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ニッポンのゆる~い日常

朝日新聞記者の媚中記事DCから発信

2016-08-09 22:29:48 | マスコミ
朝日新聞記者の媚中記事DCから発信


http://japan-indepth.jp/?p=29489


古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)

「古森義久の内外透視」


「日本はいまこそ中国の南シナ海での無法な行動に理解を示し、中国抑止の国際的な動きに加わらず、対中関係を改善すべきだ」――こんな骨子の記事が英文でワシントンから発信された。中国の行動を非難せずにすべて受け入れるべきだとする中国政府の主張と同様のこの媚中論調は中国側からではなく、日本の朝日新聞記者からだった。


アメリカの首都ワシントンも8月の第一週となると、かなり静かになる。やはり多くの人たちが夏休みで旅行に出たりするからだろう。そんななかで旧知のアメリカ人元外交官から「こんな奇妙な記事をみたのだが、どう思うか」という問いあわせのメールがあった。貼り付けられた記事をみると、大手のシンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」の日本部が発信しているニュースレターの一部だった。


英文のその記事は「南シナ海裁定後の日中関係の新段階」というタイトルだった。発信の日付は8月1日、冒頭に筆者の名前がないので、とくにかく読み始めた。冗長な記事だが、我慢して読み進んだ。内容は確かに奇異だった。 



この記事はまず国際仲裁裁判所から中国が南シナ海での領有権主張を「根拠なし」と排されたことについて、もっぱら「中国は主権問題では第三国や国際機関の裁定は一切、受け入れないと以前から決めていた」「中国政府が国内のナショナリズムに配慮して対外的に強硬な行動や言明をとるのはやむをえない面もある」「中国外交は伝統的に言葉は強硬だが、穏健な問題管理の方法をきちんと見いだしてきた」などと、中国政府側の立場を擁護する。


さらに「中国はベトナムとの南沙諸島の領有権紛争では共同開発という穏健な解決も求めたことがあり、習近平政権は同様に妥協するかもしれない」などという明らかに事実に反する記述もあった。その一方、この記事は中国のそもそもの無法で侵略的な海洋攻勢を非難することはなく、また中国がアメリカや東南アジア諸国から厳しく糾弾されている事実にもほとんど触れない。



そしてこの記述がいかにも中国政府のプロパガンダのように響くのは、とくに日本関連の部分だった。今回の国際裁定に対し中国各地で抗議デモが起きたことを取り上げ、2012年の反日のデモや暴動になぞらえて、「先の事態では日中両国でナショナリズムが高まり、政府の政策選択を狭くした」「日本もナショナリズムの再現を防がねばならない」「日本は中国を今回の事態で追い詰めてはならない」というふうに、しきりに日本側の自制を求めるのだ。そのへんには論理がうかがわれない。


さらにこの記事は最大ポイントの主張として、日本が南シナ海での警戒航行など海上自衛隊をアメリカ海軍などとの共同安全保障行動に参加してはならないという点を再三、強調していた。「日本の南シナ海での軍事プレゼンスは日中両国間に深刻な緊張を生む」「日本は第二次大戦で南シナ海をも侵略の対象としたのだから、中国側はそもそも日本は南シナ海問題に関与する資格はないとみなす」などというのだ。とにかく自衛隊が南シナ海に出ていくことへの執拗な反対を繰り返すのだ。



まさに中国政府の主張そのものを転電したような記事だった。いまの日本に中国の南シナ海での無謀な拡大や国際仲裁での敗北に対してナショナリズムが高まっているなどという気配はどこにもない。日本の官民ともアメリカなどと歩調をともにして、国際裁定を支持し、中国の膨張戦略を批判するという範囲である。なのにこの記事は日本側に対してナショナリズムを排して、慎重に中国に向き合えと求めるのだ。


この奇妙な記事の文末に記された筆者の名をみて驚き、そしてなるほどとも感じた。筆者は朝日新聞記者の林望氏、CSIS日本部に客員研究員として出向中だというのだ。この林記者の記事がいかに奇妙で媚中であるか、その最終部分をさらなる例証として紹介しよう。



「中国の王毅外相が7月に意外にも日本の杉山晋輔外務次官と会談したことは日本との近隣外交を復活させる意思の表示だろう。日本はこの機会に国際仲裁裁判所の裁定を使って、中国との二国間関係を改善するべきだ。その日本の動きは中国政府に対する中国内部の圧力を緩和させ、より穏健で責任のある道へと進むことを助けるだろう。日本のそのような外交はアジア太平洋地域の安定への寄与を推進するだろう」




日本は今回のそもそもの南シナ海での中国の国際規範違反の行動も、その行動を悪だとした国際裁定もまったく無視して、ひたすら中国との関係を中国側が求める言動をとることによって進めよ、と主張するわけだ。これこそ日本の国益も国際的な規範も考えずに、ただただ中国に媚びる論調だといえよう。



私に最初にこの記事への問題提起をしてきた元アメリカ人外交官も「国際世論や米国の政策、そして日本の多数派の意見までを無視して、中国側の主張だけを正当化して宣伝するこんな記事がなぜCSISの名の下に出るのか、理解できない」と述べていた。ただし記事の末尾には「CSIS日本部はこの種の個別の記事や論文の内容には無関係である」という注釈がついていた。



ちなみに日本のネットで筆者の林望氏について検索すると、以下のような記述が出てきた。


≪林望(はやし のぞむ)は朝日新聞の記者、北京特派員。石原前東京都知事による尖閣購入計画や、日本政府による尖閣国有化に反対し、日本側が挑発して日中関係が悪化した、悪いのは日本側だとする視点からの記事を書き続けている≫




2016/8/9











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経済と違って外交は今も「戦後」のまま 「法の支配」に胸を張って終わりにしよう

2016-08-09 18:29:18 | 正論より
8月9日付     産経新聞【正論】より


戦後71年に思う 

経済と違って外交は今も「戦後」のまま 「法の支配」に胸を張って終わりにしよう 



拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏


http://www.sankei.com/column/news/160809/clm1608090007-n1.html


「もはや戦後ではない」。日本の1人当たり所得が戦前期の最高水準を超えた年の翌昭和31年の経済白書の結びである。対照的に政治外交においては日本の戦後はいまなお終わっていない。中韓が日本の歴史問題を繰り返し提起し、日本を過去に引き戻そうと躍起だからである。中韓の反日が収まる気配はない。しかし、私は日本が戦後を終えることのできない根因は、何より日本にあると考える。



 ◇精神をへし曲げられた日本人


 敗戦後の日本を実に6年8カ月にもわたり占領下においた連合国軍総司令部(GHQ)は、日本の戦前・戦中期の制度や思想を徹底的に排斥し、その時期の指導者のほとんどを追放した。占領期に開かれた東京裁判は日本を非道な「侵略国家」と断罪して結審した。GHQと東京裁判という強力なプレス機械の加圧により日本人はその精神をへし曲げられ、米国製の憲法を押し付けられて国家意識と国家自衛の観念までを剥奪されてしまった。


 この時代に青少年期を送った日本人の多くが否定的な自我形成を余儀なくされ、彼らが社会の指導層となるに伴い、自虐史観と呼ばれる思想を全土に蔓延(まんえん)させることになった。自虐史観を胸中に深く刻みつけ、日本を貶(おとし)める一大勢力となった人々が左翼リベラリストである。ジャーナリズムやアカデミズムの主流を占め、教育界や労働団体でもなお陰ることのない勢力をもつ人々である。日本を糺弾(きゅうだん)する主体がGHQや中韓ではなく、日本人自身となったというのが戦後日本の悲劇の淵源(えんげん)である。


 昭和30年を前後して発生した三井三池争議、砂川基地闘争、60年安保という反米運動、きわめつきのラディカリスト全共闘の破壊活動など、国家の根幹を揺るがす反体制運動が日本を苦しめた。しかし、日本の左翼反体制運動は、昭和44年の東大安田講堂事件で演じられた狂態のあたりから衰退期に入り、同年末の総選挙では自民党が圧勝、左右対立の国内政治は終焉(しゅうえん)したかに思われた。だが、そういかなかった。




 ◇中枢部に浸潤した自虐史観


 そうはいかなかった理由は2つある。1つは、この間、国内では影響力を発揮できなくなった左翼が、中国や韓国に向けて日本の悪を言い募り、中韓の反日攻勢に火を付け、そうして自虐の欲望を満たそうといういかにも屈折した運動を準備していたからである。歴史認識問題とは、左翼リベラリストが偽造して日本のジャーナリズムを沸き立たせ、これを中韓に「輸出」し、中韓の反日を誘発して日本を苦境に陥れるという怪異なる反体制運動である。


 もう1つの理由は、左翼リベラリズムに固有なものだと思われていた自虐史観が、あろうことか日本の自立自存を守護すべき政府や保守政党の中枢部にまで深く浸潤していたことにある。



 中韓の発する対日批判に諾々と応じてきたのは他ならぬ日本の政府と保守政治家である。昭和57年の高校歴史教科書の記述についてのジャーナリズムの誤報に端を発した中韓の反日運動の帰結が、宮沢談話として出された教科書検定基準における「近隣諸国条項」であり、日本の教科書に対する中韓の介入の根拠となった。


 恒常的になされてきた首相の靖国参拝の足が滞るようなったのは、昭和60年の中曽根参拝に対する社会党・朝日新聞の反対運動に呼応した中韓の猛反撃のゆえである。慰安婦問題などは朝日新聞が捏造(ねつぞう)して韓国の反発を誘発したプロパガンダの典型である。ここでは河野談話が決定的な役割を演じた。河野談話は自虐史観の保守指導層への浸透の深さを物語る。




 ◇「法の支配」に胸を張れ


 戦後50年の村山談話はそのきわめつきである。日本のアジア植民地支配と侵略は疑うべくもない歴史的事実であるとし、これに痛切な反省の意を表明した談話であった。村山談話の不可思議は、中韓の特段の要求があって余儀なくされたというよりは、自らの発意により日本の過去を露悪的に表明してみせたことにある。この談話に関する唯一の検証の書である和田政宗氏らによる『村山談話-20年目の真実』には、日本の指導者の性懲りもない自虐心理のありようが精細に描き込まれている。


 最近では「法の支配」という物言いが、中国の無法を難じる際の常套(じょうとう)句となっている。ならば日本は自国の行動についてもその言葉を用いたらどうか。日本は、サンフランシスコ講和条約によって連合国との、日韓基本条約を通じて韓国との、日中共同声明によって中国との過去の諸懸案は解決済みであり、条約や共同声明に記された条文と規範に則(のっと)り、つまりは「法の支配」にしたがってわれわれは粛々と生きてきたのだと胸を張って表明すればいい。それ以上は要らぬ他言である。



 戦後70年の安倍談話が出されてもう1年である。来年の8月になって私は同じような嘆息をまた吐きたくはない。


拓殖大学学事顧問・渡辺利夫(わたなべ としお)

















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経済と違って外交は今も「戦後」のまま 「法の支配」に胸を張って終わりにしよう

2016-08-09 18:29:18 | 正論より
8月9日付     産経新聞【正論】より


戦後71年に思う 

経済と違って外交は今も「戦後」のまま 「法の支配」に胸を張って終わりにしよう 



拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏


http://www.sankei.com/column/news/160809/clm1608090007-n1.html


「もはや戦後ではない」。日本の1人当たり所得が戦前期の最高水準を超えた年の翌昭和31年の経済白書の結びである。対照的に政治外交においては日本の戦後はいまなお終わっていない。中韓が日本の歴史問題を繰り返し提起し、日本を過去に引き戻そうと躍起だからである。中韓の反日が収まる気配はない。しかし、私は日本が戦後を終えることのできない根因は、何より日本にあると考える。



 ◇精神をへし曲げられた日本人


 敗戦後の日本を実に6年8カ月にもわたり占領下においた連合国軍総司令部(GHQ)は、日本の戦前・戦中期の制度や思想を徹底的に排斥し、その時期の指導者のほとんどを追放した。占領期に開かれた東京裁判は日本を非道な「侵略国家」と断罪して結審した。GHQと東京裁判という強力なプレス機械の加圧により日本人はその精神をへし曲げられ、米国製の憲法を押し付けられて国家意識と国家自衛の観念までを剥奪されてしまった。


 この時代に青少年期を送った日本人の多くが否定的な自我形成を余儀なくされ、彼らが社会の指導層となるに伴い、自虐史観と呼ばれる思想を全土に蔓延(まんえん)させることになった。自虐史観を胸中に深く刻みつけ、日本を貶(おとし)める一大勢力となった人々が左翼リベラリストである。ジャーナリズムやアカデミズムの主流を占め、教育界や労働団体でもなお陰ることのない勢力をもつ人々である。日本を糺弾(きゅうだん)する主体がGHQや中韓ではなく、日本人自身となったというのが戦後日本の悲劇の淵源(えんげん)である。


 昭和30年を前後して発生した三井三池争議、砂川基地闘争、60年安保という反米運動、きわめつきのラディカリスト全共闘の破壊活動など、国家の根幹を揺るがす反体制運動が日本を苦しめた。しかし、日本の左翼反体制運動は、昭和44年の東大安田講堂事件で演じられた狂態のあたりから衰退期に入り、同年末の総選挙では自民党が圧勝、左右対立の国内政治は終焉(しゅうえん)したかに思われた。だが、そういかなかった。




 ◇中枢部に浸潤した自虐史観


 そうはいかなかった理由は2つある。1つは、この間、国内では影響力を発揮できなくなった左翼が、中国や韓国に向けて日本の悪を言い募り、中韓の反日攻勢に火を付け、そうして自虐の欲望を満たそうといういかにも屈折した運動を準備していたからである。歴史認識問題とは、左翼リベラリストが偽造して日本のジャーナリズムを沸き立たせ、これを中韓に「輸出」し、中韓の反日を誘発して日本を苦境に陥れるという怪異なる反体制運動である。


 もう1つの理由は、左翼リベラリズムに固有なものだと思われていた自虐史観が、あろうことか日本の自立自存を守護すべき政府や保守政党の中枢部にまで深く浸潤していたことにある。



 中韓の発する対日批判に諾々と応じてきたのは他ならぬ日本の政府と保守政治家である。昭和57年の高校歴史教科書の記述についてのジャーナリズムの誤報に端を発した中韓の反日運動の帰結が、宮沢談話として出された教科書検定基準における「近隣諸国条項」であり、日本の教科書に対する中韓の介入の根拠となった。


 恒常的になされてきた首相の靖国参拝の足が滞るようなったのは、昭和60年の中曽根参拝に対する社会党・朝日新聞の反対運動に呼応した中韓の猛反撃のゆえである。慰安婦問題などは朝日新聞が捏造(ねつぞう)して韓国の反発を誘発したプロパガンダの典型である。ここでは河野談話が決定的な役割を演じた。河野談話は自虐史観の保守指導層への浸透の深さを物語る。




 ◇「法の支配」に胸を張れ


 戦後50年の村山談話はそのきわめつきである。日本のアジア植民地支配と侵略は疑うべくもない歴史的事実であるとし、これに痛切な反省の意を表明した談話であった。村山談話の不可思議は、中韓の特段の要求があって余儀なくされたというよりは、自らの発意により日本の過去を露悪的に表明してみせたことにある。この談話に関する唯一の検証の書である和田政宗氏らによる『村山談話-20年目の真実』には、日本の指導者の性懲りもない自虐心理のありようが精細に描き込まれている。


 最近では「法の支配」という物言いが、中国の無法を難じる際の常套(じょうとう)句となっている。ならば日本は自国の行動についてもその言葉を用いたらどうか。日本は、サンフランシスコ講和条約によって連合国との、日韓基本条約を通じて韓国との、日中共同声明によって中国との過去の諸懸案は解決済みであり、条約や共同声明に記された条文と規範に則(のっと)り、つまりは「法の支配」にしたがってわれわれは粛々と生きてきたのだと胸を張って表明すればいい。それ以上は要らぬ他言である。



 戦後70年の安倍談話が出されてもう1年である。来年の8月になって私は同じような嘆息をまた吐きたくはない。


拓殖大学学事顧問・渡辺利夫(わたなべ としお)

















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