二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

志 こころざし ~心の灯火~

2010年09月08日 | 言葉のちから 心のちから
暑い日が続いています。 本日、金沢は台風のため大雨 これも森羅万象、自然の営みなんですよね~。台風が過ぎると少し暑さも落ち着きますか、こうご期待ですね

皆さま、お体の調子はいかがでしょうか
体調を崩されている方は、是非とも鍼灸治療を体調管理の一つとして取り入れてみてくださいね。ご相談もメールやお電話、ファクス、糸電話 なんでも受付ますのでご連絡くださいませ~

さて、有り難いことに、わたくしは公私ともども忙しくさせて頂いております。というより、目まぐるしく一日、一週間、一ヶ月が過ぎていってます。
ブログの更新もさることながら、やること満載。こんな無能な私をあてに、患者さまを始め、多くの人が仕事を任せてくれるということは、本当に恐縮すると同時に、さらに内側から喚起するものが湧いてくるのでござまする~

そんな忙しい中、脳神経の回路がショートしそうな中、ふと考えたこと…

「自分の人生って何」 ちょっと哲学的でしょ

まずは「今」自分が必要とされるなら、自分の能力が許す限り、一所懸命やってみようか、というスタンスで現在は生活を送っています。

≪諸君らは、現在どういうことを自分の一生の志としていますか。どうです。
   … 中 略 …
立派な先生になるなどということは、ていのよい一種の逃げ言葉とも言えるからです。何となれば、いかなる人が立派な教育者であるか、これは決して簡単ではないからです。
自分がそういうていのよい言葉に、ごまかされていると気付かないで、いい気になっているということは、そもそも人間のお目出たい何よりの証拠です。

そういう捉えどころのない、さればとて非難のしようもない言葉の陰に隠れて居眠りをしているような人間は、自分の使命の貴さについて、何ら自覚していない人間であって、実に遺憾とも言いようのないことです。≫


一日を流されて生きるのではなく、自分の志を持って、それに従って生きる、これは大切なことですね。
何か忙しさに紛れて、自分の心をしっかり見ていなかったようで、自分としては耳が痛い言葉です。

実現しよう!という強い志があれば、もっと明確で、具体的な目標を心の中に掲げよということでしょうか。

≪そもそも、人間が「志を立てる」ということは、いわばローソクに火を点ずるようなものです。ローソクは、火を点ぜられて初めて光を放つものです。
同様にまた人間は、その志を立てて初めて、その人の真価が現れるのです。

志を立てない人間というのは、いかに才能のある人でも、結局は酔生夢死の徒にすぎないのです。そして酔生夢死とは、その人の心の足跡が、よたよたして、跡かたもなく消えていくということです。≫


毎日、しっかりと自分で志を意識して、それに向かって邁進する。そうすれば、一日が充実し、24時間じゃ足らなくなるかもしれませんね。

それぞれの、生活での状況や環境があると思いますが。唯一自分がコントロールできるのは心です。性格が変わらなくても、心の在り方や捉え方は変えることができます。心は自分が持つ可能性の宝庫でもあり、その使い方によっては世の中のためにもなり、害にもなります。

どん底から這い上がり、病から立ち直るのも、貧乏を打開するのも、人生の成功を掴むための鍵となるのは心の状態だと思いますね。

無理はしなくてもいいので、「今」自分のできることを一所懸命に打ち込み、そして、心に大志(夢・目標・理想)を抱き、地道に進めばいいのだと思います。

そのきっかけが、「志」という炎を燃やすことなのでしょう

≪そこからして、私たちは「野心」という言葉と、「志」という言葉を区別せねばならんでしょう。
野心とか大望というのは、畢竟(ひっきょう)するには自己中心的のものです。すなわち自分の名を高め、自己の位置を獲得することがその根本動機となっているわけです。
ところが、真の「志」とは、この二度とない人生をどのように生きたら、真にこの世に生まれてきた甲斐があるかということを考えて、心中に常に忘れぬということでしょう。

ですから結局最後は、「世のため、人のため」という所がなくては、真の意味で「志」とは言いがたいのです。≫

以上、『修身教授録 ~現代に甦る人間学の要諦~』  森 信三 著より 


これからの時代、現在ある資本主義経済が破綻を迎え、それを支えてきて物質文明、いわゆる地球資源が減少し、私たちが生かされている地球という母なる大地が変化を遂げるとすると…

また大宇宙的に変化の兆しがあり、世の中の価値観が大きく変わるとすると…

ここ数年がその変化の時期にあたるとすると…

なんか話が大きくなってしまいましたが、そこで大切になってくるのが、東洋哲学的な自然観であり、古来より受け継がれてきた日本の精神文化であると思うのですね。

簡単に言ってしまえば「心」しだいということでしょうか。

一日一瞬、だた今を「志」という心の灯火をたて、そして、真に生きがいある人生を送りたいものです。私もそんな気持ちで今日一日、今この瞬間を生きていきたいと思ったのでした。

忙しい「今」だから、こんなことを考えたのかな~

二葉鍼灸療院 田中良和

自分の感覚をどう使う?!

2010年08月20日 | 言葉のちから 心のちから
暑い日が続きます。皆さま、本当にお体気をつけてくださいね。

もう、8月も後半ですが、秋はまだまだ先のようですね。赤とんぼは飛んでいますが。

これから、暑さもさることながら、気候の変動が激しくなってくると思います。9月、10月は夏の疲れが出てくる方も多いと感じます。
疲れたとき、疲れが出る前に、鍼灸治療を行うと、自律神経や免疫系、ホルモンなどが調整され、夏バテをしない体になりますよ

こんな時期こそ、鍼灸治療がおススメです。体調の悪い方、悪いまでもいかないけど疲れが溜まっている方、どうぞ治療を受けて、活気あふれる、楽しい一日を送ってくださいね


さて、人間には様々な感覚あります。触覚、嗅覚、聴覚、視覚、味覚など、皮膚や筋肉、粘膜に存在する神経を伝って、脳や脊髄でその刺激をキャッチして、体の反応を起こします。

毎日、この繰り返しです。
どんな時も、この機能が働いています。

そして、人間には、他の動物ない働きがあります。これらの感覚を処理する脳が発達し、それらから様々なことを創造できるということです。
人が感じる多くの感覚と感情と、高度に発達した大脳機能により、素晴らしい心を創造することができます。
豊かな生活環境を創出し、単なる感覚で終わるのではなく、そこから多彩で充実した人生をも構築していく、それをできるのが人間だと思います。

さて、神様から与えられたこの働きをどう使うか

朝起きてから夜寝るまで、目覚めている間、自分の感覚をどう使っていくか

それによって、体や心の反応も変化しますし、心の成長度も違ってくるのでしょう。



~五つの誓い~
 
 口は…人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう

 耳は…人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう
 
 目は…人のよいところを見るために使おう

 手足は…人を助けるために使おう

 心は…人の痛みがわかるために使おう

『命の授業』  腰塚勇人 著



中学の先生をしていた著者が、スキーをしていて転倒。首の骨を骨折。手術は成功したものの、首から下がまったく動かすことができず、悪くて寝たきり、良くても車いすの生活と宣告され、そこからの軌跡を書籍したものです。

一時は命を絶つことも考えたのですが、首から上しか動かないので思うようにできなかった。

しかし、医師、リハビリの先生、看護師、家族、教師仲間、生徒、周囲のいろいろな人に助けられ自分の命が生かされている。さらに、日々の当たり前のことが、本当に貴いことだと、この事故をきっかけに気づかれたそうです。

その後、「いつも笑顔でいよう」「いつも感謝しよう」「周囲の人の幸せを願おう」と心がけ、日々を送っていたところ、手足が動き始め、今は右半身に麻痺が残り、下半身の感覚があまりないものの、自分で動けるようになったということです。

そんな腰塚さんが、学校に復帰する時にたてた「五つの誓い」です。

普段、何不自由なく生活していると、自分が生かされていることを感じなくなります。それが当たり前だと思ってしまいます。
食べること、寝ること、仕事できること、勉強できること、お風呂へ入れること、友達と話すこと、遊びに行くこと、生きているということは、当たり前なことではないのですね。
生きていること自体、何気ない出来事、ちょっとした動作、すべての営みが幸せなことであり、感謝なんです。

腰塚さんは、このような気づきを得ることができた、この「事故」に感謝しているということです。そして、「今」が一番幸せだ、ということです。

『命の授業』にご興味がある方はオフィシャルサイトを訪問してみてくださいね。

一日の中で、自分の体を、心を、どう使うかは自分しだいですね。
当たり前ではない、幸せで、感謝すべき、この人生をどう過ごすか、どうせ過ごすなら気持ちよく過ごしたいですよね 

二葉鍼灸療院 田中良和

焦りの心、余裕の心

2010年08月14日 | 言葉のちから 心のちから
いや~やるべきこと、やらなければならないこと、やりたいこと…生活の中にはいろんな、やら、やり、やる、やれ、やろ~がありますね。私もしかり。

期限がある「やること」が近づくにつれ、焦りの気持がつのってきます。
前もって、時間のある時に何でもやっておくといいのですが~
その辺が、自分の、まだまだ人間が出来ていないところですな~

そんな時、入ってきた言葉たちで~す。

~聖なる愛~

 確かに たくさんの手助けはあるだろう
 けれど 最終的にあなたを救えるのは
 あなた自身でしかない

『Chie Art なぜ人は こんなにも 許されたいのだろう 愛の章』  Chie 著


~あなたに Ⅰ~

 出来ないからって いじけてはダメ
 私だって 九十六年間 出来なかったことは 山ほどある
 父母への孝行 子供の教育 数々の習いごと

 でも 努力はしたのよ
 精いっぱい 
 ねえ それが大事じゃないかしら

 さあ 立ちあがって 何かをつかむのよ
 悔いを 残さないために

『くじけないで』  柴田トヨ 著


この言葉たちとの出逢いにより、すこし心がホッとした感じです。

あっ でも自分を甘やかせるわけではございませんですよ~はい

こんな、心に余裕を持つ時間も、人間には必要なんでしょうね。

一週間の締めくくりに、いい刹那を送ることができました~。

ありがとうございます 

二葉鍼灸療院 田中良和

試行すること

2010年08月11日 | 言葉のちから 心のちから
毎日、暑い日が続きますね。皆さん体調などに気をつけてくださいね。
まだ暑い日が続くと思いますが、お盆を過ぎたあたりから気候も変化しやすくなり、体調が整えづらくなりますので、ご注意です。

そんな時は鍼灸治療をおススメしますぞ

さて、私の近況は、診療のみならず、業界の仕事、学会活動、さらにトレーナー活動と忙しく、頭の回路がパンクしそうなくらい動いているような気がします…

いや~まだまだキャパが狭いのでしょうね。自分の至らなさが身に沁みます…って、なかなか振り返れないほどバタバタしてるんですな~これが

そんな中、「お~、この言葉ピッタリ」という言葉さんを発見。

≪ 「試行の時」

”或いは踊りて淵にあるとは、自ら試みるなり。 (文言伝)”

ある時は跳躍し、ある時は深く内省して自らを試みる。
目的達成のためには、必ず「試行」が必要である。「試行」とは、多少力足らずと思うことにも取り組んでみること。自分を試し、ここまでやって来たことが間違っていなかったかと省みる。それによって自身を試験・評価し、足りないところを補っていくのである。≫

『易経 一日一言』  竹村亞希子 編


んん~足りないところだらけの私なのに、いろいろな場で行うべき機会(試行)が多く与えられています。今の自分にピッタリの言葉ですね。

まず自分の力が多少劣っていたとしても、その与えられた機会に全力を尽くしてみる。その後、自分を内省し、その課題を次に活かせばいいのでしょうね

もう一つ、自分の行動は自分自身で評価すればいいのであって、その後の人の評価というのは自然に発生するものであり、それをあまり気にしなくてもいいのだと思うのです。当初の自分の目的や理想と比べ、試行後の結果はどうであったか。その達成のための方法は その達成にむけ情熱や信念はどうだったの 

それらは自分で内省することなのだろうと私は感じます。

全ての答えは自分の内にあり これは現在の自分のスタンスなんですね。

いや~少し頭と体と心がバラバラになり、バタバタになろうとしていた状況が、この言葉さんのお蔭で少し整理できた思いです。

さ~、自分の心の内にある、どこにでもある普通の石を、ダイヤモンドのように磨くぞ~
「今」はそんな気持ちです。私の内の石は、普通の石(意志)なのですから磨き続けないとね 

二葉鍼灸療院 田中良和

心はパイプ

2010年07月27日 | 言葉のちから 心のちから
暑い日が続いています。まさに、夏って感じです。太陽がギラギラ照りつける毎日ですね。

皆さまには、体調にご注意され、熱中症などに気をつけてください。睡眠、食事など毎日の生活を規則正しく送り、水分をしっかり摂ってください。体調管理に鍼灸治療するのも一つの方法ですよ。

さて、何をするにも心が伴います。心が動くからこそ、感動したり、大好物を前にした時、心が「美味しそうだな~」「幸せだな~」と、食べると「美味い」と感じるんですね。

職業でも同じで、私たちの仕事なら、患者さまのため、あるいは、鍼灸学や業界の向上のため、何をやればいいのかと考える時、そこには情熱や信念、心の奥から湧きあがる何かを捉える心、その動きを表出する心の動きが大切なのだと感じます。

人間性、心の豊かさ、目に見えない心という確固たる基盤なしに、知識だけ詰め込んでもものにはなりません。社会では、お金という目に見える、形あるものを、仕事の報酬として頂くわけですが、これからの時代、「心」の部分の鍛錬なしに、いい仕事をすることはできないと私は思います。

臓脳明晰な人が知識だけ詰め込むと、心の弱みに付け込み、その知識を利用する人も現れます。それが数年前に、何とか真理教という事件に発展したのだと感じます。

さてさて、心についての、一つの捉え方として書きます

☆ 心はパイプと同じだ ☆
≪どんなことがあっても忘れてはならないのは、心というものは、万物を産み出す宇宙根源の有する無限の力を、自分の中に受け入れるパイプと同様である、ということである。パイプに穴が開いていたら、洩れてしまうだろう。だから、そっぽを向いていたら何にもならないよ。
パイプでわからない人は、光を通す窓だと思いなさい。あるいは電流を通ずるワイヤーだと思えばよい。≫

『中村天風 一日一話』  中村天風財団[編]


心は無限の力を有する根源と自分を繋げるパイプ…腑に落ちるという感じですね。

パイプが曲がっていたり、詰まっていたり、破れていたり、塞がっていたり、腐っていたり、汚かったりすると、自分を突き動かす根源からの力がうまく伝わらなくなるということでしょう。

パイプは常に修復可能ですし、常に日々の生活の中で、日々の出来事の中で、自分の心のパイプに小さな変化があれば、それをメンテナンスしておくことが大切ですね。そして、心の奥からくる、いろんな力を受ける用意をしておかないとね。

でも、本当に人間というのは、生かされているんだな~と感じます。本当に感謝ですね。ありがとうございます。

今日も一日、そんな瞬間瞬間の心の動きを大切に過ごしていきたいです 

二葉鍼灸療院 田中良和

人間の能力

2010年06月30日 | 言葉のちから 心のちから
6月も忙しく、慌ただしい日々が続きました。公私ともども忙しいというのは感謝すべきことですね。

治療院の仕事のほうも忙しいのですが、そんな時に呼応するかのように業界やそれに付随したした仕事や、学会に関すること、さらに野球に関すること、あるいは細かな雑事など、「やるべき仕事」がたくさん舞い込んできます。面白いもんですね~。

自分自身の中にある「今」ある力…頭の中のスーパーコンピューターを駆使し…いやいや、少しオーバーヒートしているかもしれませんね…そんなこんなで毎日を舞い踊っている感じですかね。

仕事も、無理なものは無理なのですが、上手くやれば、さらに自分の中の能力が引き出せるのかな~なんてことも思っています。

「”人間の本来の面目は創造的なものである。それゆえに人間が万物の霊長として、いっさいの生物を凌駕して優秀なる能力を、生まれながらに賦与されているのはこれあるがためである。しかも特におろそかにできないことは、その賦与量はいささかも差別ない公平なものである。”
この一事を考量されても、自己の現在使用している能力に対する反省が厳格に行われて、その”是正”が確実に施されるなら、いっさいのすべては、ことごとく可能に転換され収握されることも、また必然自明のことと感得される」

『中村天風 一日一語』  中村天風財団[編]


人間は可能性のかたまりであるということでしょうか
自分を正しく見つめて行動することは大切であり、自分の環境や状況を把握して判断することは当然なのですが、「自分には無理だ」「私には不可能だ」と、自分に限界をつくってしまうことは、自分の中に眠る無限の可能性を閉ざしてしまうことになるのかもしれませんね

創造すること、クリエイティブな人生こそ、人間に与えられている生まれながら持つ力であり、能力なんですね

だからと言って、体も心も無理をして、何でもやってしまうのは、こりゃまた考えものだと思いますので、その辺りを気をつけながら、積極的な人生を歩んでいきたいですね 

二葉鍼灸療院 田中良和

不断の心がけ

2010年05月14日 | 言葉のちから 心のちから
いや~最近、仕事もそうですが、さらに、業界の活動、学術活動、高校野球のケアと、脳と体が休まることができないほど、忙しい毎日を送らせて頂いております。

本当にありがたいことです。

患者さまから
「医者の不養生っていいますから、先生の体も大切にね」
「そんな休みがなかったら、お嫁さんできんよ

と、ありがたい言葉をちょこちょこと頂きます。ありがとうございます。

忙しくなったり、事が思うようにいかないと、人はいろんなことを思います。そんな感情が自分に出てきた時は、下記のように思考してみるといいですよね

≪ちょっとでも不満や不平を心に感じるようなときは、よりいっそう、それを感謝に振り替えることに努力するよう習慣づける。

この心がけを、いかなる場合にも不断のものとするべきである、とあえて痛烈に勧奨する。≫

『中村天風 一日一話』  中村天風財団[編]


なかなか難しいことだけど、全てを感謝に振り替えることができれば、自分が体験すること、自分の人生に起こる全てのことが、自分の血となり、肉となるのではないかと思うんですよね。 

二葉鍼灸療院 田中良和

境遇を楽しむ

2010年04月12日 | 言葉のちから 心のちから
4月に入ったのに、天気が安定しませんね。晴れた日は気持ちがいいです
しかし、雨も必要ですよね 

≪人間が一生のうちに出遭うところには、険しい所あり、平坦な所があり、ゆっくり流れる所があり、怒涛逆巻く所がある。

これは自然の成り行きといったものであって、どうしても逃れることができない。しなわち”易”で説くところの万物の道理である。

したがって、人は自分の置かれた境遇に安んじ、それを楽しめばよい。それを嫌って逃げたり避けたりしようとするのであれば、決して事理に通じた人の考えとは言えない。≫

『佐藤一斎 一日一言 ~言志四録を読む~』  渡邉五郎三郎 監修


自分の置かれている立場を楽しむ…いい言葉ですね

人生を過ごす時間が長くなればなるほど、いろんな経験をします。中には、まだ若い頃から試練の時をむかえ密度の濃い人生を歩んでいる人もいます。

試練は、来るべくしてやってくる
試練は、予定通りやってくる
試練は、準備のできた所へやってくる
試練は、乗り越えることができるからやってくる
試練は、自分の成長を促すためにやってくる

結局、人生を歩んでいくためには、乗り越えるしかないんですよねそれも、いやいややっていたり、義務的にやっていたり、形だけこなしていたのでは、まったく無駄な時間を過ごしているようなものです。

どうせやるなら、思いっきり、心を込めて、楽しみながら、その状況や立場を過ごしていくことが大切なのだと思います。

これは人間の心理であり、当院へ来院する患者さまの対応にも応用できる考え方なのです。当院にも、いろんな状況におかれ、たいへんな試練をむかえている人や、越えるべきハードルを前にしている人、その途中の人など、本当に百人百様の方が来院されます。

私たちは、身体面の不調を正しく捉え、診察し、健康へ導くことが仕事なのですが、その根底にある心の在り方、心の持ち様、など心や魂の面から患者さまを支えることが必要となる場合も多いのです。

だから、鍼灸師は技だけでなく、”心の修養”も欠かせないのです。
人間の表裏、深浅、大小、高低など幅広く捉え、診ていくのが医療なのですからね 

二葉鍼灸療院 田中良和

3月31日 終りは始まり

2010年03月31日 | 言葉のちから 心のちから
3月も今日で終了です。今年度の終りでもあります。
明日からは4月の始まりであり、平成22年度の始まりでもあります。
学校でも新入生が入学してきます。

そんな境い目である、3月31日に、本日の結びの一番となります…と、大相撲ではありませんが、締めの言葉を一つ

≪心の弱い卑怯な人になると、「なにか自分には運命が向いていない」だとか、「世間がまだ本当に認めてくれない」だとか、もっとあきれたやつになると、「整備が整っていない」だとか、「誰々が手伝ってくれない」とか、何かうまくいかない時に、自分以外のもののせいにする人がいますが、とんでもない了見違いですよ。

やれ運命がつまらないの、人生がつまらないのって人は、その考え方がつまらないんです。
いいですか、幸福も健康も成功も、ほかにあるんじゃないですぜ。

あなた自身の中にあるんだぜ。

『中村天風 一日一語』  中村天風財団[編]


すべての答えは自分の中にあるんですね
幸福も健康も成功も

他のせいにしてはいけないからって、自分を責めるのも了見違いですね。もし、不幸だ、不健康だ、失敗した、という状況にいる方は、確かに自分の中に答えはあるのだけど、焦らずに自分をしっかりと分析することが大切です。

そして、その難局や、試練は、それを乗り越えることができる人にだけ与えられるものだそうです。その状況を乗り切り成長する挑戦権が与えられたのです

そう考えると、光が見えてきますよね

日々新たに、一歩一歩、カメのように成長していけば、”怪獣ガメラ”のように大きく空を飛べる日がやってくると思うのです(例えが変

4月からは、さらに輝く時間が皆さんを待っていることでしょう。
生かしていただいて、ありがとうございます 

二葉鍼灸療院 田中良和

生きるということ ~生きる意味~ 考

2010年03月23日 | 言葉のちから 心のちから
今日も気持ちよく、自分のやるべきことを頭の中に思い浮かべながら、ワクワクした一日の始まりを思い目覚めました。

生きるとは…、生きることの意味… な~んて難しいお題ですが、肩肘はらずに少し考えてみますね。

≪~感謝へのふりかえ~
病であろうが、運命が悪くなろうが、それを感謝と喜びにふりかえることです。
そもそも病とか不運とかいうものの原因を考えてください。何も自分に落ち度がなくして、病や不運がくるはずないのであります。つまり、原因あっての結果。

ですから、「おまえの生き方には誤りがあるぞ」、と自覚を促すために病になり不運なりが与えられたとしたら、これは大きな恵みですわ。

それを考えたら、恨みどころか感謝にふりかえ、喜びで誤りを是正する方へと自分の心を積極的にふり向けることが一番必要でしょう。≫

『中村天風 一日一話』 中村天風財団[編]


病は氣からと言いますが、心の持ち方次第でいい方にも、悪い方にも変化します。人生も同じです。人生の様々な分岐点は一日の生活の中にたくさんあります。
ステーキを食べようか、それとも和食にしようか…それもまた分岐点の一つです。そこで体の中の声が聞こえず、腸が弱っているのに、ステーキを食べると、結果は目に見えていますよね。

人生に起こる全ては原因があって、結果が現象となって現れます。そして、全ての分岐点での決断において自分に責任があるのですね。その結果を他人や世の中に転嫁せず、自分の心の鏡に映すと、それが感謝となり、反省となり、不運や病気だと思っていた事柄の中に「宝」が潜んでいたりします。

全ての出来事に感謝できると、自分の中に気づきが生じ、そこから人生は好転していくのだと思います。

これは積極的思考であり、世の中の真理の一つであろうと感じます。このように思考をもっていると世の中、何があってもあきらめることなくチャレンジしていけますよね

しかし、飛行機や電車、自動車など、自分には全く過失がないのに事故で家族の命が失われた、あるいは、事件に巻き込まれ命を失ったり、体が不自由になってしまった。また、お子さまが生まれながらにしてハンディキャップを背負っている、など世の中には理不尽なことも多々あります。そのような人は「分かってはいるんだが、そこまで心を持っていくことができない」というのも世の中の真実です。

≪そして、私たちは、この世という修行の場に、何度も何度もくり返し来訪しては、愛すること、許すこと、感謝することの大切さを学びます。人生とは、いわば、生まれる前に自分で作成しておいた問題集のようなものです。それぞれの問題を解くことができても、できなくても、正解は問題集を終えるまで見てはいけません。

人生という問題集を最後までやり遂げた時、初めて私たちは、自分で用意しておいた正解と照らし合わせ、自分の成長を自己評価することができます。そしてまた、解けなかった問題を解くために、あるいはいちだんと難しい問題を解くために、自分自身で新たな問題集を編み、それをたずさえて、この世という修行の場を再訪するのです。(~中略~)

もう一度、確認しましょう。「思い通りにならないこと」こそが、この物質世界が持つ最高の価値なのではないでしょうか。そして私たちは、「思い通りにならない」という「価値ある現実」から出発して、「思い通りにならない人生」をいかに正しく苦悩しながら生き、ふだんは「思い通りにならない」からこそ、時おり出会うことができる「願いがかなう喜び」を、いかに正しく味わって感謝するかということを、日々の人間生活の中で学んでいるのではないでしょうか。

それが、この物質世界で人間として生きることの意味であり、人生とは、「思い通りにならない」からこそ価値があるのです。(~中略~)

言いかえれば、自分から求めて訪れてきた「思い通りにならない物質的環境」の中で、生まれる前に自分自身で用意しておいた「人生という名の問題集」を解いているというのが、私たち人間の姿であると言えるでしょう。

『[新版]生きがいの本質 ~いつまでも、いつまでも一緒~』  飯田史彦 著


あの世があるのか、ないのか。あるいは、人間死んだら、何もなくなるのか、魂になって存在するのか。これはその時になってみないと本当のことは分かりません。飯田先生は、目に見えるもの、形あるものが全てだと思っている現代の人にも分かりやすく、魂やスピリチュアルの世界を解説されています。

自分にとって究極的にマイナスな出来事が起こったときは、泣いて、悲しんで、落ち込むことも必要です。何もやる気がなくなることも必要な場合もあります。しかし、上記のような思考をすることによって、立ち止まっていた「この場所」から、歩みはほんの少しずつだとしても、一歩一歩前進を始めることができると思うのです。

この思考も世の中の一つの真理だと思います。そして、この柔らかい、優しい思考は、そっと背中を押してくれるような力があり、落ち込んでいる人の心に「頑張らなくちゃいけない」という、大きなストレスがかかることもありません。

中村天風さん、飯田史彦さん、いずれも、人生での使命を思考するため、人生の意味を知るために必要な思考方法だと思います。時と場合によって、あるいは、自分の性格によって、思考方法を選択すればいいのだと思います。

表現方法は違っても、最終的な行きつく先は同じであるように感じますね。

二葉鍼灸療院 田中良和

成功者の共通点

2010年03月18日 | 言葉のちから 心のちから
世の中、不況の真っただ中。しかし、心は前向きに、そして、仕事に対して、人生に対して向上心あふれるものでありたいものですね

社会を見渡すと、元気な企業やお店もあれば、苦境を強いられている企業やお店などもあります。自身の現段階を踏まえて、やはり「心」の持ち方、ものの観方、考え方、捉え方が、これから、”その状況をどう変化させるか”ということに繋がっていくのだと思います。

≪大きな成功を収めた人、真に偉大な人、その道での第一人者といった人々は、肉体と精神の両面の痛みを克服しているという事実である。それとは逆に失敗続きの人、何をやってもうまくいかない人たちは、肉体的、精神的両面の痛みに対する恐れにとらわれており、それはほとんど迷信とも言えるものであった。

肉体的、精神的な痛みを克服したということは、自分の心を完全に支配したということにほかならないということだ。これこそ創造主が人間に授けた完全にして絶対の支配権であり、唯一絶対のものである。≫

『自己実現』  ナポレオン・ヒル 著  田中孝顕 訳


素晴らしい会社、大きな事業を成功させている人たちには、少なからず影の部分があり、辛さや、悲しみなどの苦境の道を耐え、そして、そこから得られた力をバネに、大きな理想を信念として、その思考を実現させているのだと感じます。

ナポレオン・ヒルは続けて、ワシントンで彼の講座に参加したある未亡人について書いています。

≪彼女は第一次大戦でご主人を亡くされたのだが、それからほどなく病気になり、大手術が必要になった。最初の手術は失敗に終わり、二度目の手術が必要になった。彼女はそうした費用を支払うために、家を手放さなければならなかった。そのために、手術が成功して退院しても住むところがない。二人の息子があり、どちらも結婚していたが、どちらの嫁も一時的にさえ同居を承諾しなかった。兄と姉が一人ずついたが、これもまた、どちらも彼女の養生中の面倒を見ようとはしなかった。

とうとう彼女が以前に通っていた教会の牧師が手を差し伸べ、一時的に宿を提供する親切な人を見つけてくれた。私が彼女に初めて会ったのが、この場所である。私が彼女の自立の助けになるのではないかという希望から、私が招かれたのである。もちろん慈善的な行為であり、それに対しての報酬を受け取るつもりはなかった。そして、授業料は免除するので私の授業に出てみるよう、彼女に話した。

ところが、そのとき彼女の態度に、私はすっかり驚かされた。私の申し出に対する彼女の返事はすばらしいもので、ぜひ、ここに紹介したい。

「ご親切ありがとうございます。でも世の中にはただで何かを頂けることなどないと、ずっと思ってまいりましたので」

と彼女はまず言った。

「どう生きたらいいのかを皆さんに教えるのは、先生のお仕事です。それで暮らしていらっしゃる。ですから、私も先生の教室でご指導を受けたいのですが、授業料はあとで必ずお支払いします。そのことだけは、はっきりさせてください。

体の痛みにも、心の痛みにも苦しんだのは確かですが、私の闘いはまだ続いてますし、試練に負けてもいません。いまのところは経済的な手立てがありませんが、気持ちはしっかりしています。この気持ちをいつもしっかりさせて、貧しさに負けないで、どんなことにも恐れない生き方をしたいと思います。きっと、神様もそうお望みでしょうから。
夫に死なれましたが、そういう女性は他にもたくさんいます。私だけが苦しいわけではありません。

子どもたちも兄も姉も、一番助けが欲しい時に、私を助けようとはしませんでした。でも、そのために傷ついたのは、私よりもあの人たちです。あの人たちは、困っている人に愛を注ぐ機会を剥ぎとられたのですから。それなのに私には、自分の心を頼りに自立し直す道が、まだ残されているのです。

私はこれまでの苦しみを残念なこととは思っていません。そのおかげで精神的に強くなれたのですから。その強さで、将来は自由な生き方をしたいと思っています」


彼女はさらに続けた。

「それに、私を助けようとしなかったからと言って、家族を恨む気持ちもないのです。お蔭で私には、『汝を傷つける者を許せ』という神のお教えに従う、すばらしい機会に恵まれたのですから。『われらに罪をなす者をわれが許すがごとく、神よ、われらの罪も許したまえ』。

逆境を経験して、私はそれ相応の”利益の種子”を見つけました。それは私自身の心が持っている力に気づいたことと、その力を使えば悲しみも悩みも乗り越えられると分かったことです。

でも、逆境から得られた一番すばらしい収穫は、肉体の痛みであれ、精神的な苦悩であれ、辛さというものは、神の訴えるのに都合のよい場所を与えてくれる、そのことに気づいたことです。

夫の亡くなる以前にも、私はある教会に属してはいました。逆境の洗礼を受けてもくじけなっかた時から、私は本当の信者になったのです。そして私は今、生活が信仰そのものになっています。ただ信じさえすればいいというものとは違います。

本当に一番苦しい時に、私は絶対に屈しない魂を持っていることに気がついたのです。ですから、なぜ私が家族に恨みを持っていないのか、はっきりおわかりでしょう。家族が何もしてくれなかったからこそ、私は自分の心の持つ力量に気がついたのですから。

私は自分を哀れだとは思いません。でも、血肉を分けた子や兄弟は、たいへん気の毒だと思います。助けるべき者を助けるという慈愛を示して、自分の心の大きさに気づくという、またとない、すばらしい機会を掴みそこねたのですから」


この女性は私の教室で学び、成功の科学をマスターした。のちに、アメリカ大統領から政府機関での、女性としては最高の地位に任命された。その後、彼女は政府の女性職員を対象とした講習会を開き、自分自身の心を発見する方法を教えている。彼女が広義の基礎としているのは、成功の哲学を自分の自立体験に照らして説明することである。

この勇気ある女性は、肉体および精神両面の逆境と苦難を経験して、あらゆる力の源泉へ通じる道を見出した。が、彼女をそこまで奮起させたのは、三回の大手術、夫の死、経済基盤の喪失、親族の冷遇といったことだけではない。お気づきの通りである。

もっぱら前向きの心構えで苦難に対処する、これこそが彼女が苦難の中から「それに見合った利益の種子」を探し出す手段である。彼女が発見した不利な状況を有益なものにする方法、これはすべての人間に恩恵として与えられているものだ。

挫折感、悲しみなどは、それを経験する人にとって、すばらしいものにもなれば、致命的な失敗にもなるのである。その人にとってどちらの状況になるのかを決めるのは、”ひとえに状況に対する心構え次第”である。ある人にとっては、つまずきの石である。だが別の人にとっては、今、お話した未亡人のように、あたり一面を見晴らせる人生の高みへと登る踏み石となるかもしれない。

この未亡人の話を終える前に、彼女のお気に入りの、祈りの言葉を引用しないわけにはいかない。

「過ぎた富を望みはいたしません。神様、必要なものだけをお与えください。また、悲しみや苦しみから解き放たれたいとも思いません。ただ、それを英知に変える術を、この世の摂理にかなった生き方に私を従わせる英知に変える術を、どうかお示しください。全ての人間に等しく授けられてはいないものを、望むこともいたしません。他人から傷つけられた時には、私は相手を許せる強さを、相手の人たちには行いを悔い改める光栄をお与えください。最後に、私が生きる上でどんな状況にあっても、その状況を読み取り、的確に対応できるように、お導きくださいますように」

『自己実現』  ナポレオン・ヒル 著  田中孝顕 訳


心ひとつの置きどころ、心がけ次第で、人生どのようにも変化していくという教えでしょう。人生は「今」の積み重ねであり、「決断」の繰り返しです。「今」をどのような心で過ごし、ここでどのように「道を決断するか」で、自分の行くべき道も決まってくるということなのだと感じます。

自分の道は自分にしか創ることができないし、自分に全ての責任があります。99失敗しても、最後の1が成功であれば、それは人生の成功というものです。あきらめることが失敗です。

自分の中に潜んでいる、”可能性という力”にワクワクしながら、日々の仕事に、人間関係に、そして、遊びに 取り組んでいきたいな~と思うのです 

二葉鍼灸療院 田中良和

真理の大海原・・・

2010年03月07日 | 言葉のちから 心のちから
人はなぜ仕事をするのか、なぜ人生というものを生きて行かなければならいのか、などと難しいことを考えていると…

一つの言葉にキラッと光るものを感じた。

≪浅はかな人間は、ものごとの本質を理解することなく、生半可なうわべの知識を得ただけで自らの才能を誇ろうとする。逆に、賢明な人間のほうが「私は自分が無知であることを知っているにすぎない」と進んで認めるものなのだ。

あのニュートンのごとき天才でさえ、

「目の前には手も触れられていない真理の大海原が横たわっている。私はその浜辺で貝殻を拾い集めているに過ぎない」

と語っている。≫

『自助論』  サミュエル・スマイルズ 著  竹内 均 訳


んん~実に深い言葉です。
人間が到達しようと目指すものが「真理」であり、それは職業が違えど、立場が違えど、身分が違えど、大自然の中では全く同じであるということではないかと思ったのです。

「真理」がなんなのか、それは棺桶に入る時に理解できるのかな~なんて考えています。
ただ「今」は努力するのみ。自分の人生や仕事に、一所懸命、打ち込むのみ、なんだな~と感じました。

私は縁あって、鍼灸師という道(仕事)を歩いているわけですが、これを一生の仕事と決めたからには、「真理」に向けて、その道を極めていくことが使命なのですね。その仕事の置かれている環境により、多くの波が打ち寄せると思いますが、その波にのまれないように、逆に大きい波ほど利用していけというくらいの気持ちで臨んでいきたいですね。

そして、鍼灸(仕事)の道においても、人生においても、知らないことが多いんだということを知ることで、一生勉強していく気概も出てくるというものです。これは自身の自覚によるものです。

「天は自ら助くる者を助く」です。

そして、日常の小さなこと、些細なこと、簡単なことを見逃さず、コツコツと地道に行動する、努力することが、日々の修行であり、日々の教育なのだと思います。目の前のことに心を込めて打ち込む、そんな姿勢が、仕事や人生を通して、自分の目的とすべき場所への道しるべになるのかもしれませんね。

「大海原という真理」に入るためには、まず海岸へ行かなければいけません(行動)。海岸へ行き貝殻を拾わなければなりません(目的と努力)。そこで、大海原を意識し、そこへ入る意欲や勇気が生まれてくるのかもしれません。

「真理の大海原」は、さらに広く深いですからね~

さて、私が目指す「真理」とは何なのか 「今」ある境遇に感謝して、「今」を積み重ねていれば、その「何か」が見えてくるのだと感じています 

二葉鍼灸療院 田中良和

3月です!弥生です!マーチです!

2010年03月01日 | 言葉のちから 心のちから
3月1日です。春の気配が漂ってきています。新しい月のはじまりですね。

ハイチでの地震、チリでの地震、沖縄では約100年ぶりくらい久しぶりに大きな地震がありました。ハイチやチリでは多くの人がお亡くなりになっています。ご冥福を祈りたいと思います。

地球上で起こる様々な現象。人が起こすもの、自然が起こすもの、どれも何らかの意味があり現象として起こっているのでしょう。人はもっと自然に目を向け、自然との共生ができるように文明社会(人が創造する心)を律していかなければならいのではないかと、最近多発する大地震から思うのです。

さて、2月の自分はどうだったか、いろんな学びがありましたので、2月さんに感謝して、3月はさらに多くの学びが得られることだと思いますので、意識や志を高くもって臨んでいきたいと思いますね

≪お金のムダ遣い、物のムダ遣い、時間のムダ遣い。様々なムダ遣いがあります。そのムダ遣いの中でも、こころのムダ遣いがもっとも大きなムダだと思います。≫

『鍵山秀三郎 一日一話』  鍵山秀三郎 著


≪自彊不息の時候、心地光光明明なり。何の妄念遊思か有らん。何のために嬰累罣想(えんるいかいそう)か有らん。

【訳】人が自ら勤め励んでいる時は、心は光輝き、眩いくらい明るい。そこには妄念も怠け心もまったくない。また、心にまとわりつく気がかりや憂いもまったくない。

『佐藤一斎 一日一話 ~言志四録を読む~』  渡邉五郎三郎 監修


≪吾が心は明鏡のごとし 払拭して元よりちりなし 照して宇宙の外にあり 万相去りてまた来る≫

『中村天風 一日一話』  中村天風財団 編



今月も、全力で、こころを込めて、笑顔で明るく、楽しい心や理想・志を高くもって、自分の仕事や私生活を突っ走りたいですね。
「今」に、こころを込めて、粛々と流れる自然の変化を感じつつ、自然体で、また1ヶ月やっていきたいと思うのでした~。 

二葉鍼灸療院 田中良和

日々感動!

2010年02月11日 | 言葉のちから 心のちから
感動は、そんな劇的な出来事でなくても、毎日の生活の中にあるものだと思います。
ただ、それに気づくか、気づかないか、そこの意識を向けることができるか、できないかなんだと思います。

日々の何気ない景色や、出来事、他人の思いやりの心や行動に、目を向けて、感じることができれば、そこには自分なりの感動があるのだと感じます。

≪何気なく生きても、あるいは毎日感動しながら生きても、それが自分の人生です。自分次第で人生は、どのようにでも変えることができます。

自分の人生の価値を決めるのは、自分しかいないのですから。≫

『理想の会社』  福島正伸 著


感動や学びは、人生のどこの場面にも存在します。
そこに目がいくか、心が向くか、意識が深まっているか、なのだと思います。
実は毎日繰り返している行動の中に、あるいは、毎日通っている道に、いつも訪れているお店に、感動が待ちかまえているかもしれませんよね。

感動がいっぱいになる=充実した人生 なのだと思います。

さ~て、今日も忙しくなりそうだぞ~。
どんな感動が待っているか楽しみです
今日も一日、明るく、元気に、そして、感動を探して、楽しく過ごしましょう 

二葉鍼灸療院 田中良和

恵まれていることへの”気づき”

2010年02月09日 | 言葉のちから 心のちから
一日一日、嬉しいこと、楽しいこと、辛いことなど、多くの出来事、人生の分岐点を体験します。しかし、太陽は東から西へ大自然の摂理に従い、人間の生活に関係なく経過していきます。

それぞれ環境やおかれている立場は違いますが、一日をどう生きるか、「今」をどのような心で過ごすかで、人生や運命が変わってくるのでしょう。

≪自分みたいに可哀そうで苦しい境遇の人はいないし、また他人には自分の不幸が分かるはずがないと思っている人が多いです。でも、その苦労は、まだ本当の苦労を経験していません。

本当の真実の苦労を人が経験しますと…不思議なことに、生きている、生かされている、生死の原点を何故か見つめ出します。苦しさのあまり、初期の苦労で出てくるような自殺願望はありません。

真実の苦労を経験した人には、明るい性格の人が多いです。もともとは明るい性格ではなく、大きな苦労を経過した上で明るくなるのです。もう、失うものがないからかも知れません。

終戦直後の日本人は、これを経験したのでしょう。家族を亡くし、すべてを亡くした上で焼け野原から逞しく再生しました。その当時の自殺者は、現代よりも格段に少ないでしょう。生かされている原点の有り難さを、誰もが本能で知ったからです。

「今」、生かされていることへの感謝に気づけない人は、逆に言えば幸福な環境なのかも知れません。その環境をなくさないうちに、気づいてほしいものです。

「今」、今…今が大事であり、世の中は本当に有り難いことばかりです。≫

『森羅万象 2』  伊勢 白山道  著


食事を考えても、「今」、お米を食べることができるのは、お父さんが働き(自分に働く環境があり)、お金を稼ぎ、お母さんがお米を買い、食事をつくってくれるからです。そのお米を売る業者さんがいます。お米を育てる農家の方々の努力と愛情があります。お米は水と空気と太陽の光がないと育ちません。肥料も必要です。多くの人が関わって自分の一日に必要な栄養が保たれています。命は生かされているのです。

お米以外はほとんど輸入に頼っている日本は、食に携わる多くの世界の人たちのお蔭で、おいしい食事を食べることができるのです。命は世界や地球レベルで生かされているのです。

こう考えると、ご飯を一杯食べるためにも、多くの人たちの努力や愛情が関わっていることがわかります、「今」が当たり前ではなく、「今」生かされていることへ感謝をすることが大切なのです。ご飯を食べるにしても、そんな気持ちで食べると、食に対する意識も変わってきますね。ご飯を残したりしませんし、現代の日本のような、輸入量の三分の一の食品を廃棄してしまうという状況などにも疑問が出てくるというものです。

同じ一日を生きるなら、感謝という空気を吸い、笑顔、積極性、喜びという太陽の光を浴び、心身ともにそんな心で一日を過ごしたいものです

「今」を楽しく 「今」に感謝 「今」を笑顔で 「今」を颯爽溌剌と そんな「今」を積み重ねていきたいと思います。

人生は、自分自身、心の内の思考が創るのですから~ 

二葉鍼灸療院 田中良和