青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

主計局監視機関

2009年07月29日 | 短歌に政治や社会
鳩山代表、熊本で大蘇ダム中止を示唆 「ムダなダム」(朝日新聞) - goo ニュース

「税金の無駄遣い」といっているが、そうした予算を企画・立案、作成等をする財務省主計局について、誰も何も言っていない。

「無駄遣い」にされる予算は、ここで承認される。
どんな予算であろうと、ここ「財務省主計局」の、さじ加減で、通るか通らないかが決まる。
もっとも、通ったとしても、予算案として成立せず、さらに上のほう、次官や大臣、そして閣議へと上がっていくが、一番先に篩いにかけられるのは、ここである。「無駄遣い」とみなされるものは、ここで落としてしまわなければならない。
ところが、そういうものがここで落とされずに上に上がっていって、予算として成立してしまい、後で我々国民が「無駄遣いしてる」と騒ぐことになる。
何せ、政治的配慮も働き、必要不可欠でない「無駄遣い」となるものまで、選択する権限がここにはある。

こうしたことを防ぐには、この主計局を、国民によって監視する「監視機関」を設置しなければならないと考えられる。
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適正認証

2009年07月29日 | 短歌に政治や社会
成人年齢、18歳に引き下げ=実施時期「国会の判断」-自立促す・法制審部会(時事通信) - goo ニュース

一律に、このように決めるのはおかしい。
車の免許を取るのも、教員や警察官、公務員になるにしても、ある程度の「適性検査」がなされる。
それと同じように、道徳的とか道義的、あるいは公共性に関する設問に答えられるかどうかというような、適性検査を施して合格したものに「成人」とした資格を与えるべき必要がある。
でないと、閣僚の適性検査を施しても、首相自身の適性検査がなされないというような、今日のような混乱した政治になってしまう。
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短歌 二十八、

2009年07月29日 | 短歌に政治や社会
久しぶりに、一首を・・・

★ 久々の お風呂の後の 茶のうまさ
     もう四日すると 誕生日だね

座っていても、目が見えないとバランスを崩してしまうため、介護してもらえないとお風呂にも入れない。先日は病院へ行ったので五日振りで、ディサービスでお風呂に入れてもらいました。そして四日後には、私の誕生日。これまで四度生死にかかわることを乗り越え、こうして又誕生日を迎えられます。
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一つの提案

2009年07月28日 | 短歌に政治や社会
民主マニフェスト、自民が総攻撃「我々以上のばらまき」(朝日新聞) - goo ニュース

このように「民主党が発表したマニフェスト(政権公約)に対し、28日、麻生首相や閣僚から財源論に焦点を当てた批判」が相次いでいるが、「では・・・・」となると、多額の赤字国債を発行していながら、それを償還したりする財源や政策財源として「消費税増税」しか打ち出せないでいる。
どっちも、どっちでしかない。

それでここでは、この財源に関して、一つの提言をしたい。
といっても、この提言が根本解決になるとは思われないが、少しは役に立つと思う。

この提言とは、現在「特殊法人、公益法人、団体法人、宗教法人」などの法人がある。これらの法人は、法としても優遇されているばかりでなく、税法上においても優遇されている。
「軽減」されているし、「非課税措置」されている。
こうした「軽減、非課税措置」を、撤廃するのである。そうして得た税収を、財源にすればよい。

元々こうした法人は、「天下り先」などの温床になったり、「贈収賄、献金元、談合」の場になっている。それに又、こうした法人の給与や退職金は、一般給与者よりも優遇されている。それというのも、法や税で優遇されているためだと、言えるだろう。
それ故に、こうした法人の優遇税制を、撤廃すべきである。
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学問性 (下)

2009年07月28日 | 人生設計
今日の「学問する」ということ、すなわち「勉強、勉学」ということはどういうことかというと、「豊かになる、楽をする、楽しむ」ということのために、「学問、勉強、勉学をする」という態度になっている。
それは「末は教授か大臣か」とか、「社長、タレント、野球などの選手」などになるためでもある。
しかしこうしたことは、「自然の摂理に従い、沿う能力を身につける」こととは、程遠い学問である。
それどころか、その反対になることのほうが多い。

たとえば、ノーベル賞の創始者であるノーベルが、ダイナマイトを発明したが、それが人類に貢献するよりも兵器に転用されている。核エネルギーも、核兵器やミサイル兵器となり、人類の平和を脅かしている。
その基が、今日現在の「学問」の在り方なのである。

このようになっているのは、一重に学問する態度が、「豊かになろう、楽をしよう、楽しもう」ということにあり、そこからの「金銭、地位、名誉」を欲しがる事にある。
いわゆる「さもしい」のである。

真に「学問性」を持つなら、、「自然の摂理に従い、沿う能力を身につける」ことに取り組む学問、勉強、勉学に勤めてもらいたい。
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だが、こんな無駄遣いしている

2009年07月28日 | 短歌に政治や社会
手厚い生活支援前面に…民主が政権公約発表(読売新聞) - goo ニュース

公約で「無駄遣い撲滅」をあげているが、「アニメの殿堂」よろしく、「携帯ゲーム」を作って民主党の宣伝している。
この資金も、国民の税金から、政党交付金として出されている。

これも、大きな「無駄遣い」・・・・・
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学問性 (中)

2009年07月27日 | 人生設計

yahooの掲示板「生きる意味」に、こんな記事を投稿した。

「言葉」について、色んな意見が出されている。
この「言葉」には、限界がある。

何故かというと、たとえば目が見えない人に、コップがどういうものか説明すると、しよう。
「水など入れるもの、容器、ガラスとかプラスチック製、大概丸い形」というような説明になる。
それを目が見えない人は、どのようなものなのか、想像する。イメージする。

それと同じように、「自然の摂理」というようなことは、このことが判らない、いわば目が見えないような人に説明しようとすると、直接的な説明方が無いため、まだるっこい説明しかできないので、なかなか理解してもらえない。
それは受け手である人が、その人の持つ生き方とか人生観が、この「自然の摂理」から遠く離れていることにあるといえる。


すなわち、道に暗いといわなければならなくなる。

それゆえに、受け手の人が、話しかける人の言葉を理解できる地点まで、這い上がる必要がある。
そういう努力もなしに、人が述べることが「おかしい」というのは、難癖になる。

この記事への意見。



 





ここは議論の場であって、双方が共に出し手であり受け手でもありますよ。
自分が出し手で相手が受け手というのは独善的解釈であり、
しかも、受け手が自分の書き込みを理解できないというのは独我的世界観の表出に過ぎないと思いますが……







この記事への応対文。

もちろん、議論です。

何故なら、こういうことからです。

私には、今年小学一年になった孫がいますが、算数の足し算を指を使ってやっている。
これは、問題と指との議論です。
これが哲学的な問題になりますと、解答を得るためには感覚的なものは役には立ちません。先の目が悪い人のたとえでいえば、コップを手に持たせて「これがコップだ」というような直接的には見せられず、どうしても間接的な言い回しな言い方をしてしか言いようがありません。

これを別な例えでいいますと、我々は仕事をして稼ぎを上げる、給料を貰います。すなわち「仕事をする」という地点まで、這い上がらないことには、稼ぎを得られないことになります。
このことから判ると思いますが、仕事を与えるということは「独善的」なものとはいえません。
ですから、「自然の摂理」として「出してと受けて」が存在する以上、どんなに出し手が親切に出し手をしても、受け手が我侭いっていたのでは理解ができないのです。。

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学問性 (上)

2009年07月27日 | 人生設計

「学問性」とよく似た言葉に、「学識性」という言葉がある。
しかし、意味するところは、大いに異なる。
「学問性」ということからしても、一般的には

1)一定の原理によって説明し体系化した知識と、理論的に構成された研究方法などの全体をいう語。

(2)勉強をすること。知識を得るために学ぶこと。また、それによって得た知識

ということを意味しており、また「学識」とは、

学問と知識。また、学問を通じて得た高い見識。

ということで、早く言えば「教養を積む」ということである。
しかし「学問、学識」という言葉に、「性」を加えると、この意味は分離されて異なってくる。

では「学問性」とはどういうことなのかというと、私たちはこの世に産まれ、そして生きていくという上で、その生きていく世界はこの宇宙という自然世界しかない。
この「宇宙の自然世界」には、慄然とした「法」が存在している。
それを「真理」という。また或いは、「自然の摂理」ともいう。
私たちはこの「真理である自然の摂理」の中で、「自然の摂理」に従い、沿って生きていく能力を持たなければならない。
それゆえに、「自然の摂理に従い、沿う能力」を学ぶのが学問なのである。
すなわち「学問性」とは、知識として持つためとか、教養として持つためのものではなく、あくまでも「自然の摂理に従い沿う」ための「能力」を身につけるためるものなのである。

現在の私たちは、知識や教養は豊富である。
しかしそれを「苦しみ、辛さ、悲しさ」などの苦労というものに対しては、立ち向かう能力が乏しい。
苦難に打ち勝とうとする、忍耐力が無い。
それは「自然の摂理」の荒波の中で、人生航海できる能力する「学問性」が備わっていないからによる。
単に知識や教養を持つ「学識性」ばかりの頭でっかちに過ぎない、ひ弱さがある。
このひ弱さから、「豊かになる、楽しむ、楽をする」ということのために、学問しようとしている。

「自然の摂理」に従い沿うという能力を身につけ、荒波の人生航海をつつがなく終えられるような学問に、身を入れてもらいたい。

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総選挙については

2009年07月26日 | 短歌に政治や社会
「危ないと思った」と住民(中国新聞) - goo ニュース

今日のテレビの「日曜討論」では、総選挙に付いた討論していたが、その中でインド洋給油のことで、先に民主党が反対していたのが選挙になると急遽賛成に回ったことで、自民党は「ぶれている」と非難している。
こんな言い合いしているなら、インド洋給油など、止めてしまえばいいのだ。

今日、こうした自然災害に見舞われていて、資金も資材も、人手も必要としている。インド洋給油でそれらをかけるなら、こちらの方に回すべきである。

一体全体、他の事に関わるという事は「内政干渉」であり、非難の対象になる。
そういうことに関わらず、真に内政に従事してもらいたい。
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自然の摂理に従う

2009年07月25日 | 人生設計
麻生首相、高齢者は「働くことしか才能がない」(読売新聞) - goo ニュース

我々は、世に産まれ、そして生きている。
生まれた以上、人生を営まなければならない。
人生を営むとは、一刻一秒を、「生きる」である。
だが一般的には、「生きる」ではなしに「過ごす」のが人生だと思っている。

「一秒一刻を生きる」ということは、「一期一会」である。この「一期一会」という言葉は、茶道の極意として有名だが、その意味については余り正しい解説がなされていない。
それでここで、この「一期一会」にちょっと解説を加えることにする。

人生には、一秒一刻の積み重ねであり、必然なこととして「一期一会の積み重ね」でもある。この「一期一会」というものは、どういう「一期一会」であるべきかというと、我々を自然の摂理に導き、引っ張っていってくれる」様なものとなる「一期一会」でなければならない。

ところが時の首相たるものの物言いは、まったくといっていいほど「自然の摂理」に正し照らし合わせるに偲びず、むしろ「浅ましく、嘆かわしく、情けない」様な内容になっている。
これが一国の首相なのだと言える人が、ここにいる。

一国の首相なら、「名前、地位、金銭」にぶれてたり、「豊かさ、楽、楽しみ」を求めるばかりで、「自然の摂理を正しく引っ張っていく、それも本人自身が先に立って引っ張っていくようでなければ、一国の首相の値打ちが無くなる。
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