青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

元々は

2009年12月31日 | 短歌に政治や社会
虐待防止、親権制限へ 法務省研究会、子ども保護を優先(朝日新聞) - goo ニュース

「児童虐待」ということの元々は何かというと、そもそもが「自由」というものの取り違え、はき違えにある。
殊に「表現の自由」の氾濫による弊害は、「児童買春」とか性風俗の低年齢化などにも、また「いじめ、脅し、暴行」ということにも、それにマスコミメディアがかかわる形で浸透している。

故に、いくら「親権」を制限するとか停止したりしても、社会の中の「自由」という魔手は、それを正さない限りにおいて威力を発揮しない
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迎春のために

2009年12月30日 | 人生設計
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これは私の人生観とも処世訓にもなっているものの中身なのですが、私たちが生きていく上で「姿勢を正し、行儀良く」していくことの大切さを思います。
それは「姿勢を正し、行儀良く」していると、仕事もはかどりますし、勉強なども頭に入り身に付きます。食事なども、おいしく戴けます。
「姿勢や行儀」が悪いと、第一他からの見掛けが良くありませんし、食事などでは美味しくなさそうに見えますし、つまらなさそうにも、仕方なく嫌々食べてやっているという風にも見えてしまいます。いくら「ワイワイ」と食事をしていても、食後は悪酔いやら侘しさや虚しさを感じるものです。
これは、「姿勢や行儀」が悪いと、老い易く老け易く、また病気になりやすいものです。
「姿勢や行儀」を悪くして勉強したり読書したりすると、目を悪くしたり、体調を悪くするのも、このためですね。
新年を迎えるのも、「姿勢を正し、行儀良く」して、「迎える」というよりも、「迎えさせて戴く」というような、前向きな気持ちで迎えることに、今年の区切りをつけて新しい年をお迎えしてくださいますよう……。
どうぞみなさん、良い新年をお迎えになってください。
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プライバシーは、持たないって・・・

2009年12月29日 | 短歌に政治や社会
「やましいところない」=特捜部聴取受け石川議員(時事通信) - goo ニュース

一つ覚えのように、「捜査継続中なので、コメントを差し控えたい」と説明を避けているが、ボスの党幹事長は「天皇陛下にはプライバシーはない」といっている。
それは、貴方方自身のことで、貴方にも党幹事長にも、「コメントを控える」などというような個人自由権は無く、全てを国民の前に開示する義務を背負う。

自分で言いながら、それを実行できないなら、何の値打ちも無い。
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象徴論

2009年12月28日 | 短歌に政治や社会
「皇居を京都か広島に」 亀井氏“進言” 陛下は「京都、好きです」(産経新聞) - goo ニュース

「象徴」という事は、「国民らしさを表わす」という行為でもある。
それは又、「人間らしさを表わす」という行為でもあり、単に天皇陛下に負わされた責務ではない。我々一人ひとりが、「人間として、人間らしく生きる」ということが、そのままに背負わされる象徴としての責務になる。

ところが民主党幹事長は、「天皇には象徴としてプライバシーは無い」などという。
そういう自分は、国民によって選ばれた「選良」であり、国民の「象徴」ともならなければならない責務を負っている。それが判っていない。

これはこの人ばかりでなく、国会には、参院に天皇陛下をお迎えする座所があるが、この椅子には肘掛が無い。
ところが予算委員会などの実況中継を見ると、首相や閣僚などの席は、豪華な肘掛付きの安楽席ソファになっていて、そこに皆が何様の如くふんぞり返っている。
それだけではない。
「参考人招致」された者が座している席も立派な肘掛け椅子になっていて、ここに参考人は足を組んだりして座っている。
底には少しも自らを省み畏まって反省し、自らが人々の手本となり道しるべとなり、子供たちを導く縁(よすが)になろうとしていない。

こうした人達が、国の政に携わっているものだから、社会が乱れ、世の中が乱れる。
天皇陛下が、国民の象徴として勤められても、国民が選んだ選良たちや上に立つ者達がこの有様では、国民自体の象徴は崩れてゆく。

今の今日、一人ひとりが人としての人間らしい「象徴」にならなければ、行く末の象徴は無くなって行くだろう。
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無能

2009年12月27日 | 短歌に政治や社会

2010年度政府予算案が閣議で決定された。
中身を見ると、前政権などから続いている無能さが続々と現れている。

まったく持っておかしな話だが、景気や経済拡大とか、その他科学技術発展などといって予算付けすると、それに伴って「贈収賄」に「天下り」、「偽装献金」などがワンサカと増えていくことになる。
ところがそういう疑獄状態になっても、それは「秘書が・・・・」となって、親玉は不起訴処分になる。
そうして、予算が行くべきところには、「職員の娯楽施設、割安な宿泊施設、タクシー代など諸手当」などに消えていくものが多い。
そういう「無能」になっている。

話は変わるが、最年少のゴルファーが賞金王になったということでマスコミを賑わしている。
その一方では、同年代の青少年が「奨学金滞納、学費滞納、授業料無払い」ということで苦しみ喘いでいる。
賞金王になっても、それは何の役にも立たない「無能」なものでしかない。
これは「スーパーコンピューター、万能細胞、五輪選手強化」に予算を掛けても、だ。
それどころか、「救急たらい回し、自殺者最多」などの現状改善にも、何の貢献も出来ない。

ちなみに、今年は「裁判員制度」が開始されたが、首相の偽装献金や党幹事長の偽装資金管理など政界がらみの事件についての、「起訴、不起訴」を判定するというような「判定官」のような機能を持っていない。
今日現在、「起訴、不起訴」は、警察や検察の取調べの元に、検察によって判断が下される。それが例え「冤罪」であっても、「起訴されるものは基礎」されてしまう。
それを裁判によって「裁判員」に審理させようというのは、話がおかしくなる。「起訴か、不起訴か」を判定する段階で裁判員のように選出された判定員で「起訴、不起訴」を審査判定すれば、少なくとも冤罪事件の初歩を防げるだろう。
我々にしても、わざわざ裁判員のような義務を背負わされ、検察によって起訴された被告を「有罪が妥当か、無罪が妥当か」と審議し判定するよりも、起訴される前の段階において「起訴が妥当か、不起訴が妥当か」ということを審議し判定したほうが有意義さを持つ。
この「起訴、不起訴が妥当か」と判定するためには、取調べなどの状況や証拠類は全て開示してもらわなければならないから、「強制自白」などして起訴に持ち込むことは出来ない。という事は、冤罪を防げることになる。
ただし、被疑者の言動は、後でひっくり返すことも出来ないことを覚悟しなければならない。

こうした制度を政治がらみの事件にも応用できれば、「秘書が・・・」とか「法に則って・・・・」とか言って言い逃れようとしても、国民的視野に立てば見逃せなくなる。
しかし今の政界には、こういう自浄作用を持っていない。このために、政界の浄化は、まったくと言っていいほど進まなくなっている。

予告

新春に際し、「新春寄稿」をします。
題名は、  「青い鳥の道」
    ご期待を・・・・

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短歌 80、

2009年12月25日 | 短歌に政治や社会

★ よく晴れて 鈴の音ひびく クリスマス
    ディサービスで ささやかな集い
          
2009/12/25

  クリスマスの今日、よく晴れました。ディサービスでは、こじんまりとですが集いが開かれて…

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出征

2009年12月22日 | 人生設計

国会議員や知事、市町村議員が、選挙で当選すると「当選証書」が授与される。
これはまた首相に選ばれ、閣僚に選ばれ、あるいは官僚に選ばれたり、民間では役職に選ばれると「辞令」を受ける。
この「当選証書」や「辞令」というものは、一般的には「誉な」事として受け止めているが、一昔前なら「赤紙」のようなものといえるものである。

「赤紙」とは、「召集令状」のことである。
「徴兵令」によって召集され、戦地に赴くようにとの通達である。
かってこの「赤紙」を受け取った人達、その家族は、名誉なこととして「出征」し、その「出征」を見送った。
そして「お国のため、家族のため、人々のため」命を奉げて倒れていった。

しかし今日の「当選証書、辞令」らを受け取る者は、「誉」とは思いこそすれ、「お国のため、家族のため、人々のため」命を奉げて働こうとはしない者が多い。働こうとするどころか、わが身の安泰、富、権力志向ばかりを目指している。
身を捨てて「出征」しようとする気概がない。
無いどころか、政府の要人でも無く、閣僚でも無く、即ち内閣の一員でもないのに「政権党の幹事長」だからといって、「党幹事長室への陳情一本化」というようにして国の人事や予算の割り振りに口を出している。
更には天皇陛下に対する生活の仕方にまで口出しして、こう言っている。


 「憲法で規定している
国事行為にはそのものはありません。しかし、その憲法の理念と考え方は天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって、行われる、おこなわれなきゃならないという基本的考え方は、天皇陛下にはまったくのプライベートちゅうのはないに等しいわけですから、日本国の象徴、日本国民統合の象徴というお立場にあるわけだから、その意味では、ご自身で自由にあっちいったり、こっちいったりちゅうことはできないわけで、その、天皇陛下の行動の責任を負うのは内閣なん(だ)。国民の代表、国民が選んだ政府内閣が責任を負うということなんですから、内閣が判断したことについて天皇陛下がその意を受けて行動なさるということは私は当然のことだと思いますし、天皇陛下にお伺いすれば、喜んで、私はやってくださるものと、そのように思っております」

自分がこのように言うならば、自分は「国民によって選ばれた僕」に過ぎないことを自白している。その僕に過ぎない自身が、国民に仕えるべきなのに、あれこれ指図している。
何人によって、そうした権限を与えられているのだろう。

国民は議員として選出し、実を賭して「出征」するよう求めた。
これは我々一般の人達も、この世に生まれたということは、「豊かに、楽しく、楽(快適)」に生きるためにではなく、この世を良くする為に「出征」する任務を負わせられてきている。

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短歌 79、

2009年12月21日 | 短歌に政治や社会

★ 年の暮れ ようやく積もる 外の雪
      待合室には 花活けられて
           2009/12/21

      病院へ行きましたら・・・・・・、そして又、丁度クリスマスの催しが行われまして・・・・。

   ★ 灯火と 鈴の音共に 唄歌い
      祈りに満ちた 聖夜の調べ

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二兎を追うもの

2009年12月20日 | 短歌に政治や社会
普天間越年「評価せず」51%…読売調査(読売新聞) - goo ニュース

「一国二体制」というところがある。
それは、他所ばかりでなく、我が国においても、そうなっている。
官邸と、党の幹事長室。
それは「二兎を追う」事とも、言える。
「二兎を追う」と、どうなるか。
「二兎を追うものは、一兎をも得ず」と言うことになる。

いや、「得られない」だけでは、すまない。
混乱する。
横暴になる。
炸裂する。
ひっくり返る。
「二兎を追うもの、一兎をも得られず」ということを、肝に銘じなければならない。
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短歌 78、

2009年12月20日 | 短歌に政治や社会

★ 愛おしき 子には奉げる 詩ならば
    積もる雪にも 清らかしきを
         
2009/12/20

★ 天地の 子には奉げる 詩聴けば
      一人合点な 親心では
           
2009/12/21

★ 幸せも 求めるよりも 頂いたら
      師走の風も 快きものに

                      
2009/12/21

   新しい年に、福を求め、幸せを求めようとしてあわただしくなっているようで・・・・・、
   でも、このまんまを有り難く、嬉しく頂いたら、あくせくしないだろうなぁーーー。

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