二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

時間の捉え方

2011年11月17日 | 言葉のちから 心のちから
早いもので今年も残すところわずかとなってきました。

年末に近づくと、「一年あっという間だったね~」「年をとるごとに一年が早く感じるね」なんて会話がよく聞かれますし、患者さまともそんな話をすることが多々あります。

さて、時間は皆に平等に与えられているものであって、その時間の過ごし方は人によって、その人の環境によって変わってくるのだと思います。当たり前ですね。
私は、「地球が木星くらいだと一日何時間になるんかな~」「それくらい時間がほしい」なんて思うこともあります

 長短久速は心が決める 

 怠惰の冬日は、何ぞ其の長きや。勉強の夏日は、何ぞ其の短きや。
 長・短は我にありて、日に在らず。

 待つあるの一年は、何ぞ其の久しきや。待たざるの一年は、何ぞその速やかなるや。
 久・速は心に在りて、年に在らず。

【怠けて過ごしていると短い冬の日でも、なんと長いことか。
 勉め励んでいると、長い夏の日でも、なんと短いことか。
 この長い短いは自分の心持ち次第であって、日そのものにあるのではない。

 また、何かを楽しみに待っている一年は、なんと待ち遠しいものか。
 何も待つことのない一年は、なんと速く過ぎていくことか。
 この久しい速いは心持ち次第であって、年そのものにあるのではない。】


『佐藤一斎 一日一言』  渡邉五郎三郎 監修



さて、今までの一年、一日はどうだったかと自分なりに考えると、やることが、た~くさんあって感謝と悲鳴をあげながら過ごしてきました。

時間の捉え方は、自分の心持ち次第。

だったら、これからどう過ごすのか

私は、元気に、笑顔で、一所懸命、そして大きな夢に向かって「今、この時」を過ごしたいですね

人生は自分のみぞ知る ですかね


二葉鍼灸療院 田中良和

流行してほしいウイルス

2011年11月11日 | 言葉のちから 心のちから
さて、もうすぐインフルエンザが流行する季節となってきました。

ここで日本に、世界に蔓延してほしいウイルスをご紹介します


 流 行 

  世界のどこかで
  今も 戦争がおこっている

  日本の何処かで
  いじめも起きている

  やさしさの
  インフルエンザが
  流行しないかしら

  思いやりの症状が
  まんえんすればいいのに


 『 百 歳 』  柴田トヨ 著



100歳の詩人、柴田トヨさんの新しい詩集から、ちょいとご紹介いたしました。

柴田トヨさんの詩集は、患者さまからご紹介があり、読んでみると、すごくきれいで素直な心になれました。
100歳になって、なお、自分らしい生活をされている柴田さんはスゴイなと思います。苦労もされたでしょうけど、いい笑顔と、いい年輪の重ね方をされているな~と思います。私も見習おっと

日本に、世界に「やさしさウイルス」が流行し、全世界的に感染するといいですね

そして、体中から「思いやり」症状が発症し、その症状が皆に強く発現するといいですね

「やさしさウイルス」や、重度の「思いやり」症状に対しては、ワクチンも予防接種も抗ウイルス剤も必要ありませんからね


二葉鍼灸療院 田中良和

「今」は二度とやって来ない!

2011年11月07日 | 言葉のちから 心のちから
FacebookとMixyにブログをリンクすることを初めてみました

人生は「今」しかないようです。当たり前ですか

「今」、明日を思うから、明日は明日であって、
「今」、「あーしとけばよかった」と思うから、過去は過去です。

ということは「今」しかないですね  だから、「今」を一所懸命、楽しく、笑顔で、やっていかないとね


 人の一生は、一回限り 

 人の一生は、なんとしても一回限りのものである。

 絶対に二生はない。

 生まれ変わったということはあるが、それは、ただ観念的に想定したニ生なのだ。

 現実のニ生というものは決してないのが実際である。


 『中村天風 一日一言』  中村天風財団[編]



よっしゃ、さらに、やる気が出てきたぞー

いろんな環境、いろんな状態、いろんな立場はあると思いますが、「今」を一所懸命やるぞって心は持っておきたいですよね 


二葉鍼灸療院 田中良和

感応の原理

2011年11月05日 | 言葉のちから 心のちから
今年も、はや11月ですね

ブログ更新も停滞中。今度、医学的、鍼灸治療的なブログ(成長期のスポーツ障害、ガン、不妊症)は、いい報告、いい情報もあるので、順次更新していきたいと思います。


今日も小さなことでもいいから感動しよう


 感応の原理 

 ≪我、自ら感じて、しかる後に、人これに感ず≫


  まず、自分が感動して、そののちに人を感動させることができるのである。
  自分が感動しないで、他人を感動させることなどできるはずがない。


  『佐藤一斎 一日一言 ~言志四録を読む~』  渡邉五郎三郎 監修



当たり前なことだけど、当たり前のことって、できていないことが多いんですよね。

自分が「嬉しい」「楽しい」「素晴らしい「美しい」「幸せ
と、感動することで、そこに素敵な、気持ちいいエネルギーが生じます。

そのエネルギーは言葉となって、笑顔となって、態度となって、行動となって、周囲に伝播していきます。


さ~て、今日はどんなことで感動するのか楽しみです

素敵な一日の、はじまり~ はじまり~ 


二葉鍼灸療院 田中良和

新しい朝が来た!

2011年10月06日 | 言葉のちから 心のちから
新しい朝が来ました。

「朝は希望に目覚め、昼は努力に生き、夜は感謝に眠る」星稜高校野球部時代に監督さんより頂いた言葉です。

朝は生まれ変わった自分です。

睡眠によって多くの細胞が生まれ変わっています。

だ・か・ら、昨日の自分ではない新しい自分の、新しい人生劇場のスタート

それが今日の朝 です。


 導き 


 どれほどの忙しい日々の中でも

 自らの手で 米粒ほどの喜びをつむいで

 光を灯そうとする気持ちが

 幸せへと導いてくれる

『なぜ人は こんなにも 許されたいのだろう 愛の章』  Chie 著


 祝福 


 人生は常に祝福されています

 たとえ好ましくない状況が 起こったとしても

 それもまた 大きな祝福なのです

 あなたがより深い喜びに至るために

 「いま」必要なことしか起こりません

『守護天使から あなたに伝えたいこと』  中森じゅあん 著



小さな喜びに感謝して、今日もいろんな出会いや、いろんな出来事が起こると思います。
それを自分の幸せ、自分の内にある幸せを感じて、今日という二度と来ない時間を大切にしていきたいですね

ちょっと早起きして、チラッと開いた本から、少し「今日」「朝」というものに思いを馳せてみました。

さあ、今日も楽しく、笑顔でいくぞいね


二葉鍼灸療院 田中良和

志を立てるということ

2011年09月30日 | 言葉のちから 心のちから
9月から10月に移るこの時に、標題にあるような「志を立てる」ということについて考えてみました。

ブログでの報告は溜まっていますが、「今」書きたいと思ったことをブログの神様が降りてきましたので書きたいと思います。少々長くなるかもしれません。ご了承くださいませ


私の師匠(東洋医学研究所 所長 黒野保三 先生)の人生を一言にすると『真実の探求』。鍼灸医学、鍼灸医療とは何か、そして、国民に理解される鍼灸医療とは何かということを40年以上経過した今もなお、ぶれることなく、あふれる情熱と信念で基礎的に臨床的に研究されています。そして、その志を意気に感じた鍼灸師が内弟子、外弟子として集っています。
私もその一人ということです。

私は開業させて頂き14年目になりますが、時が経つにつれ師匠の偉大さを実感します。それは、師匠を離れさ、その環境を離れ、いろんな同業者や社会を目の当たりするからだろうと感じます。

特に差を感じるのは、その道(仕事)に対する志の質です。そこのところを昭和12年、13年くらいに教師養成学校いわゆる「師範学校」での修身の教鞭が記録として残っている、森 信三 先生の『修身教授録』から抜粋し、題材にして考えてみます。

 第34講 国民教育の眼目 

≪諸君はこれから二年たつと、少なくても資格の上では、立派に一人前の先生として教壇に立つわけですが、それは、教科書の内容を、型通り子どもたちに授けるということだけですむわけではないのです。

すなわち真の教育というものは、単に教科書を型通りに授けるだけにとどまらないで、すすんで相手の眠っている魂をゆり動かし、これを呼び醒ますところまで行かねばならぬのです。すなわち、それまではただぼんやりと過ごしてきた生徒たちが、はっきりと心の目を開いて、足取り確かに、自分の道を歩みだすという現象が起こってこなくてはならないのです。

しかしながら教師その人に、それだけの信念の力がなければならぬでしょう。すなわち生徒たちがその眠りから醒めて、自ら起こって自分の道を歩みだすためには、まず教師自身が、全力を挙げて自分の道を歩まねばならぬでしょう。≫



これは教師の部分を鍼灸師にしても通じるところがあります。
「相手の魂を揺り動かす」いい言葉です。相手を魂から動かすのは自分自身の信念の力のなせる業ということですね。


≪かくして今日教育の無力性は、これを他の方面から申せば結局「志」という根本の眼目がかけているということでしょう。なるほどいろいろな学科を型通りに習いはするし、また、型通りに試験も受けてはいます。しかし、肝腎の主人公たる魂そのもは眠っていて、何ら起ち上がろうとしないのです。

というのも志とは、これまでぼんやりと眠っていた一人の人間が、急に眼を見開いて起ち上がり、自己の道を歩き出すということだからです。今日わが国の教育上最も大きな欠陥は、結局生徒たちに、このような「志」が与えられていない点にあると言えるでしょう。何年、否十何年も学校に通いながら、生徒たちの魂は、ついにその眠りから醒めないままで、学校を卒業するのが大部分という有様です。

ですから、現在の学校教育は、まるで麻酔薬で眠りに陥っている人間に、相手かまわず、やたらに食物を食わせようとしているようなものです。人間は眠りから醒めれば、起つなと言っても起ち上がり、歩くなと言っても歩きださずにはいないものです。食物にしても、食うなと言っても貪り食わずにはいられなくなるのです。

しかるに今日の学校教育では、生徒はいつまでも眠っている。ところが、生徒たちの魂が眠っているとも気付かないで、色々なものを次から次へと、詰め込もうとする滑稽事をあえてしながら、しかもそれと気付かないのが、今日の教育界の実状です。それというのも私思うのですが、結局は、われわれ教師に真に志が立っていないからでしょう。すなわち、われわれ自身が、真に自分の生涯を貫く終生の目標を持たないからだと思うのです。

すなわち、この二度とない人生を、教師として生きる外ない運命に対して、真に志というものが立っていないところに、一切の根元があると思うのです。しかしそんなことで、どうして生徒たちに「志」を起こすことができましょう。それはちょうど、火のついていない炬火で、沢山の炬火に火をつけようとするようなもので、始めからできることではないのです。≫



自分もそうですが、そこに意識がないと、あるいはその道(仕事)に対して志というものがないと、周りから何を言われてもまったく耳に入ってこないですし、耳に入ってこないのですから、心に響くこともないですし、腑に落ちることもありません。
小さいころから夢というか、その楽しい夢を実現するための原動力である「志」を養う教育をすることは大切なことだと思いますね。その「志」があればこそ、自分自身の魂の力が発動され、見るもの、聞くもの、触れるもの、経験、すべてが素直に自分の勉強となり知恵となっていくのではないかと思いますね。

「魂を目醒めさせる」「志を立つ」いい言葉です。


≪諸君らは、今生徒としての現在において、やがて来るべき日の自分の姿にみじめさが見えるくらいでなくては、とうてい真の教師にはなれないでしょう。

すなわち「自分もいつまでもこんなことをしていたんでは、大した教師にはなれないだろう。一端の教育者となるには、何とかして現在のこの生温さを克服しなければならぬ」と、日夜思いつめるところがなくてはならぬのです。この思いつめる力そのものが、実は刻々に、自分に対して内面的な力を与え、それがやがてまた将来の飛躍への原動力となるのです。

このように教育の力は、何よりもまず教師自身の自覚の力に待つとしたら、さらに一歩すすめて「では、そのような教師の力は、一体どこから出てくるのか?」この点を明らかにしなくてはならぬでしょう。それには人によって、多少考え方の違いはありましょうが、結局それは、わが国の現状、並びに将来を考えるということが、その根本をなすでしょう。

すなわち国民教育者としての真の自覚は、何よりもまずわが国現下の国情について、深刻に憂えるところから来るのです。人間も、単に個人的な名利を求める動機から出る熱心さは、たいてい限度のあるものです。

かくして真に尽きせぬ努力というものは、結局私欲を越えて公に連なるところから初めて生まれると言えましょう。それはいわば普通の井戸と、掘りぬき井戸との違いのようなもので、普通の井戸ではいくら水が出ると言っても、そこには一定の限度があります。ところが掘り抜きの井戸となりますと、最後の岩盤が打ち抜かれた以上、昼夜をおかず滾々として湧く水には限りがありません。その上、普通の井戸のように、一々吸い上げる手間さえいらないのです。同様に人間も真に公ということが分かり出しますと、限りない努力をしながら、しかも疲れを覚えなくなるのです。≫



常に自分の現状に対して危機感を持って、その道に臨む。そして、常に自分の理想とする姿を思い描きながら、反面、今、生温い状態で妥協した時の自分の将来像をも自覚して、そうならないように「今」を大切に生きることが書かれているのかな、と思います。

そして、その志に根ざした努力というものは、ただ私利私欲のためではなく、他者のため、周囲の人のため、患者さんのため、地域医療のため、など公のためでなくては、本来の魂から湧き出てくる無尽蔵なパワーを得ることはできないとも話されています。教育界に限らず、私たちの業界も、日本のすべてにおいて、助け合う、お互いを思い合う、他利の精神という公を重視する心の大切さはこの文章の通りです。そして、私たちは未曽有の大災害の経験により日本人として、日本の精神文化としての心の在り方を再認識しています。


≪そこでどのような困難が来ようとも、いささかもだじろぐべきではないでしょう。同時に現下のこの国状が分かるなら、たとえお互いかすかたる存在にすぎないとしても、そこに自らの進むべき一路を開かなくてはならぬと思うのです。

同時にそれは諸君らにとっては、まさに生涯の道でなくてはならぬと思います。すなわち諸君らは、自分の進むべき方向を国家の運命に照らして見る時、そこには自分独自の角度から、自己を捧ぐべき途が見出されるわけであります。かくしてそこには、自分の生命に徹することが、やがて民族の生命と切り結ぶとも言えましょう。

同時にここまで来なければ、国のために尽くすなどと言っても、未だ十分なものとは言い難いでしょう。同時にその時、かような教師によって教えられる生徒たちも、またその光に照らされて、それぞれ自己の「道」を見出すこととなりましょう。国民教育の眼目と言っても、結局はこの外にないと思います。≫


『修身教授録』  森 信三 著



自分の仕事や行いを国家や公、現在は情報がグローバル化しているので世界も含めて全体の大きな視点から考え、そこに自分の今まで歩み、学んできたエッセンスからのものの見方を加え考える時、自分なりの世の中への貢献の道が見えてきます。そして、自分が充実し幸せだと思う道は、実は世の中の皆さまの幸せにも繋がっているのだと書かれていると私は感じます。

教育とは、その人の人生に夢や志を立て、公や思いやりなど他利の精神で道を捉え、そのように人生を実践として歩める精神力を形成することだと思いました。

このことは、自分の仕事である、鍼灸医療にも言えることです。置き換えると学ぶ点がたくさんあるんですよね。

私たちも含め、この国の未来を支える子どもたちを、教え育むためには、上記のようなことを実践し、精神として腹におさめている教師、師匠と出会うことなのでしょう。

これからさらに大きな変化を迎えるだろう世の中において、人の精神に流れる変わらない大切なものを教えて頂いたと思いましたので、長文となってしまいました。

最後までお読み頂きまして、ありがとうございます


二葉鍼灸療院 田中良和

心が向かう方向で人生の道筋は決まる

2011年09月08日 | 言葉のちから 心のちから
自分の人生は誰が決めるか それは誰でもない自分の心、自分の考え方しだいなのでしょう


 不運だと思えば不運になる 

あなた方の心の中の考え方や思い方が、あなたたちを現在あるがごとき「あなた」にしているのであります。

だから、俺は体が弱いと思ってりゃ体が弱い。
俺は長生きできないと思ってたら長生きできない。
俺は一生不運だと思えば不運だ。

自分の念願や宿願、やさいく言えば、思うことや考えることが叶う、叶わないということは、
それが他にあるんじゃないよ。
あなたたちの命に与えられている心の中にあるんだよ。


『中村天風 一日一話』  中村天風財団[編]



世の中、人間関係も、社会構造も、何もかも広く複雑になってきていますが、自分の思いが自分の人生を創っていくということは変わらない真理だと思います。

それぞれ、いろんな環境、いろんな状況、いろんな条件のもと日常生活を送っていますので、心の在り方や、思考の仕方、ものの捉え方も千差万別です。

しかし、自分の心の状況、思考の状況が、人生に影響を及ぼすことは感じることができると思います。それが故に、私はワクワクするような夢や目標に向かって、心や思いの標準を合わせていたいですし、愛ある、温かい心を持って、それを思考の栄養素にしていきたいですね。

東日本大震災や台風による大雨で多くの人の命が失われました。いつ何が起こるか分からない時代だからこそ、そんな心で毎日を過ごしていれば、きっと、どん底からの脱出も早まるのかもしれません。

「思いは大きく、行動は足下から」そんなことを心がけているこの頃です。


二葉鍼灸療院 田中良和

試練を輝かせる人々

2011年07月26日 | 言葉のちから 心のちから
人生なかなか思い通りにいかないものですね

今日はちょっと落ち込んでいるので、なかなか文章が思い浮かびません

 試練を輝かせる人々がいる 

 私たちがこの世界を生きていく上で避けて通れない試練―。

 試練とは、私たちに突きつけられる望まざる厳しい現実です。仕事の不振、業務の悪化、計画の挫折、リストラ、会社の倒産、受験の失敗、いじめ、家族や友人、隣近所との人間関係のトラブル、家族や伴侶との死別、離婚、病…。それは、多くの場合、願っていることが阻まれ、積み上げてきたものが台無しになってしまうような事態です。ときには、私たちの生活や人生を一変させてしまうような過酷な現実をもたらします。

 しかし、その一方で、試練は、不思議と人生を輝かせてきたものでもあるのではないでしょうか。多くの困難を与え、労苦や忍耐を強いる試練を通じて、重要な発見をしたり、現実を深化・発展させたり、人間的な成長を果たしたりする人々がいます。それは、その本人にとっては得難い経験と言えるものでしょう。

 試練は、ただ乗り越える壁としてあるだけではなく、新しい現実、新しい次元への門になり得る―。
 
 彼らが教えるのは、試練の重圧に屈することなく、その試練を通じて、願いを具現できる生き方があるということ。試練があったからこそ、唯一無二の人生を開花させることができるということです。

 そして歴史を顧みるなら、私たちはそのように試練を受けとめ、試練を輝かせてきた先人の例をいくつも見いだすことができます。

『Calling 試練は呼びかける』  高橋佳子 著


試練を乗り越えるには、そこに意味を見出すこと、それは何のための自分に対するメッセージなのか、試練に意味や価値を見出だすことなんでしょうね。

いや~でも、今日は飲みまっせ
 (お酒に逃げるんではないですよ 心の切り替えのためにです
 

日に新たに、日々に新たな心で、朝を迎えるためにも


二葉鍼灸療院 田中良和

私の好きな人物  西郷隆盛

2011年07月22日 | 言葉のちから 心のちから
私は個人的に、西郷隆盛という人物、言葉、人生観、道が大好きなので~す

善なるものと、悪なるもの、そう簡単に白黒つけることのできないのが、また、世の中ですが、昨今の社会の現状から、善と悪、陰と陽、明るい未来と暗い未来、「今」は、その狭間で混沌としている状態ではないかと思うのです。

これから大切なものに気づき充実した誠の人生を歩んでいくのも、何も意識せず、学ばず、表面的な価値観に流される人生を歩んでいくのも、自分の心しだいでなかろうか と私は思うわけです。

【南洲翁遺訓 二十四条】

 ≪道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬とするを目的とす。
  天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て、人を愛する也。    ≫

(訳)
 道というのは、この天地のおのずからなるものであり、人はこれに則って行うべきものであるから、何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。
 天は、他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって、人を愛することが肝要である。


『人生の王道 ~西郷南洲の教えに学ぶ~』  稲盛和夫 著



世界には68億人の人々が暮らしています。その一人ひとりに、それぞれの人生があります。天は誰かを優遇するというわけではなく、その人なりの人生が、誕生とともに用意されているのでしょう。あるいは、自分を成長させるべく、自分で天にしたがい、その人生を選んで生まれてくるのだと、私は感じています。

自分は奇跡的な確率でこの世に生まれたわけですから、その人生には必ず意味があると思うのです。どのような人生であっても。
そんな人生を、そんな自分を愛するというか、感謝すること、そして歓びあふれる存在であり、何かを求めるために生を受けているのだと私は捉えています。

そんな自分の命、存在を心から愛し感謝するように、他人や社会を同じような心で捉える事が大切だと西郷さんは言っているのだと思いますね。

それが天を敬うことになるのでしょう。自己を認め、他人を愛する。自利他利とでもいいましょうか。

結局は、心の中に備わっている、愛や感謝というものを、どう引き出すか、すべて自分が責任者であり、人生を創るのも自分の心しだいなのでしょうね。そんな心の指針として、西郷さんの言葉は心に響くのでありま~す


二葉鍼灸療院 田中良和

「まごころ」の尊さ

2011年07月12日 | 言葉のちから 心のちから
言葉や行動が何の見返りもなしに、自分の中から出てくるのが理想ですが、なかなか難しいですね。

我欲がたくさんある私にとって、「自分が」と考えて、見栄を張ったり、頭に来りと、まだまだ人間が出来ていない自分を情けなく思ったり、まだ伸びる可能性があると…前向きに考えたりしている今日この頃でござ~る

☆ 「まごころ」の尊さ ☆

  ちょっと一杯の茶を出すのでも、
  「はい」と返事をするような些細な行為でも

  そのとき、何の報償をも念頭に置かず
  すなわち、その人に気に入られようとか、
  あるいは、好感を持たせようとかいうような気持ちではなく、

  そこに一点何の求むるものなき、純粋無雑な「心」で、それが行われるとき、
  その行為から、形容のできない温かいものを感じる。

  それはすなわち「まごころ」というものの持つ尊さの感応である。


  『中村天風 一日一話』  中村天風財団[編]


人間ですから、欲はあって当然ではあるが、他者を思い、利他の精神で、常に謙虚に物事に対応することが大切なんでしょうね。

人の心根は、根本はみな温かく善なるものなのだと思いますね。いろんなものが、その善なるものを覆って、太陽が雲に隠れるごとく光が閉ざされている場合は、その言葉も行動も、その覆い尽くされた欲から生まれたものになるんではないのかな~などと思っています。

生活の端々に人生の修行の場があるんでしょうね。

自然に出る「まごころ」を大切に、明日からまた、楽しくやっていくぞ~と誓うのでした。

おしま~い(久しぶりに短いでしょ


二葉鍼灸療院 田中良和

人からすごいと思われなくたっていいんだよ!

2011年07月02日 | 言葉のちから 心のちから
人は、他人の評価をすごく気にしますね。私もその一員だったりします。

周囲に対して気配りをすることは大切ですが、その反応や評価を気にしすぎると、心の中にわだかまりが出来てきますよね。

自分の心のスタンスとしては、どのような位置で物事に対応するのがいいのでしょうか

☆ 人からすごいと思われなくたっていいんだよ ☆

≪僕のところに来ると、みんな力が抜けちゃうみたい。会う前は、「何だか、すごいお坊さんらしいぞ」なんて思って、緊張してカチカチになってやってくるから。
こないだ訪ねてきた人もね、お堂を出たとたん、「安心したわ~」なんて言ってたよ。「本当に行をしたんですか?」なんて聞く人もあるよ。「したことになってんですね?」なんて、こっちも首をかしげたりしてな。

…中略…
        
だから信者のおばさんからは「阿闍梨(アジャリ)さんらしくちゃんとしてください」って怒られちゃう。「ええんじゃ、おれはおれだ」なん居直ったりして。こんなこと言ったらお坊さんたちに怒られるけど、行をしたからすごいってことはないんだよ。何の行を満行しました、何やりましたってことばかり競っているんだったら、タイトルを取りっこしているようなもの。それはもう行じゃない。

いくらどんな行を何回やっても、何もつかむところがなかったら何の意味もないよな。それだったら、たった一日でもいい、深いところを味わいながら、丁寧に歩いてみるほうがいいかもしれない。

人が忘れていたことや、大切なことをちゃんと教えてくれるから。

人からすごいと思われなくたって、いいんだよ。≫

『一日一生』 酒井雄哉 著(天台宗 大阿闍梨)


どうしても人からの評価を気にしたり、自分の知識や名誉をひけらかしてしまうのが、人の一面であることは事実です。今の自分の状況にはぴったりくる言葉かもしれません。そんなことを意識するのではなく、大きな目標に向かう情熱と、日々感謝を忘れないようにすることが大切だと認識しました。再度ね。

いろんな仕事を任され、人の上に立って、人を指導していく立場になればなるほど、こんな気持ちが大切かなと思いますね。けっしてお偉い様になってしまってはいけないと、私自身、常に意識においていることです。意識に置くってことは、意識しないとお偉い様になってしまう危険を自覚しているということなのかもしれませんね。

一日一生、感謝しながら、小さなこと、些細なことでもいいから、深いところを味わい、何かを気づいていきたいですね

二葉鍼灸療院 田中良和

一日一日、「今」という時

2011年05月27日 | 言葉のちから 心のちから
忙しい時も、常に自分の心を見つめ、瞬間瞬間を反省し、次の瞬間には、小さくでもいいから成長していきたい、一歩踏み出したい…と常々思っています。


☆ 一日一日にけじめをつける ☆

≪今日という日は、すべての人に平等に訪れるかけがえのない一日である。自己の人生にとって初めて訪れた日であり、また、決して再び訪れることのない日である。

だから、この一日を粗末にする人は、毎日を粗末に過ごし、一生を粗末に過ごすことに通ずる。

一日一日にけじめをつけていこう。今日のことは、今日やってしまおう。これは、忙しいとか暇があるとかの時間の問題ではない。志の問題である。

「明日にしよう」という弱い心に、自ら鞭を打て。明日という日には、また明日やるべきことが待っている。≫

 『土光敏夫 信念の言葉』  PHP研究所 編



土光敏夫さん、というと、戦後の日本経済を牽引し、日本の政策決定に大きな影響を及ぼしてきた経済人です。

戦後の大変な時期に多くの苦労をしながら80歳後半まで現役で働き、91歳に亡くなられるというエネルギッシュな人でもありました。

知識や口先ばかりでなく、日本や国民、社員のことを真から思い、その志のために実践されてきた人物の言葉というのは心に響きますし、本当に貴重で重い言葉ですね。

一日一日にけじめをつける、日々新たに事に臨むことは、できているようで、できていないものです。自分を振り返ってですが…

 「今日やれることは、今日やる」 これを心がけるだけでも違いますね

悔いのない一日を過ごしましょ~ね

二葉鍼灸療院 田中良和

明日より今を

2011年05月04日 | 言葉のちから 心のちから
5月に入り、心に刻んでおきたい言葉をもう一つ。

~ 明日より今を ~

≪何事につけ、今日以後の人生に対する計画、つまり明日どうしよう、今後どうしようということを考えることは非常に必要ですけれども、もっともっと大切なことがあるんだよ。

それは、たった今を正しく生きるにはどうすりゃいいだろうということ。

これをたいていの人は忘れちゃいないかい? 明日はどこへ行こう、明後日は何をしようと考えて、現在只今を、ちっとも尊く生きてない人がありゃしないか?≫

『中村天風 一日一話』  中村天風財団 編


ただ今を尊く生きる…できているようで、なかなかできていないことですね

明日や数年後を憂いて、心配し過ぎたりしていることも多々あると思います。今の心が将来を創るとも言われています。ですから、今月も、今を尊く、ただ今の心のイメージは、自分が夢を実現している姿を思い描いて過していきたいな~と思いますね。

二葉鍼灸療院 田中良和

善を積む

2011年05月04日 | 言葉のちから 心のちから
今年も早いもので5月になりました。

今月の、私が心がける言葉を書いておきたいと思います

~ 積善の家には必ず余慶あり ~

 積善の家には必ず余慶あり。積不善の家には必ず余殃(ヨオウ)あり。

≪この言葉は「善を積む家には子々孫々の後まで喜びがあり、不善を積む家には後世まで災禍がある」という因果応報の意味で使われるが、本来は、

日々の小さな善を積んでいけば必ず慶びに行き着き、日々不善を積んでいれば必ず禍に行き着くという意味。

何事も積み重ねていくと層が厚くなる。

だからこそ、何を積んでいくのか、層の薄いうちに細心の注意を払わなくてはならないという教えである。≫

『易経 一日一言』 竹村亞希子 編


どんな心で、何を人生に積み上げていくかですね。

その時も、けっして「自分はこれだけやっているのに~」とか「なぜ評価してくれないんだ」「どうして運が良くならないんだ」という見返りを求めずにやっていきたいなと思います。

感謝の気持ち、報恩の心、他利の精神を大事に今月もやっていきたいですね

二葉鍼灸療院 田中良和

人生と心の法則

2011年04月11日 | 言葉のちから 心のちから
自分の現状、状況、その時々に心に響く言葉あり~

「今」の自分に響いた言葉 その四


われわれの生命の中にある肉体はもちろん、精神生命も、一切の広い意味における人生の事柄は、心の運用如何によって、決定することができる、という真理を、私は悟り得たのである。

 「人間の心で行う思考は、人生の一切を創る」

この法則を厳として自覚して、常に、この法則を乱さないように活きるならば、人生は期せずして、大きな調和のもとに満たされる。そして、無限の強さと、生命の無限の自由というものは、自然的に出てくる。

 『中村天風 一日一話』  中村天風 著



肉体と精神(魂)を繋ぐ心。その心をコントロールすることが、人生を創っていくのでしょう。心を常に明るく、前向きに、積極的に。

時に、落ち込むこともあるけど、マイナス思考になることもあるけど、その時間を短く、瞬間瞬間、心を刷新していけばいいのかもね

さて、どんな心で人生を描いていきましょうかね


二葉鍼灸療院 田中良和