたような「心身一元論」ともなっている。
ややこしい話だが、「たった一つが普遍的」大きさと、広さと、深さを持っているという事を意味している。
例えて言う事にするならば、自分の「思い」による「行い」が、全ての人々や全自然にも通じていくようなものでなければならないという事である。
単なる「自己心、利己的、身勝手、自分さえ良ければいい」という、小さいものではない。
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まるで自分は「絶対神」みたいな事を、今の政治家どもは言ってのける。
「完全」とか「絶対」なんていうのは、神や仏にさえもいえないものだ。
それを小賢しく、大風呂敷を広げて言うのだから、とてもじゃないが「次元の違う」世界の生き物らしい。
我々人間は、他の生命体とは異なり「知恵」を持っている。
この「知恵」の正体は何かというと、「思い」である。
「「思い」とはどういうものかというと、「どうしたい、どうする」といったものである。この「どうする、どうしたい」という「思い」が、「言葉」によってはっきりとした「思い」になってくる。そしてこの「言葉」によって思いとなってくると、「好ましい、好ましくない」という「感情」となる。
これが「喜怒哀楽」となる。
そしてこの「喜怒哀楽」を解決するための方法いを思うということから、「知恵」が形成されていっている。
しかしこうした「喜怒哀楽」を解決しようとするための「知恵」というものは、更なる「喜怒哀楽」を増幅させていくという循環性を持っている。
今の我々は、こうした「喜怒哀楽」は、「自己心」から起きてくる。いわゆる「利己的」になる。
この「自己心、利己的」になるのは、そもそもが「どうする、どうしたい」ということから、「好ましい、好ましくない」というところから発している。
言い換えてみると、この「どうする、どうしたい」、「好ましい、好ましくない」というものが思いとして現われる時、こういう「自己心、利己的」になってしまっている。
「知恵」というものは、本来の物としては「普遍性」を持っているものではならない。「どうする、どうしたい」とか、「好ましい、好ましくない」という偏ったものではない。どちらにも隔たらない、普遍的なものが「智慧」なのである。
この「智慧の心」によって、我々の生きて行ける世界を構成する「素粒子の心」ともなり、それは「自発的対称性の破れ」などという。