「無駄撲滅」という「自発的対称性の破れ」が行われれば、対称的に、それに反発した「自発的対象性の破れ」という当然的な現象が起こる。
しかしこうした「精神的、心理的」な事に対する、安定策を、誰も求めようとはしていない。
それが「お偉いさん」が、していられること・・・・・
そんな事に、我々は税金納めている訳ではないのに、何を勘違いしているのかしら。
ほおにひとすじ 2008/11/29
空の 青さに 見とれていたら
今の わが身が 悔やまれた
自分の思いが ままならず
つらさ 悲しさに 泣いたけど
確かな 明日を 信じれば
ほおに ひとすじ
涙こぼして うれしいな
押入れの アルバム 取り出したら
かわいい あの子が 写ってた
薄れた 記憶も 時の隔たりに
ただ 思い出す 懐かしさ
今は 孫たちの 相手をすれば
ほおに ひとすじ
涙こぼして 楽しいな
久し振りに 母の手 握ったら
長らく 伏せてて 痩せていた
柔和に 見せる 面影に
ひたすら 達者に 働いてた
元気な 若い頃と ダブらせれば
ほおに ひとすじ
涙こぼして 懐かしく
陽は 西山に 落ちて行ったら
みんなの家々に 灯は灯った
それぞれに 定めに 生きていき
今日も 残す 足跡に
東の 空に昇る 月見れば
ほおに ひとすじ
涙こぼして 美しく
夢をいっぱい 2008/11/22
そっと つぶやく 花びらに
香りに 思う なつかしさ
思い出に帰る 一時の
今の 思いを 明日へと
みんなみんなに こころ伝えて
夢をいっぱい 持っていこう
窓辺を 打つ 時雨小雨(しぐれこさめ)
涙の 後を 残してた
胸の 思いも 笑顔に
いつも 忘れない 希望(のぞみ)を
みんなみんなに 思い伝えて
夢をいっぱい 抱いていこう
夕焼け 小焼けの あかね色
沈む 夕陽に さそわれた
家路に 結ぶ 光の元に
暖かさ あふれる きずなを
みんなみんなに 気持ち伝えて
夢をいっぱい 与えていこう
「共通」と言っても、最近起こった「二件の元厚生事務次官の刺殺殺傷事件」に関する「共通」から、こう言うのではない。今の世の中の社会に横たわる、諸々の事柄に関して、ある「共通した」もの、「法則」みたいなものがあると見られるのである。
この「共通」したものとか「法則」みたいなものは、私達が教育で学んで、良く知っている事でもある。
だがそれを、「学んで、知っている」で済ませていて、それで終わりにしていて、というよりも、「良い」方に生かそうとはせずに、むしろ「悪い」方に使っている。
こういう「共通、法則」を、私達は、知ってか知らずか、使用している。
私達が「知ってか知らずか」使用している「共通、法則」とは、「出る杭は打たれる」ということである。
「評価して自分や自分を中心とするものを台頭」させる、「数値化して自分や自分を中心とするものを台頭」させる、「優位化して自分や自分を中心とするものを台頭」させるというが、私達は「個」としての存在ではなくて、「普遍的」な存在であるところから、身勝手な台頭になると「叩かれ」て仕舞う。
政治家なんかも、選挙で当選し民意を得たから、身勝手さを台頭させるものもいる。
その他、食品偽装、捏造、振込み詐欺、暴行や中傷やいじめ、贈収賄など、何でもあり、である。
こんな事も言える。
今日、少子高齢化社会が進んでいる。そして老夫婦だけの世帯、あるいは独居老人世帯も、多くなっている。殊に地方では、若い者が都会に憧れて出て行ってしまい、寂れた田舎に「ぽつんぽつん」とわび住いしている。
そして生活のために、夜遅く出歩き、交通事故に出会うという悲惨さがある。
「出る杭は打たれる」ばかりでなく、抜かれた後の穴に溺れている。
こういう「共通と法則」がある。
「出る杭は打たれる」ということわざは、こういうことを諌めることわざだったはずだが、私達はそれを生かそうとしていない。
尤も、こんな事を述べている私も「出る杭」なんだから、「しゃーぁない」。。。。。