青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

親が使ったら

2010年01月31日 | 短歌に政治や社会
子ども手当法案を閣議決定=政府(時事通信) - goo ニュース

「子供手当」を貰っても、親が生活費が足らないからといって、その「子供手当」分を使ってしまうかもしれない。

さて、どうする・・・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲 と 狂

2010年01月31日 | 人生設計

「自由」とは、憲法で保障された「民主主義の人権」ではある。
この「自由」、自由だからといって、野放しに自由に何でもやり、行えばよいというものではない。
おのずと制限があり、制約がある。
その制限と制約を超えると、支障をきたし、災いとも災難ともなって降りかかる。自業自得になる。

先日のニュースに
2001年夏に起きた兵庫県明石市の歩道橋事故で神戸第2検察審査会は警察上層部を「起訴相当」と議決」
という記事が載せられていた。

この事故で傷ついた人、そして親しい人が傷つき無くしたした人たちは、悲嘆に暮れている人だろう。
だが、なぜこのような所へ行くという「自由」に惑わせられたのだろう。
それは「豊かさ、楽しさ、楽(快適、便利)」を求め過ぎるという自由の行い過ぎからではなかったのか。
花火というイベントもやはりこの「豊かさ、楽しさ、楽(快適、便利)」を呷るもので、その呷りにつられて制限も際限もなしにみんなが押し寄せたものだから、溢れてしまい持ち堪えらりず崩れて、そして折れてしまうのは、自明の理として言える帰結である。

これは「東京・秋葉原の無差別殺傷事件
」で被害にあった人たちについてもいえる。
なぜこのように、繁華街に出掛けていたのか、出掛けなければなら中ってのか。

「豊かさ、楽しさ、楽(快適、便利)」という自由は、際限もなく制限もなく行使できるものではない。自制を利かせて程々にしないと、その反動は恐ろしい。
それは今度問題になった「トヨタ自動車」のリコール(回収・無償修理)事態が、それを証明している。
「製造の自由、販売の自由、購買欲を呷る自由」の果てに、こういう事態に陥っている。
それは、狂いである。その狂いが、悲を招いている。

「悲と狂」から、歩道橋事故事件では、警察幹部に責任を取らせようとしている。花火というイベントを催した者や、それに群がった者は「お咎めなし」となると、それがまた「悲と狂」を招いて行くだろう。

何もイベントや催し、コンサートとかにワーッと出かけなくとも、子供や家族と水入らずに和気あいあいと過ごす事が、何よりもいいことなのではないだろうか。

自由という事の「制御と自制」、それは人の心の思いの「制御と自制」でもあり、それが「行動と言動の制御と自制」につながっていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作詞 38、

2010年01月30日 | 作詞

春の便り     2010130



まぶしい 陽射しは 春立つ 光
輝く 山野 白銀の 雪
肌に 凍み入る 冷たい風にも
春の便りは ひそひそと 語りかけている


二つ三つ 雲浮く空は 春立つ 青さ
山の ふもと 名残の 霞
漂いに 思いの 願いを込めて
春の便りは ドキドキと 待っている


木の葉 寒さ耐えて 春立つ 緑
夜の露 朝の日に 溶け落つ 雫
キラキラと 光る 一滴(しずく)
春の便りが 静々と 訪れてくる


暖かい 夜具の中 春立つ 明日(あした)
まどろみ 見つめる 希望の 夢に
胸弾ませ 目覚めて ゆけば
春の便りは ワクワクと 楽しくなる


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世相の原因

2010年01月27日 | 短歌に政治や社会
小沢氏「責任」言及 低姿勢貫き逆風回避 検察・マスコミ批判も封印(産経新聞) - goo ニュース

首相や幹事長議員などが、このような献金疑惑、政治資金疑惑などや、また社会では痛ましい事件が発生する原因は、宗教性の希薄というよりは廃れていることに起因している。
それは「道徳、哲学」性の無さでは片付けられない。
というのは、宗教性が持つ「分け合い、助け合い」の精神が無くなっているからである。
尤も宗教の中にも、こういう「分け合い、助け合い」しない宗教といわれるものが多々ある。しかし真の宗教は、この「分け合い、助け合う」という事、あるいは「捧げ、施す」という精神を持っている。それが今の社会や世の中には、無い。
それがために、世相が暗澹としていく。

これはいわば「資本主義」の信条によって、「自分さへ良ければよい」という主張がまかり通る。「金融経済主義」である。
しかし、こうした「資本、金融、経済主義」的な利己性ある精神でいるなら、閉塞感に見舞われる。
例えば、資産や財産を握るに任せていたら、それは一代限りになる。例え跡取り、世襲させても、その跡取りはしっかりと監督できるものとは限らない。
これは子どもが出来ないという不妊な夫婦が、体外受精や代理出産などして子供を授かっても、その子が期待はずれな人間に育つ場合が無ではない。
こうした事になるのは、自然の摂理によるものであり法として定まっている。
それ故に、今の暗澹として混乱し、痛ましい事件が続く社会を正すには、宗教性としての「分け合い、助け合う」という、又「捧げる、施す」という精神がどうしても必要になる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一票の格差の原理

2010年01月26日 | 短歌に政治や社会
1票の格差2倍超、広島高裁も違憲判決(読売新聞) - goo ニュース

一票の格差は、何も国会や議員の怠慢ばかりではない。
国民の、怠慢でもある。
それは、憲法に違反するとか、合憲するとかの問題ではない。

一票の格差が生じた原理は、人間が「幸せになりたい」という事に発している。
それは「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」になろうとすることであり、その「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」という方向に人々は集まっていく。より「幸せ」を、より「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」さを求めて、群れていく。
それが地方からの人口流出を招き、都会への人口流入となる。
そうすると人口が増えた都会は、より「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」ように行政も民間資本も社会資本などを整備していき、それがさらに地方からの人口流出と疲弊に拍車をかけて、都会への人口流入を招いて一票格差となる。
これが一票の格差を生み出す、原理といえる。

この格差を是正するには、強制的に都会の暮らし、生活を苦しくするより他はあるまい。
そして地方に、もっと人を住まわせるようにすべきだ。
その為には、例えば都会の方の物価を上げたり、水道光熱費を疲弊した地方とは割高にするとか、一極集中を解消するために固定資産税などや授業料などを高くするとかして、それは人口密度に応じた処置などしてバランスを取ってはどうかと思う。
尤もこれは、単なる思い付きだが。

だがことは、合憲違憲といっているでは、済まない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一般的通念

2010年01月25日 | 短歌に政治や社会
小沢氏聴取から一夜…波紋収まらず 側近ら沈静化に躍起(産経新聞) - goo ニュース

この人は「秘書を信頼して信じて、すべて任せていたので知らない」と言っている。
そして自分には、何等の責任もないような事を言っている。

しかし一般的通念としては、そういう事がまかり通るほど、世間や世の中は甘いものではあるまい。
もし、四億円もの大金を、信頼し信じていた秘書が猫ばばしたら、「自分には何の責任もない」といって訴えもせずにいればよい。
それは、他の党関係者についてもいえる。

本当の信頼関係とは、自他共に把握することにあるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変な論理

2010年01月24日 | 短歌に政治や社会
小沢氏聴取 民主、大混乱も 「強気と不安」交錯(産経新聞) - goo ニュース

政府や政治家、そして議員などは、こういうことになると変な論理を持ち出す。
「個人の問題だから」といって、幹事長辞職とか議員辞職の必要はない、と言う。これは先の、自民党時代でもそうだった。

しかし彼等は、選挙によって選ばれた選良であり、公僕である。
今回の事件も、そもそもは「政治資金団体」と言うことの土地購入疑惑にある。これは個人の問題ではなく、選挙民を巻き込み、国民を巻き込んで公の犯罪めいたものになっている。
それを「個人の問題」として片付けようとしているのは、この事件の事情聴取者が、「検察に取り調べされるのは民主主義違反」とか、「検察と戦う」とか、あるいは「天皇陛下にはプライバシーはない」などと幼稚なことを言うようなものだけはある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横着さ

2010年01月24日 | 短歌に政治や社会
小沢氏会見、疑惑関与を全否定 「幹事長職を全う」(朝日新聞) - goo ニュース

「説明責任」を果たしたつもりらしいが、こちらとしてはちっとも合点がいかない。

「資金管理団体」の土地購入資金という事に、家族名義の預金を解約して充てたという。
そういう事に「家族名義」の預金を解約するという「横着」さ。
家族は納得の上なのか、また家族の将来を、夫として親として思いやっているのか。

なんだかそこには、「脱税」の臭いさえする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊かさの恐ろしさ

2010年01月24日 | 人生設計
「豊かさ」を求め願い、あこがれるのは、生物の中でも人間だけが持つ本性であり本能のようだ。
この求め願いあこがれる「豊かさ」は、「楽しさ、楽(快適、便利)」でもあり、この「豊かさ」を追い求めることが人間の一つの生き甲斐にもなっている。
だがこの生き甲斐ともなっている「豊かさ」には、恐るべき底なし沼のような、あるいは虎口のような牙をむいた大口が我々の行く末に大きく空けられて待っている。
いや、それはもう現実化してしまっている。

「豊かさ」や「楽しさ、楽(快適、便利)」は、一つ手に入れても、それで我々は満足することはない。その「次を、次を」と求める。それは貪欲なもので、満足することを知らない。
すると、どうなるか。

「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」になると人間は、そういう「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」事ばかりしたがるようになる。
反面、面倒なことや汚れるような事、労力を伴うことはしたがらない。
したがらないどころか、人がしてくれるのが当然なことのように、それは金だけ出せばしてもらえるものと思っている。
現実にゲーム機やスポーツとか歌謡コンサートとかの観戦には夢中になっていても、料理をするとか洗濯をするとか、掃除をするとか子育てや子供の勉強を見てやるといった事、「後始末や整理整頓」には、我関せずにしている。

今日の世の中、モノをたくさん生産し、人集めし、交流をよくしたりして「景気拡大、経済成長」をさせようとしているが、それは何のことはない。「なまくら」な人間生産体制作りをすることに他ならない。
こう言う事が、ノーベル賞や文化勲章とか、何のかんのとメダルなど受賞する人たちにも判っていないで誇らしがっている。

今こうして「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」を謳歌するものは、それでいいかもしれない。しかしそのつけは子孫が背負う。
今の我々は、そういう辛いツケを子孫に背負わせるために「豊かで、楽しく、楽(快適、便利)」に生きようとしている。

この性根を、叩き直してしまわなければ、子孫が哀れで可哀そうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短歌 84、

2010年01月22日 | 短歌に政治や社会

     労(いた)わりも 思いやりもなき 国会は
  欲心ばかりが ごね回りする 
2010/1/22

国会ばかりでなく、社会情勢や環境もそういう状態にある。金になる事なら、あるいは「豊かさ、楽しさ、楽(快適、便利)」な事には、どのような事でもしようとしている。それは「数値、評価」などで差別分別していき、いたわりも思いやりもなくなっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする