二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

プロの目

2011年04月11日 | 言葉のちから 心のちから
自分の現状、状況、その時々に心に響く言葉あり~

「今」の自分に響いた言葉 その三


【至るを知りてこれに至る、ともに幾を言うべきなり。(文言伝)】

 わずかな兆し(幾)を観て、それが何を意味するか、その全体像を知り、どう対処すべきかを考えて答えを見つける、ということ。
 例えば、小さなネジの脱落から大事故の前兆を感じ取り、機器を点検して事故に至るのを防ぐようなことをいう。
 毎日同じことを繰り返し、熟練すると、いつもと違う何かに気がつく能力が養われる。
 これが兆しを察する力、「プロの目」である。
 決してまぐれの直感ではない。

 『「易経」一日一言』  竹村亞希子=編


日々の仕事、人生において大事なことです。

私もまだまだ、この 兆しを察する力 を養っていかいとね。

二葉鍼灸療院 田中良和


謙虚 ~清掃~

2011年04月11日 | 言葉のちから 心のちから
自分の現状、状況、その時々に心に響く言葉あり~

「今」の自分に響いた言葉 そのニ


どんな才能があっても、傲慢な人は人を幸せにすることができません。
人間としての第一条件は、まず謙虚であることだと思います。
その点、トイレ掃除をしていると、自然に謙虚な気持ちになります。
あの人はトイレ掃除をしていたら傲慢になったという話は聞いたことがありません。
トイレ掃除を続けると、例外なく謙虚な人間に変わります。

 『鍵山秀三郎 一日一話』  鍵山秀三郎 著


トイレ掃除が流行っているからではなく、話題になっているからではなく、地道にトイレ掃除を続けていきたいですね。本当に心が謙虚になると…私は思います。

これからも続けますよトイレ掃除。自分の心の清掃のために

二葉鍼灸療院 田中良和

利害と義理

2011年04月11日 | 言葉のちから 心のちから
自分の現状、状況、その時々に心に響く言葉あり~

「今」の自分に響いた言葉 その一


君子も亦利害を説く。利害は義理に本づけばなり。
小人も亦利害を説く。義理は利害によればなし。

【訳】徳の高い人でも利害を説く。それは利害が義理人情に基づくものだからである。
徳の低い人でも利害を説く。それは義理が自分の利害に関わっているからである。

『佐藤一斎 一日一言 「言志四録」を読む』  渡邉五郎三郎 監修


心しておくべきことだと思います。

二葉鍼灸療院 田中良和

ああ うれしい!!

2011年03月04日 | 言葉のちから 心のちから
2月23日からのブログ「ドタバタ活動日記」が滞っています

やることたくさん

しかし、患者さまを診療する時は心静かでないとね。

石川県スポーツトレーナー連絡協議会では総務部長…
石川県鍼灸マッサージ師会でも来年度から総務局長…
金沢市鍼灸マッサージ師会でも総務部長&副会長…

その他、もろもろの仕事あり。

なんということでしょ~(劇的ビフォアーアフター風に

まあ、役回りということで、倒れない程度に頑張りますかね

      ≪何かあれば 「ああ たのしいな」

               「ああ うれしいな」って

                思うようにすればいいんですよ。≫

『心が 強くなる 言葉』  中村天風 著


やりまっせ

楽しく行きまっせ

生きていることが奇蹟なんだから、人生楽しまないとね

自分を信じて、「やれる」と思いこんじゃおう

すべての出来事には意味があるんだからね 

二葉鍼灸療院 田中良和

「わたしはなりたいものになれる!」

2011年02月16日 | 言葉のちから 心のちから
忙しい中ではありますが、自分の内面を見つめる時間も必要ですね

≪今こそ、努力する時です。
  結果は、費やされる努力に比例するでしょう。
  意志を強化し、目的を達成するパワーを自覚するため
  用いることのできる、もっとも強い肯定的暗示の一つは…
  
    「わたしは なりたいものに なれる」

                             です。

  この暗示を繰り返すたびに、「わたし」は何者か認識してください。
  「わたし」の本性を徹底的に理解する努力をしてもらいたいのです。
  そうすれば、あなたは揺るぎない存在になるでしょう。
  そのためには、あなたの目的が、建設的で、
  宇宙の創造原理に調和するものでなければなりません。

  この肯定的暗示を朝から晩まで唱え続ければ、やがてそれは、
  あなたの一部となり、習慣となるでしょう。≫

『ザ・マスター・キー』 チャールズ・F・ハアネル著 


毎日、自分の志を高く、信念を持って、なりたい自分を夢見て、ワクワクして
一日を過していきたいですね。

二葉鍼灸療院 田中良和

心の目を開く

2011年02月10日 | 言葉のちから 心のちから
ひと、それぞれ、どんなときも、みるところがちがいますね。

どんな、こころのめを、ひらくか、それも、ひとそれぞれですね。

≪「楽し楽しで大峠越せるぞ。神は無理申さん。やればやれる時ぞ。ヘタすると世界は泥の海、神々様も人民様も、心の目を開いてくだされよ。新しき太陽は昇っているではないか」≫

『[魂の叡智]日月神示』  中矢伸一 著


こころのめをひらけば、むげんのかのうせいが、ひろがっているのでは

ひと、ぞれぞれの、こころのめを、できるところから、ひらいていきましょ

「いま」が、たいせつなときですね

二葉鍼灸療院 田中良和

心が招くべき真実の自分

2011年02月01日 | 言葉のちから 心のちから
自分にはどれだけの可能性があるんだろう などとふと考えることがあります。

考えること、思うこと、夢をもつこと、人間しかできない特権ですね

社会の中で生み出される全てのものは、地球にある物質を拝借して、人間の思考する力が創造したものと言えるのではないでしょうか。

≪宇宙精神のエッセンスが自分の内部にある―実は自分自身である―ことを知覚し始めると、いろいろなことが起こります。まず、自分のパワーを感じ始めます。そのパワーはあなたの想像力に火をつけ、インスピレーションの松明に点火し、思考に生命力を吹き込みます。
その結果、あなたは宇宙のすべての目に見えない力とつながっていると実感し始めます。あなたが恐れずに計画を立て、巧みにそれを実行することを可能にするのは、そうしたパワーなのです。≫

『ザ・マスター・キー』 チャールズ・F・ハアネル著  菅 靖彦 訳



≪~潜在力~
  人の心の奥には、潜在能力という驚くべき壮大な力が、
  常に人の一切を建設せんと、その潜在意識の中に待ち構えて居るが故に、
  如何なる場合に於いても、心を虚に、気を平らにして、
  一意専心、この力の躍動を促進せさるべし。≫

『心が強くなる言葉』  中村天風 著


洋の東西を問わず、自分の中に眠る力(可能性)は皆、平等に存在するというのが共通認識のようです。

環境や条件など人それぞれ人生は違えど、与えられている壮大な力は自分が引き出すかどうかにかかっているんでしょう。

心は、そんな自分の中に埋蔵された宝(可能性というスピリッツ、魂)を発見し、掘り起こす道具のようなものだと思いますね。その道具の使い方、性能しだいで、宝が出るか、お化けが出るか、白い煙が出るのか…結果として、自分の人生に顕れて来るのでしょう。

心を、自分の心の中にある宝に向け、宝を信じて、歩んでいくことが真実の自分との出会いになるのかもしれません。

ほんなことを時々、考えとれんて~(金沢弁)

人生は可能性という宝に満ちていると私は信じていますよ 

二葉鍼灸療院 田中良和

~運命に上手に乗る~  松下幸之助さんの言葉

2011年01月17日 | 言葉のちから 心のちから
本日は金沢は雪  今年は寒い冬だと思いますね

天気の移り変わりは人間にはどうすることもできません。天命ですね。

では、人生の運命なるものはどうなのでしょうかふと、そんなことを考える時があります。あたしは、まだまだ未熟者ですから、そこのところは先人の書を参考にするわけです。

ということで、松下幸之助さんの言葉を一つ

≪運命の作用というものは分かりません。分かりませんけれど、分からないままに、これが人によってみな違うものだということは言えると思います。ちょうど人間の顔かたちが、一人として同じものがないように、運命の働き方は人によってみな違うと思うのです。

なぜ違うのかと言っても、これは人間の顔かたちが、人によってみな違うのと同じことで、天地自然の理にもとづいてそうなっているのです。すなわち、自然の理が人間にそういう運命の与え方をしているのです。

運命が違うということは、他人と同じ歩み方をする必要はないということです。また同じ歩み方をしようとすることは、無駄なことだということです。だからある人が、一つの道で成功したからと言って、他の人がこれと同じ道を歩んで成功しようと考えても、それはできないことだと思います。いや、むしろそう考えることは、その人にとって不幸なことだと思います。

なぜかと言いますと、その人にとっては、ほかに成功するような道が与えられているからなのです。

だから、みんなそれぞれの道を、それぞれに精一杯歩めばよいと思うのです。他人の歩み方を見て、そこから教えを得ることはよろしいが、他人の歩み方をそのまま真似する必要はないと思うのです。自分の道を一所懸命歩めばよいと思うのです。それがその人の成功への道だと思うのです。

運命というものは存在する、しかしその内容は分からない、そして分からないけれども、人によってそれはみな違うということを、まず素直に認めることが大切ではないかと思います。

世間ではよく、運命は服従すべきものではなく、開拓すべきものだと言われます。これはまことに結構な考え方だと思います。しかし、この言葉をそのまま直訳して受け取りますと、無理をして、かえって運命を生かさないことになるかもしれません。ですから、運命を開拓するという考え方もよろしいけれど、これは、”運命に上手に乗る”と言ったほうがよいのではないかと思います。≫

『松下幸之助発言集』…『松下幸之助に学ぶ人生論』  飯田史彦 著


途中、ところどころ省略しながら文章を書きました。松下幸之助さんが昭和28年、58歳当時の言葉です。

運命や人生は、人それぞれ違う。だから人と比べる必要はなく、一所懸命、自分の人生に取り組んでいけばいいということ。
先人の教えを参考にし、ある一定レベルまでは真似をすることは大切だが、そこから先は人それぞれ人生が違うわけだから、進むべき道も違っていい。
しかし、そこに天地自然があるように、変わらない心の作用や精神作用がある。愛や思いやりや謙虚さや素直さ、その目に見えない部分は違う道の中で、人生に共通するものである。

そんなことをベースに人生を思考していると、運命の波がやってきて、それに上手に乗ることができるのかもしれませんね。

運命の波、逃さないようにアンテナを張っておかないと  


二葉鍼灸療院 田中良和

2011年を迎えて思う

2011年01月08日 | 言葉のちから 心のちから
2011年も8日が過ぎました。正月からバタバタと忙しく、「今年も忙しい一年になりそ~」と、そんな予感がするのでした。

ブログのドタバタ活動日記も正月から五つほど書く項目があるのですが、ちょっとしたトラブルもあり、忙しくもあり、ブログの神様が降臨して来たら一気に書きたいと思います。その時は「長い」なんて言わずにお付き合いくださいませ~。

いつも朝、診療前に目を通している本から、2011年の新鮮なココロで感じた言葉を、一つ二つ…三つ四つ 記しておきたいと思います。

☆ 生きる力 ☆
≪およそ人間としてこの世に生まれ、人間として人生に活きるために、第一に知らねばならぬことは、人間の”いのち”に生まれながらにして与えられた、生きる力に対する法則である。
まこと、自分の”いのち”の中に与えられた、力の法則というものを、正しく理解して人生に活きる人は、真に限りなき強さと、歓喜と、沈着と、平和とを、作ろうと思わなくても出来上がってくるように出来ているのである。
それを一番先に、われわれは知らねばならない。≫

『中村天風 一日一言』  中村天風財団[編]


人間の可能性、様々な人生の答えは、自分の内にあり、それは、どの人にも同様に与えられた力だということですかね。自分を見つめろってことでしょう。

☆ 憤なくして大成はなし ☆
≪「憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人(しゅんなんぴと)ぞや、予何人(よなんぴと)ぞやとは、方(まさ)に是れ憤なり。」

【訳】憤とは発憤すること。「なにくそ」「負けてたまるか」という奮い立つ心をいう。この憤の一字が学問を進展させる機関車のようなものである。
孔子の弟子の顔淵が発奮していった「(古代の聖人)舜も、自分も、人間ではないか」という言葉、これはまさに憤である。≫

『佐藤一斎 一日一言 ~「言志四録」を読む~」』  渡邉五郎三郎 監修


自分の志(目的)を人生において持てば、そこへ向かっていくために憤という気持ちは大切ですね。その気持ちは相手ではなく、常に自分の心に注がれるものなのでしょう。
元楽天ゴールデンイーグルス監督の野村克也さんが書いた本に『敵は我にあり』という本があります。これ高校時代の私のバイブルみたいなものでした。

☆ 元亨利貞(げんこうりてい) ☆
≪「乾(けん)は元(おお)いに亨(とお)りて貞(ただ)しきに利(よ)ろし」

 「乾」は、偉大なる天の働きであり、天道を司る根本を言う。
 「元」は、物事の始まり、元旦の元である。ここを初めとして万物が生じる。
 「亨」は、通る、通じる。生じた万物が育っていくということ。
 「利」は、収穫、実り。万物が育っていけば、必ず実りがある。
 「貞」は、正しい。実りが正しいものであれば、それは堅く守られていく。

「元亨利貞」は、乾の働きに従って正しく行うならば万事順調に進むことを教えている。これは易経の教えの根幹である。
また、これはそれぞれ春夏秋冬にあてられる。春に生じたものが、夏に大きく育つ。秋に豊作となり、実る。実ったものが固くなって。やがて落ちて大地に還元される。この無窮に繰り返す変化の原理原則が「元亨利貞」。これを「常態」といい、物事の成就の道を示している。一方、原理原則に外れるものは「変態」であり、中途挫折の道となる。
「元亨利貞」は、原理原則に従う大切さを教えている。≫

『「易経」一日一言」  竹村亞希子 編集


人生や世の中に起きることは常に変化の中にあり、大きな自然の原理原則で動いているのでしょう。その動きに耳を澄まし、心を向け、それに従い行動することが大事なのでしょうね。

☆ 志を高く ☆
≪「山高くして、月上ること遅し」
高い山の麓にいると、月の出てくるのも遅い。山が高いからなかなか月が見えない。つまり、自分の志が高いゆえに、自分の願いに到達することが遅く、なかなか叶えられないという意味です。
それでも諦めることなく、初心を貫き、大きな志に挑む。こういう考え方がとても大切だと思います。≫

『鍵山秀三郎 「一日一言」 人生の磨き方・掃除の哲学・人生の心得』  鍵山秀三郎 著


志が高ければ高いほど難き道ではあるけれど、志を高く持った人はその困難にネバーギブアップの精神で挑む、その自覚と決意を認識しなければいけませんね。その高き志の山に登った時の月は絶景でしょう~ね。

2011年を迎え、最初に出会った言葉さんたちでした。

二葉鍼灸療院 田中良和

背中を押してくれる言葉

2010年11月27日 | 言葉のちから 心のちから
忙しい日々を過ごさせて頂いています。

そんな日々の中でも、「これでいいんか?」、「何もやりたくな~い」と消極的な自分の心の顔が出没してきます。

そんな時、言の葉との出会いが度々あるのですな~これが

≪ガンジーは言いました。

「行動しなさい。しかし、その行動に何か実りがあることを求めてはいけない」と。

あなたがたの行動は、あなたがた自身から溢れ出てくるもので、それ自体が実りなのです。それは愛の始まりにも似ています…愛が誰かに向けて溢れ出したとき、あなたはその人を愛し始めるのです。 ―バート・ホワイト神父―

『マザー・テレサ語る』 ルシンダ・ヴァーディ[編]


実りはその行動自体…その行動を起こそうと突き動かした心自体なんですね。

いや~何か気持ちがスッキリした感じです。

一所懸命、ことに臨んでいれば、素敵な出会いがあるんですね。今日も素晴らしい一日になるようですよ 



二葉鍼灸療院 田中良和

順境・逆境は見方次第!

2010年11月17日 | 言葉のちから 心のちから
一日の中でも、いろんなことが起きます。一年となるとさらに多くの出来事が起きますね。

自分にとって良い出来事もあれば、その逆の出来事も起きます。
人はその出来事に一喜一憂し、心を見失ってしまうこともあります。

私もそんな、様々な出来事に右往左往してしまう方の人間ですから、常に反省し、日々新たに、自分をカメさんのように進歩、成長させて行ければいいな~なんて思っています。

≪余意(おも)う、「天下の事、固(もと)より順逆無く、我が心に順逆有り」と。
我が順とする所を以て之を視れば、逆も皆順なり。
我が逆とする所を以て之を視れば、順も皆逆なり。
果たして一定有らんや。達者に在りては、一理を以て権衡と為し、
以て其の軽重を定むるのみ。≫

【私はこう思う。「世の中に起こる物事には、もとより順逆はない。自分の心がどう思うかによって、物事の順逆が決まるのだ」と。
自分が順と思う立場にたって物事を見れば、人が逆境だと言うものでも、すべて順境になる。
自分が逆という立場にたって物事を見れば、人が順境だと言うものでも、すべて逆境になる。
果たして物事の順逆は固定できるものだろうか。事理に通じている人にあっては、一貫した道理を物差しにして、物事の軽重を定めるのみである。】

『佐藤一斎 一日一話 「言志四録」を読む』  渡邉五郎三郎 監修


世の中、理不尽なことも多々起こります。それは、自分の生活はもちろん、日々のニュースなどの報道を見ているとよく理解できると思います。

しかし、また、自分の周囲に起こることは何か意味があって起きるとも言われています。大災害や殺人もそうなのか…と問われると、私にはなかなか模範解答はできませんが、何らかの意味があるのだと感じます。

辛い体験をされた方には、その人しか分からない心情り、その人の心の感覚は、その人自身にしか本当のところは分かりません。
でも、そこに何か学びもあるのではないかと思うのです。厳しいことですが…。

人生で起こる全てのことに対して、順境と捉えるか 逆境と捉えるか はその人の心次第なのでしょうね。

心次第… これが、また難問なんですがね

まあ、どうせ人生、歩むなら、いろいろ楽しく考えていきしょ~ね~ 

二葉鍼灸療院 田中良和

「今」という時に最善をつくす!

2010年10月24日 | 言葉のちから 心のちから
考えてみると平成22年も残り2カ月と少しになってきましたね。

今年も突っ走って来たな~って感じです。ここから正月までも、そうなんですがね

≪その日一日、その場の一時間、今の一分・一秒を大切に生きることです。明日のことを思い患うことなく、“今”という時に最善を尽くすのです。
あなたが煩悩をもつ人間的存在であり、未熟であることは、神は先刻ご承知です。だからこそ地上に来ているわけです。もしも完全であれば、今そこに存在していないはずです。

地上生活の目的は、その不完全なところを一つでも無くしていくこと、それに尽きます。≫

『シルバーバーチの霊訓 十二 ~煌めく名言を集めて 総集編~』 近藤千雄 訳編


神様や仏様の存在を信じる信じない、あの世の存在を信じる信じないは別として、人生において、「今」この瞬間を大切に生きることは、自分が成長していくうえで必要不可欠な事柄です。

そして、明日を憂うことなく、自分ができる最善の「今」を積み重ねていくことが大切なんだと思います。

今日も、そんな、楽しく 明るく 嬉しい 「今」、これから巻き戻すことのできない「今」という時間を有意義に過ごしていきましょ~ね 

二葉鍼灸療院 田中良和

感謝は人生を潤す泉

2010年10月21日 | 言葉のちから 心のちから
毎日、世界でも、日本でも、そして、自分の身の周りでも、いろんなことが起きますね。

そして、毎日ちがった事柄が起き、毎日、違った人生を送るわけです。
一日として一瞬とて同じということはありませんよね。人の体も同様です。毎日、同じ身体ということはあり得ません。常に新陳代謝して、自分が意識しないところで生まれ変わり、体調を調整しているのです。ありがたいですね。

私たちは生きているのではなく、生かされているのでしょうね。いろんな力に。

≪「感謝の気持ちが真の働きを生み出す」とか
 「感謝に勝る能力なし」といいます。

 その通りだと思います。
 感謝の念を持つ。人生の大原則です。
 生かされている自分に感謝できる人。
 どんな小さなことにも感謝できる人。
 幸せな人生を送っている人に共通した資質です。
 
 感謝こそ人生を潤す泉だと思います。≫

『鍵山秀三郎「一日一話」-人間の磨き方・掃除哲学・人生の心得-」


人はそれぞれの人生があります。
人によって置かれている環境や立場、状況などは皆ちがいます。そして、平和で豊かな人生を送っている人もいれば、過酷で壮絶な人生を送っている人もいます。

どのような立場においても感謝するということは大切なことです。自分が順境にいようが、逆境であろうが、この心を持つことこそ、次へのステップへの礎となるのでしょうね。

この感謝の心を自分の中に積んでいくことが、徳を積むことなのでしょう。現在の状況が、「感謝しているにも関わらず、なぜ好転しない」などと、報酬を求めたりせず、ただ感謝することが、新しい自分、より良い細胞をつくっていくのかな~なんて思います。

何事にも感謝できれば、楽しいことが増えますね
幸福は自分の心の中の陰徳(感謝)をどれだけ積んでいるかということなのかもしれません

さて、今日も感謝の海で、楽しく泳いでいきましょ~ 

二葉鍼灸療院 田中良和

修養の四つの心得

2010年10月09日 | 言葉のちから 心のちから
仕事においても、遊びにおいても、恋愛においても、人生すべての出来事、事柄において、そこには「学び」による人の「成長」というものが根幹にあるのだと思います。

立志は高明を要し、著力は切実を要し、
  工夫は精密を要し、期望は遠大を要す

【志を立てるには高い見識と智慧が必要であり
 実際に力を用いるには適切さを必要とし
 物事を工夫するには精密さが必要であり
 目標として望むところは遠大でなければならない】

『佐藤一斎 一日一話 ~言志四録を読む~』


常に大きな目標に向け突っ走り、しかし、日々、刹那において常に反省し、そこから心を配り、細部まで気を張り巡らし、事に臨むことが大切なのでしょう。

そこから起こる実践は、周囲の状況や環境を把握し、人材活用や運営などにおいても適切な配分を行えるのだと思います。

そして、その根本はやはり  を高く、強く、持つということだと思いますね。

ほんの些細なことでも、おろそかにせず、自分の志や良心に根差した言葉や行動をとっていきたいものです。心がけよっと 

二葉鍼灸療院 田中良和 

失望は修養の種!

2010年10月08日 | 言葉のちから 心のちから
政治をみても、経済をみても、人生を眺めても、なかなか思い通りにならないのが世の常です。

朝起きてから、夜寝るまで、家事に奮闘する人もいれば、仕事で頑張る人もいるわけです。学校で勉強をする人もいるわけです。

いいこともあれば、思い通りにならなこともあります。思い通りにならないことの方が人生は多いのかもしれません。

先日、日本人でお二人、ノーベル化学賞の授賞者が発表されました。デューパ大(米)の根岸英一 特別教授は75歳、北海道大の鈴木 章 名誉教授は80歳です。いずれも、長年の思い通りにならない研究を継続して、最後に結果を出したからこそ、夢が実現したのだと思うのです。


≪得意の事多く、失意の事少なければ、其の人、知慮を減ず。不幸と謂うべし。得意の事少なく、失意の事多ければ、其の人、知慮を長ず。幸いと謂うべし≫

【思うようにいくことが多く、失望することが少なければ、その人は真剣に考える機会がなくなり、智慧と思慮が減少していく。不幸というべきである。思うようにいかないことが多く、失望することが多ければ、その人は考える機会が多くなり、智慧と思慮が増していく。幸いというべきである。】

『佐藤一斎 一日一話 ~言志四録を読む~』



失敗や失望などは、人生にはつきものです。それがないと人間は成長もできないし、人の気持ちになって考え、心を配ることができないのではないかと思うのです。成長した証として、最後に成功があるのでしょう。

成功に至るまでの、失敗や失望のプロセスこそ人生にとって重要なのでしょう。
それが肥料となり、可能性という芽を出し、二葉が出て、成長し、葉が生い茂り、茎が太くなり、成功華というキレイな花を咲かせ、種を残し、後の命(より良い世の中、環境、人物)を育んでいくのだと思います。

そうです 失敗や、失望した時こそ、人生におけるチャンスなのです
そして、成長する好機なのです

そう信じて人生を送ると、落ち込んでる時間も少なくなり、気持ちも早く切り換えて、大切な時間を活かしていくことができますよね 

二葉鍼灸療院 田中良和