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ニッポンのゆる~い日常

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2016-08-03 18:31:55 | 正論より
8月3日付    産経新聞【正論】より


戦後71年に思う 


国民の殉難を想起し、今日の戒めとする試み 靖國の英霊の大前が適しい 東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏


http://www.sankei.com/column/news/160803/clm1608030006-n1.html



 昨年の8月1日に靖國神社で戦後初めての「済南・通州両事件殉難者慰霊祭」といふ祭事が民間有志の発案により行なはれてゐる。

 ごくささやかな内輪の催しであつたし、特に広報にも努めなかつたので、参列者も多くはなく、こんな行事があつた事を知つてゐる人も少ないだらう。



≪無辜の戦争殉難者の慰霊≫


 それでも本年もその第2回の慰霊祭を8月6日の土曜日に斎行する予定である。偶々(たまたま)その日は広島に原爆が投下された記念日に当つてゐる。これは沖縄の地上戦終結の日、長崎の原爆被害の日、又東京の下町が大空襲を受けた日等と並んで過ぐる大戦で非戦闘員である一般市民が大量殺戮(さつりく)の悲運を蒙つた殉難の象徴的な日付と考へてよいと思ふ。本年は殊に広島の大虐殺の実行責任者である米合衆国大統領の、その70年後の後任者が現役の身を以(もつ)て原爆被害者の慰霊碑に詣で来り、謂(い)はばその罪責を自ら認めたのであるから、此(こ)の日を無辜(むこ)の戦争殉難者の慰霊を斎行し、その悲痛の記憶を新たにする日とするのは適切であらう。


 ところで昭和12年7月29日に発生した北京東郊通州での邦人居留民(内地人117名、朝鮮人106名)大量虐殺事件の惨劇について、筆者には別種の或(あ)る感慨がある。昭和61年夏の高校用国史教科書外圧検定事件の記憶である。



 あの時、原書房から刊行予定の『新編日本史』の監修者の一人として、筆者は文部省教科書調査官の検定意見を拝聴する立場に在つたのだが、この教科書に記述してあつた通州事件の悲劇については57年の検定虚報事件の跡始末として宮沢喜一官房長官の定めた近隣諸国条項の壁は何とか突破したものの、検定合格後に更に加へられたいはゆる外圧修正として遂に削除を命ぜられた記憶を持つ。その外圧とは、文部省は「向こう側」の要求だとしか言はず、それは何者かとの私共の反問に、只(ただ)、察してくれ、といふだけだつたが、本紙61年7月5日号は第1面に、それは北京政府と外務省内の親中派の事だ、と判然と認める体の記事を作つてくれてゐる。



 
 ≪常に国民意識の根柢に蔵し≫


 あれから本年で丁度30年が経過した。この間平成2年には故中村粲(あきら)氏の労作『大東亜戦争への道』が刊行になつて、済南事件、通州事件共に、漸(やうや)くその実相が具体的に記述されるに至つたが、それ以前は例へば『國史大辭典』の如き斯界の権威たるべき基本的文献に於いてさへも、中華民国側の虚偽宣伝をそのまま批判も加へずに引用したかの如き筆法によつて他人事の様に記してゐるだけである。



 通州事件については最近、藤岡信勝氏が、数少ない生存者からの証言の直接取材によつて極めて具体的な現場検証に近い研究を発表してをられる。この事件を歴史の教科書に記載するといふ懸案も、氏が執筆者の一人である中学校用の教科書で実現した由である。


 そればかりでなく氏と同氣同憂の方々は、この事件をユネスコの世界記憶遺産に登録を申請する事にまで踏み込まれた。首尾よく申請が承認される事を祈るばかりである。只、肝腎なのは我々日本国民各自が、この悲惨な事件を、謂はば国民共有の記憶遺産として、日本国の直面する国際関係の諸問題に対処するに当つて常に意識の根柢(こんてい)に蔵しておく事である。




 ≪今日現在の戒めとする≫


 同じ文脈で頭記の殉難者慰霊祭実行委員会代表の現代史研究家、水間政憲氏の「ひと目でわかる」との冠をつけたグラフ形式の近現代史再検証の連作が回を重ねて第9冊に達してゐる事の意味も大きい。重要なのは〈歴史を奪はれた民族は滅びる〉との有名な命題の裏返しとして、今我々は民族として生き延びるための条件である、忘却を強ひられた歴史の記憶を我が手に取り戻す事業を推進しなければならない、この一事である。


 念の為に注記しておくならば、靖國神社は嘉永6年の黒船来航以来、国事に身を捧(ささ)げて斃(たふ)れた人の霊を祀(まつ)るお社である。従つて済南事件、通州事件についても、日本居留民及び在外権益の保護といふ官命を受けての公務遂行途上で落命した軍の兵士達の霊は合祀されてあるが、外地で商工業に従事してゐた一般居留民の殉難者の霊は合祀されてはゐない。

 それは、戦闘員ではないが最後まで職場で公務についてゐて自決した樺太真岡の電話交換手達や、官命による学童集団疎開の途上で敵国からも安全を保障されてゐた乗船阿波丸を撃沈されて全員海没してしまつた一般乗客が合祀の対象になつてゐるのに、全国六十余都市に向けての米軍の戦略爆撃の犠牲者は、各自の生業の場での遭難である故に公務死以外は合祀されてゐないのと同じである。

 さうした宗教学上の問題はさて措いて、近現代に於ける対外関係の中での国民の殉難の歴史を想起し、改めて記憶に刻み、以て今日現在の戒めとするといふ試みは、やはり国民の守護神である靖國の英霊の大前でが適(ふさは)しいと思ふ。(東京大学名誉教授・小堀桂一郎 こぼりけいいちろう)











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