青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

菅首相、官房機密費「総裁選に使ってない」共産・小池氏への答弁で否定

2021年01月28日 | 政治


官房機密費の内容を、国民の前に開示してから言うことだ。
前首相の安倍晋三も、開示しないで否定し通したから、辞任せざるを得なくなっている。
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定額給付金の予定ない、最終的には生活保護ある=菅首相

2021年01月27日 | 政治


と言うことは、自民党が200億円近い政党交付金を、毎年受け取っているのは、生活保護政党の優良党ということか ?
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飾り物

2021年01月26日 | 日記
今日デーサービスで、こんな飾り物を作り上げました

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学門と教育

2021年01月25日 | 宗教観
★ 一般に 学問の事を 教育と
    愚かしさまで 教えてやまず
★ 欲を学び 差別つのらす 教育の場
    精神までも 狂わせていく
★ 政治家も 場を取り合いし 票取り合い
    国民のこと 上の空にする
★ 信を持ち 信心持てる 宗教に
    世の安らぎに 和の世界が
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天神講

2021年01月25日 | 短歌
今日は天神講、それでこんな短歌を四句作りました。

★ 天神講 学問の道 辿りつも
    忘れてはならぬ 旨の教えも
★ 旨の道 心の教え 抱きつつ
    人となる身の 衣なりせば
★ 知識持ち 心修める 人生に
    誠学問の 花は満開
★ 天と地に 人が築ける 学門は
    この世に広く 平和もたらす
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人生の道

2021年01月24日 | 宗教観
人生の道
生命が生命として存在し、生きとし生けるものとして生きていく上においては、そこには平坦な道が続いているわけでなく、山あり谷ありの難所続きの中、生きていく定めにあり、辛く能動苦しく悲しみ多い中に、喜怒哀楽しつつ揉まれていく。いくらこれを避けて通ろうとしても、立ちはだかってくるのがこの世であり娑婆の世のしきたりになっている。
昔からこうした辛く苦しく悲しみ多い中で、何とかこの辛く苦しく悲しみを解決できないものかと数多の人達が取り組んできたが、釈尊の知られたように「一切皆苦」の中からはのがれようもない。
そこには我々の、「生きる」という態度にあった。
「生きる」という態度には、「受動的と能動的」がある。
普通我々は「受動的」な、受け身になっている。幸せや楽、快楽、有楽を欲しがって止まない。これは恐ろしい事である。何故かと言うと、それは願い、望み、望みともいるものであり、言わば欲望を満たそうとするものになっているが故に、この欲望を何としても叶えようとして、他を押し退け、盗るとか殺人までも犯して思いを遂げようとする。それが高じると、戦争へと発展していく。
これに対して、「能動的」生き方は、「能動的」の「能動」とは、「他への働きかけ」であり、思いやり、手助け、労り等を指す。これはまた「施し」であり、仏教で言う「布施」をいみしている。
ここには、自分を出さない。自我がない。自我がない無我のところから、この「能動的」行為が行える。


しかし忘れてならないのは、自我を持って「叱責」を行う場合もあることを忘れてはならない。それは我がためになされる。
































この叱責を行うにしても、やさしい愛語をもって成すべきというが、だが私の方はそうはいかない。何故かと言うと、優しい愛語での叱責では効き目がないことが多いことに在る。それは甘えから来ている。むしろ反発して反抗的になりかねない。
だから暴言を持って叱責するのも、「愛のムチ」と言わなければならなくなる。




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人生の道

2021年01月24日 | 宗教観

 

人生の道

生命が生命として存在し、生きとし生けるものとして生きていく上においては、そこには平坦な道が続いているわけでなく、山あり谷ありの難所続きの中、生きていく定めにあり、辛く能動苦しく悲しみ多い中に、喜怒哀楽しつつ揉まれていく。いくらこれを避けて通ろうとしても、立ちはだかってくるのがこの世であり娑婆の世のしきたりになっている。
昔からこうした辛く苦しく悲しみ多い中で、何とかこの辛く苦しく悲しみを解決できないものかと数多の人達が取り組んできたが、釈尊の知られたように「一切皆苦」の中からはのがれようもない。
そこには我々の、「生きる」という態あ度にあった。
「生きる」という態度には、「受動的と能動的」がある。
普通我々は「受動的」な、受け身になっている。幸せや楽、快楽、有楽を欲しがって止まない。これは恐ろしい事である。何故かと言うと、それは願い、望み、望みともいるものであり、言わば欲望を満たそうとするものになっているが故に、この欲望を何としても叶えようとして、他を押し退け、盗るとか殺人までも犯して思いを遂げようとする。それが高じると、戦争へと発展していく。
これに対して、「能動的」生き方は、「能動的」の「能動」とは、「他への働きかけ」であり、思いやり、手助け、労り等を指す。これはまた「施し」であり、仏教で言う「布施」をいみしている。
ここには、自分を出さない。自我がない。自我がない無我のところから、この「能動的」行為が行える。


しかし忘れてならないのは、自我を持って「叱責」を行う場合もあることを忘れてはならない。それは我がためになされる。
































この叱責を行うにしても、やさしい愛語をもって成すべきというが、だが私の方はそうはいかない。何故かと言うと、優しい愛語での叱責では効き目がないことが多いことに在る。それは甘えから来ている。むしろ反発して反抗的になりかねない。
だから暴言を持って叱責するのも、「愛のムチ」と言わなければならなくなる。



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首相、河井案里被告に有罪判決「襟を正して活動していくことが大事」

2021年01月22日 | 政治

「襟を正す」には、何が大切なのかもわからないで、言葉だけで言って済まそうとしている。そこには自分のことしか考えない、姑息な浅はかさしかもっていない正体を浮かび上がらせている。

襟を正すべくは、誰あろう「菅義輝」お前さんだ。
お前さんは「自民党総裁」。即ち自民党議員や党員の不始末の、全責任を負う立場にいる。しかしそれを意識していない。だから彼は、襟を正すのは「お前らだ」というような言い方しかできない。
菅首相は、国会答弁中に自民党議員の多くが居眠りしている。それがテレビで放映されていた。真に自民党総裁となれば、これら国会議員としての職務をだらけているものに対して、本会議場で叱り飛ばして「活」を入れてこそ、襟を正すこととなろう。

だが今回発効した「核排脱禁止条約」には、日本政府は従来通りに「立場の異なる国々の橋渡しに努め、国際的な議論に積極的に貢献する」 などと言って参加しようとはしない。
「参加してこそ」襟を正す行為なのに。
だから安倍前首相や横井元大臣等にも、「我関せず」みたいにコメントなんかしないでいる訳だ。
ただ二階幹事長の国会での実績持ち上げには、いい気持ちらしい。

ここには景気や経済ばかり追い、宗教の廃れを誘っていることが原因になっている。おだてに乗り易く、耳に痛いことは敬遠する気風にある。


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水ようかん

2021年01月21日 | 宗教観
今日のデーサービスの午後のおやつは「水ようかん」。
だもんで、駄句を二首ひねりました。


★ 大寒に 青空の中 ツララ下がり
    デーサービスでは 和み暖か
★ 凍るごえむる 空は青々 大寒に
    一歩一歩と 立春に向け





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二階氏、菅首相に質問「総理の地方に対する哲学語って」

2021年01月20日 | 政治

国会には、国会議員理身辺を警護する「衛視」がいる。
この衛視の務めは、これだけなのか。
自民党の「長」ともいえる二階幹事長が、現行棒読みにして質問に立っているさなか、自民党議員の多くは居眠りしている。衛視は、これら議員職を怠けている議員に対して、遠慮会釈なく叱り飛ばしてこそ、国権の最高機関を支える衛視としての誇りがあるだろう。

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