青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

掲示板 六、

2009年08月31日 | 人生設計
>バランスで成り立ってるかを観ること。

<>>通じるのは、どう心をこめるか、それ次第だろう。

学問、知識,教養がらみのこころでは通じない。
どのこころだろうか。

世界はバランスだと思う。
いかに<

とか、

>>なぜバランスが存在するのですか?
バランスは完全ですか?
自然そのものが定期的にバランスを掻き回すのは何故ですか?
巨大隕石は何故恐竜を滅ぼしたのでしょうか?

バランスとは
結果、ないし状態であって
根拠や依拠ではないでしょう

<<

あるいは、

>バランスは完全ですか?


バランスとは、つねにアンバランスを修正しようとするハタラキ。
その意味では完全。
どういうわけかしらないが、ユラギがあるんだという。

ま、これも一面をみての見解。

<<

この自分さえ自然のはずだ

自分の中の自然に語らせ、他人の中の自然に
訴えるということはできそうだ

<<

とこういわれるのは何故かと言うと、この世は「未完成」であることにある。完全でない、ということだ。
しかし完成し完全になると、静止してしまう。時間も無くなる。成長も、止まる。
だが我々がいる世界は、その世界を構成する最小単位の素粒子自体が、静止していない。静止しておらず動き、揺らいでいるがために、他の素粒子を意識する。意識すると、反応を起こす。反応を起こせば、時間と空間が発生する。時間と空間とが発生すれば、完成に向けて動き出す。
この過程は一様にはいがず、まだらになる。濃淡でき、大小や深浅などが現れ、しかし未完成のため、成長は途中で成熟してしまい、それからあとは退化をたどる。
このまだらや濃淡、大小、深浅などの偏りに偏らないようにバランスを取る。
こうして行って、完成の完全化に向かおうとしている。

しかし未完全であるため、そこに存在するもの全ての上には、必ず終末が与えられる。
それもまた、バランスを取るために必要不可欠な行いとしてある。
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掲示板 五、

2009年08月30日 | 人生設計
1、

私が生きたい世界は、「土に生き、水に生き、森に生きる」様な生き方です。

「評価に、数値に、単位」に囚われて生きることではない。

「評価、数値、単位」とかに囚われるなら、批評、批判があるけれども、「土に生き、水に生き、森に生きる」ことには、ただ流れの中に素直に生きるしかない。

2、

>つまり

>「評価、数値、単位」とかに囚われるなら、批評、批判があるけれども、
>「土に生き、水に生き、森に生きる」ことには、ただ流れの中に素直に生きるしかない。

全てとの共生と言う意味ですね。。。


我々人間は、自然の中に、自然の摂理の中に生きるのが本来の姿なのであって、「批評、批判」に満ちた、「人間が作った人間社会」に生きるのが、人間の生きる場所ではない、といいたいわけ。

そういう意味で、自然との共生に生きることといえます。
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短歌 三十五、

2009年08月29日 | 短歌に政治や社会
★ ジージーと 行く夏惜しむ ヒグラシに
         空も野山も 秋の姿に













★ やわらかに 手と指もまれ 心地良く
         気持ち和ます ハンドマッサージ 

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愚かではない

2009年08月26日 | 短歌に政治や社会
前空幕長「広島平和記念式典は左翼運動」と発言(読売新聞) - goo ニュース

この人の発言や、「核武装」とか「敵基地攻撃論」などを言う安倍元首相などは、戦争裁判(東京裁判)の被告になるにふさわしい。
戦地に散った肉親を持つ遺族や、原爆や空襲で家族を失っている遺族たちには、そうした被告なぞの言葉に耳を傾けるほどの、愚かではない。
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源泉への恩返し (続編)

2009年08月22日 | 人生設計

私たちが人生を送る上で、誰しもが、全てのものが必ずといってよいほど、「苦しみ、悲しみ、困難」に出会います。いわゆる「四苦八苦」です。この「四苦八苦」を、避けて通ることはできません。


避けられないなら、逆らい、対抗すればよいかというと、そうしていても付きまといます。元の「木阿弥」になってしまいます。


ではどうしたらいいかといいますと、こうした「四苦八苦」を一般に感じるのは、普通は人生の途上において感ずるものですが、生まれながらに障害者のように人生の出発点から背負っていられる人たちには、避けられもせず逆らいも対抗もできません。こうした人たちにできることは、「四苦八苦を受け入れる」ことしかありません。


これは「運命として受け入れる」とも、いえます。
しかし「諦めて受け入れる」のではなしに、「自助努力」をしながらの「受け入れ」であり、積極的に人生と向かい合う態度が大切です。



これはサリドマイド児として生まれた方のように両手が無い状態で生まれたなら、足を手の代わりに使う。耳が聴こえないなら、手話を習うというように、できる限りの「自助努力」をすべきことが大切です。


今日、孤独な人たちが増えていますね。お年寄りばかりでなく、結婚できない若者たち、それに「老老介護」でヨタヨタになっている老夫婦。



こうした現代社会の構図は、「源泉への恩返し」という記事の中で述べたように、「源泉への恩返し」をしてこなかったことによるものといわなければなりません。こうした「源泉への恩返し」をするように、子供や家族を導き、引っ張り、それを保ってこなかったからといえます。「幸せ」ばかり、「豊かに、楽しく、楽」になることばかりになろうとしていた、その付けが回ってきたわけです。もちょっと付け加えますと、物事の「後始末、整理整頓」を疎かにしてきたからでもあります。


今日こうなった以上は、この「四苦八苦」を、避けるとか逆らうというようなことはせずに、素直に受け入れるより他はありません。そしてそのままに、「自助努力」だけはしていく。人や他を、恨んではなりません。恨めば恨むほど、「四苦八苦」が増すだけです。



「これが運命なのだ」と、受け入れられることを、お勧めします。



不妊症の方が、人工妊娠で子宝に恵まれても、その子が真っ当な子として育つという保障はありません。ぐれたり人に傷を負わせたりするようになったりすると、何のために苦労して人工妊娠して生んだのか判らず、その時になって「止めておけばよかった」と思っても手遅れになります。不妊症なら、不妊症と素直に諦めて受け入れるのも、安心になります。



欲張ったり、誤魔化したりするのは、いけないことですね。

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源泉への恩返し

2009年08月22日 | 人生設計
私たちは、生きている。
生きていて、生活を営んでいる。
この「生活を営む」という事は、独りでに営まれるものではなく、他のものの「お陰で、世話になり」、そして「犠牲」を受けて営まれている。
「ご恩を受け」て、生きていられる訳である。

こうして生きていられる私たちは、こうしたことをあまり感じないでいる。いや感じないどころか、それが当たり前のように思っている。
そしてどうしているかというと、「より幸せ」になろうとしている。
この「幸せ」になるということは、主として「豊かになる、楽しむ、楽をする」ということであり、これはまた、「他のもののお陰、お世話、犠牲、ご恩」といったものを、より要求することに他ならない。
だがこの要求はおいそれとは適うものではないので、それで私たちはよく要求不満になり「不平、不足、不服」を言う。

今の私たちは、「幸せ」とか、「豊かさ、楽しさ、楽」を求め、そのために要求不満に陥る前に、自分がこうして生きており、活かされている生命の「源泉」というべきものが、「他のもののお陰、お世話、犠牲、ご恩」であることを思い、そうした恩に報いること、恩返しをしていくべきことを行うべき必要があるだろう。
ただ受け取り、使い、消費するばかりでは、掠め取り、食い逃げし、空き巣に入るようなものである。

人間として「智慧」を持つならば、「源泉への恩返し」をしていきながら、生きて行きたい。
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短歌 三十四、

2009年08月21日 | 短歌に政治や社会

       コクと味 整い合える そうめんに 
      人合わせする 調和を見つる     2009/8/21

今日も流しそうめんを、戴きました。流しそうめんの材料が、それぞれの特徴を出し合って整いあっておいしい流しそうめんとしていただけるのをみる時、「人と人、人と他」もまた、ともに「思いやりを掛け合い、助け合い」していかなければならないことを、感じさせ教えられます。

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調和への英知

2009年08月19日 | 人生設計
自・民党首が農業政策で舌戦 全国遊説を本格化(産経新聞) - goo ニュース

今日、「流しそうめん」を戴いた。

★ コクもあり 冷たさもよく 味もよく
      流しそうめんを つるつるつるっと

と戴いたが、同時に「そうめん、茹で方、水温、だし汁」などが調和が取れたものでないと、美味しいものにならないことを受け止めないではいられない。

しかし人間は勝手なもので、「自分の都合」ばかり押し付け、押し通そうとする。
選挙にしても、「調和し、和合」しようとしている者は、一人としていない。みな「自分に、自分の党に一票を」と言うばかりである。

それだけではない。
私たちは「自然」の中で生きている。「生きている」というよりも、「生かされて」いる。
こうして「生きて、生かされて」いるならば、その「自然」と「調和」して生きていかなければならないはずである。この「自然と調和して生きていこう」と言う気が、人間たちの誰もが持っていない有様になっている。
選挙の「政権公約」にも、こんなことを述べているものはない。

「ノーベル賞、アカデミー賞、オリンピックメダル」などや「文化、科学」と言ったものがありながら、「自然との調和」することには、無関心になっている。
それが「万物の霊長」という人間の、知恵であり教養であり知識なのである。

私たち人間が、本当に万物の霊長であるならば、「調和への英知」を持たなければなるまい。
そして「調和」には「成長や発展拡大」というものは、「しこりや混乱」を引き起こすものであるために存在せず、「調和の保持」に努めていかなければならなくなる。
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移動は移動でも

2009年08月19日 | 短歌に政治や社会
新型インフル感染の子ども7人、脳症に(朝日新聞) - goo ニュース

お盆などでの夏休暇、そしてレジャーや観光での民族大移動がやっと終わった。
空の便や鉄道、高速道路などの混雑にもまれて、ご苦労様でした。

しかし困ったことに、こうした「民族大移動」と同時に、「新型インフルエンザ」も大移動」いているようだ。「民族大移動」が、その運び屋になっている。
ここは、大人しくしていないといけませんね。
ことに「豊かになり、楽しむ、楽をする」というような心がけだと、「新型インフルエンザ」も大移動して拡大していく。
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短歌 三十三、

2009年08月18日 | 短歌に政治や社会

★ 流れ行く 雲には乗せる 我が思い
      雨粒となり いずこに落ちる    2009/8/18

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