2月15日付 産経新聞【正論】より
日本にもマッドドッグが必要だ 無抵抗主義は、現代の国際社会の常識では「悪」である
東京国際大学教授・村井友秀氏
http://www.sankei.com/column/news/170215/clm1702150004-n1.html
今回の日米首脳会談でも同盟強化が確認された。強い同盟は共通の価値観によって支えられている。日米は共通の価値観を持っているのか。
2月3~4日、「マッドドッグ(狂犬)」マティス国防長官が来日した。日本で嫌われる狂犬がなぜ米国で尊敬されるのか(議会承認で反対票は1票だけだった)。優しさを重んじる日本に対して米国は力を信奉する社会であり、マッドドッグは力の象徴である。
≪無視されてきた軍隊本来の任務≫
現在の世界には、テロや虐殺を防ぎ外国の侵略から自国を守る「正義の力」が存在する。正義の力は強ければ強いほど良い。
ところが、第二次世界大戦後の日本では戦争が徹底的に否定され、軍隊は国民を害する存在と見なされて「軍隊からの安全」だけが議論された。「軍隊からの安全」のためには軍隊は弱いほど良い。他方、軍隊の本来の任務である外国の侵略から国民を守る「軍隊による安全」は無視されてきた。日本ではなぜ「軍隊による安全」が議論されないのか。戦後教育の結果である。戦後の日本は戦争を深く反省し、戦争に関係あるものを全て否定した。その結果、日本人の思想が世界の常識からずれていったのである。
人間が行動する基準である道徳には、戦争時に必要な道徳と平和時に必要な道徳がある。戦争に必要な道徳とは、「戦友は助けよ、自身は死すべし」というものである。平和時に必要な道徳は「優しさ」である。戦場で勇猛果敢であることは善であり、敵に対して狂犬であることは悪いことではない。悪い奴と戦うときに「悪い奴を殺すのは楽しい」と言っている人間はよく戦うだろう。戦時に狂犬は役に立つのである。「優しさ」では悪い奴と戦えない。
≪平和主義は無抵抗主義か≫
勇気や自己犠牲といった「軍事的徳」といわれる道徳は、世界中の国で戦争時にも平和時にも必要な道徳とされている。しかし、日本では戦後、戦争に関係のある道徳として「軍事的徳」は学校教育の中で否定された。「強い国より優しい国」が戦後日本の道徳の基準になった。優しさと平和主義が教育とマスコミを支配した。
しかし、平和主義には問題がある。今、世界中の多くの国では、平和主義は無抵抗主義と同義であると見なされている。野蛮な軍国主義に抵抗しない無抵抗主義は、現代の国際社会の常識では悪である。現代の世界で正義とされている「反軍国主義」は軍国主義に抵抗する。悪に抵抗しない平和主義は正義ではない。国際社会が平和主義を否定するのは、「平和主義者が暴力を放棄できるのは、他の者が代わりに暴力を行使してくれているからだ」(ジョージ・オーウェル)。
米国ではなぜ3億丁も銃があるのか。3億人の国民が自分の身を自分で守ろうとしているからである。日本人はなぜ自分の身を守るために銃を持たないのか。日本人は自分が攻撃されれば、銃を持っている誰かが自分を助けてくれると思っているからだ。
数年前にアーミテージ元米国務副長官は、尖閣諸島を米軍が守ってくれるのかという日本人記者の質問に怒気を含んで答えた。「日本の兵士が米軍の前で戦っていれば米軍の兵士も戦う、横で戦っていても米軍の兵士は戦う。しかし、日本の兵士が米軍の後ろにいれば米軍は戦わない」
≪正義の戦いにも犠牲は生じる≫
現代の国際法と国連は、自衛戦争、植民地独立戦争、民族解放戦争などを正義の戦争と定義している。さらに、人権を蹂躙(じゅうりん)され虐殺されている人々を助けるために国連が紛争地に武力介入する「保護する責任」に参加するように国連は加盟国に求めている。
日本が正義の戦いに参加する場合、今の日本に欠けている部分がある。正義の戦いでも必ず死傷者が発生する。戦後の日本は戦争を無視し戦争から目を背けてきた結果、死傷者に対する感受性の高い国になった。正義の戦いに参加するためには、相応の犠牲を払う覚悟が前提になる。
もう1つ問題がある。日本のように長い間戦争を経験していない国では、戦争の時に誰が役に立つか分からない。日露戦争後に日本の陸軍省は次のように報告した。「概して平時鬼と称せらるる人若(も)しくは之に近き人は戦時は婦女子の如く之に反して平時婦女子の如き人に豪傑の多い事は否定の出来ぬ事柄である」「鬼大尉とか鬼小隊長とか評せらるるものに戦時案外臆病で中には日本の将校にコンナ弱い隊長が居るかと思ふ程弱い人が少なくない」。戦場のマッドドッグは平時は紳士である。
軍事力に頼る軍国主義国家がよく理解できる言語は軍事力である。軍国主義国家と交渉する場合、軍事力という共通言語によるメッセージは誤解を生む可能性が低い。現在、日本は隣国から強い軍事的圧力を受けている。不当な暴力を抑止するためには、戦う強い意志と強い軍事力を明示することが効果的であり、マッドドッグは戦う強い意志の象徴である。(東京国際大学教授・村井友秀 むらいともひで)
日本にもマッドドッグが必要だ 無抵抗主義は、現代の国際社会の常識では「悪」である
東京国際大学教授・村井友秀氏
http://www.sankei.com/column/news/170215/clm1702150004-n1.html
今回の日米首脳会談でも同盟強化が確認された。強い同盟は共通の価値観によって支えられている。日米は共通の価値観を持っているのか。
2月3~4日、「マッドドッグ(狂犬)」マティス国防長官が来日した。日本で嫌われる狂犬がなぜ米国で尊敬されるのか(議会承認で反対票は1票だけだった)。優しさを重んじる日本に対して米国は力を信奉する社会であり、マッドドッグは力の象徴である。
≪無視されてきた軍隊本来の任務≫
現在の世界には、テロや虐殺を防ぎ外国の侵略から自国を守る「正義の力」が存在する。正義の力は強ければ強いほど良い。
ところが、第二次世界大戦後の日本では戦争が徹底的に否定され、軍隊は国民を害する存在と見なされて「軍隊からの安全」だけが議論された。「軍隊からの安全」のためには軍隊は弱いほど良い。他方、軍隊の本来の任務である外国の侵略から国民を守る「軍隊による安全」は無視されてきた。日本ではなぜ「軍隊による安全」が議論されないのか。戦後教育の結果である。戦後の日本は戦争を深く反省し、戦争に関係あるものを全て否定した。その結果、日本人の思想が世界の常識からずれていったのである。
人間が行動する基準である道徳には、戦争時に必要な道徳と平和時に必要な道徳がある。戦争に必要な道徳とは、「戦友は助けよ、自身は死すべし」というものである。平和時に必要な道徳は「優しさ」である。戦場で勇猛果敢であることは善であり、敵に対して狂犬であることは悪いことではない。悪い奴と戦うときに「悪い奴を殺すのは楽しい」と言っている人間はよく戦うだろう。戦時に狂犬は役に立つのである。「優しさ」では悪い奴と戦えない。
≪平和主義は無抵抗主義か≫
勇気や自己犠牲といった「軍事的徳」といわれる道徳は、世界中の国で戦争時にも平和時にも必要な道徳とされている。しかし、日本では戦後、戦争に関係のある道徳として「軍事的徳」は学校教育の中で否定された。「強い国より優しい国」が戦後日本の道徳の基準になった。優しさと平和主義が教育とマスコミを支配した。
しかし、平和主義には問題がある。今、世界中の多くの国では、平和主義は無抵抗主義と同義であると見なされている。野蛮な軍国主義に抵抗しない無抵抗主義は、現代の国際社会の常識では悪である。現代の世界で正義とされている「反軍国主義」は軍国主義に抵抗する。悪に抵抗しない平和主義は正義ではない。国際社会が平和主義を否定するのは、「平和主義者が暴力を放棄できるのは、他の者が代わりに暴力を行使してくれているからだ」(ジョージ・オーウェル)。
米国ではなぜ3億丁も銃があるのか。3億人の国民が自分の身を自分で守ろうとしているからである。日本人はなぜ自分の身を守るために銃を持たないのか。日本人は自分が攻撃されれば、銃を持っている誰かが自分を助けてくれると思っているからだ。
数年前にアーミテージ元米国務副長官は、尖閣諸島を米軍が守ってくれるのかという日本人記者の質問に怒気を含んで答えた。「日本の兵士が米軍の前で戦っていれば米軍の兵士も戦う、横で戦っていても米軍の兵士は戦う。しかし、日本の兵士が米軍の後ろにいれば米軍は戦わない」
≪正義の戦いにも犠牲は生じる≫
現代の国際法と国連は、自衛戦争、植民地独立戦争、民族解放戦争などを正義の戦争と定義している。さらに、人権を蹂躙(じゅうりん)され虐殺されている人々を助けるために国連が紛争地に武力介入する「保護する責任」に参加するように国連は加盟国に求めている。
日本が正義の戦いに参加する場合、今の日本に欠けている部分がある。正義の戦いでも必ず死傷者が発生する。戦後の日本は戦争を無視し戦争から目を背けてきた結果、死傷者に対する感受性の高い国になった。正義の戦いに参加するためには、相応の犠牲を払う覚悟が前提になる。
もう1つ問題がある。日本のように長い間戦争を経験していない国では、戦争の時に誰が役に立つか分からない。日露戦争後に日本の陸軍省は次のように報告した。「概して平時鬼と称せらるる人若(も)しくは之に近き人は戦時は婦女子の如く之に反して平時婦女子の如き人に豪傑の多い事は否定の出来ぬ事柄である」「鬼大尉とか鬼小隊長とか評せらるるものに戦時案外臆病で中には日本の将校にコンナ弱い隊長が居るかと思ふ程弱い人が少なくない」。戦場のマッドドッグは平時は紳士である。
軍事力に頼る軍国主義国家がよく理解できる言語は軍事力である。軍国主義国家と交渉する場合、軍事力という共通言語によるメッセージは誤解を生む可能性が低い。現在、日本は隣国から強い軍事的圧力を受けている。不当な暴力を抑止するためには、戦う強い意志と強い軍事力を明示することが効果的であり、マッドドッグは戦う強い意志の象徴である。(東京国際大学教授・村井友秀 むらいともひで)