二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

人間に年齢はない!

2010年01月27日 | 言葉のちから 心のちから
当院には、下は4歳から上は87歳まで幅広い年齢層の方が治療にご来院されます。

皆さまに元気になって頂けるように、日々精進いたしております。

患者さまには、年齢に関係なく心で接するようにさせて頂いています。私より年齢が上の先輩方には尊敬の念を忘れず、下の後輩方には、寛容の心を忘れずにという基本もありますがね。

☆人間に年齢はない!
≪いいですか、私はね、人間には年齢はないと思っています。年齢を考えるから年齢があるように思うけれども、六十、七十歳になろうと、自分が十七、十八歳時代と考えてみて、違っているのは体だけ。そして、もう一つ違っているのは、心のなかの知識だけの話で、心そのものはちっとも変わっていないはずです。

ですから、四十や五十はもちろん、七十、八十になっても情熱を燃やさなきゃ。明日死を迎えるとしても、今日から幸福になって遅くはないのであります。≫

『中村天風 一日一話』  中村天風財団[編]


私の周囲にも、師匠をはじめお手本となる方々がたくさんおられます。有難いことです。まず自分が実践しないとね。今日も情熱燃やして、エンジン全開でいくぞいね

介護や、超高齢化時代な~んて、メディアでは暗い情報が漂っていますが、それを解決する手段は自分自身のなかにあるんでしょうね。心は若いころとなんら変わっておらず、年齢を重ねれば重ねるほど、逆に多くの経験をして熟成されているのですから

心が熟成されて、おいしい味噌ができれば、生理的に、暦的にどれだけ年齢を重ねようが、まったく問題ないですね 逆に熟成されて、なんとも表現できない、美味しくて、味わい深い熟成された人間という味噌が出来上がることでしょう~

二葉鍼灸療院 田中良和

心がすべてを感じる源

2010年01月23日 | 言葉のちから 心のちから
世の中を視ていると、暗いニュースばかりですね。ニュースは視ないほうがいいのかもしれません。視るときは心の眼も開いて視ておかないと、自分が暗い空気に引き込まれていってしまいますね。

≪さてお互いの人生、いかに価値高く生きるか、という問題ですが、まず皆さん方、間違った考えをしていないかということです。つまり、自分の人生を価値高く活かすには、物質的に価値の高いものに恵まれなきゃ、自分というものを価値高く活かせないんじゃないかって思ってやしない?

自分の人生を価値高く活かすには、なにも、物質的なものに恵まれなきゃ、価値高く生きられないものじゃないんですぜ。

ところが、現代の人々は幸か不幸か、物質文化の時代に生まれている関係上、ただ目に見える物質的なものばかり大事にしてますよ。
生命というものを考える時にも、ただ、目に見える肉体さえ大事にしておれば、これ以外に生命はないように考えている人がだんぜん多いですよ。とかく現代人は、心の重大性というものを正しく認識していません。

ただ、目に見える肉体さえ大事にしておれば、なんていう考え方は、愚かな考え方ですけども、それを愚かとは思っていない。それがために忘れてはならない心の重大性が、とかく忘れられてしまってますよ。

それが嘘でない事実は、こういうことを考えてみてもわかるでしょう。

朝、目が覚める。一番先に何を考えますか?
心を考えるか、肉体を考えるか。たいてい肉体ですよ。
今日は仕事が終わったら、なにしてやろうとか、どこへ行こうとか、何を喰おうとか、何して遊ぼうとか考えていない?

今日一日、どんなことがあっても腹を立てまい、批判もしないぞ、気持も体も、できるだけイキイキとして勇ましく働くぞ、というような気持ちを持っている方がおられますか?

おられても一人か二人でしょう。それとも、ここにお集まりの皆さん方は偉いから違うかもしれませんな。よそじゃ、みんな「あれ喰おう、何喰おう」って人ばかりですがね…。(笑)

人生は何よりも一番先に、まず考えなければならないのは、心なんです。なぜかというと、月を見ても、花を見ても、仕事しても、遊ぶのでも、すべてそれを心が認識すればこその生き甲斐でしょう。

おわかりになりませんか。麻雀した、トランプした、面白いなあと思うのは、みんな心でしょう。おいしいものを食べて「ああ、おいしかった」と思うのも心で、肉体ではないでしょう。肉体が味わう感覚を、意識の中に思い浮かべるのは心の働きなんです。

うれしいのも、楽しいのも、辛いのも、悲しいのも、みんな心なんです。だから、もしも、人間に心がなかったらどうなるだろうか、ということを考えてごらんなさい。

人間に心がなかったら、よしんば万物の霊長として、秀れた働く肉体を与えられてあろうとも、それは庭のなかの石ころと同じになってしまうんですよ。

『君に成功を贈る』 中村天風 著


医学に通じ、ヨーガを体得し、波瀾万丈な人生を送られた中村天風さんの言葉には、日々の生活を送るなかでハッと気づかされることが多いです。

心はどこにあるのか、私は人間をつくる細胞の約60兆すべてにあると感じます。それを統合するのが脳であるんではないかと思います。

どうせ、一日を過ごすなら、心は、楽しく 嬉しく ありがたく 喜んで あたたかく 過ごしたいものです。そうすれば、自分に起こるすべての出来事に、不平不満なく対応できるのではないかと思うのです。

今日もまた、笑顔でたやさず、心が充実した一日を過ごしていきたいですね 

二葉鍼灸療院 田中良和

ムダな努力なんてない!

2010年01月19日 | 言葉のちから 心のちから
この人生は幸せになるためにあり、幸せは自分の内から生まれてくるものです。世の中の表面的なところばかり見ていると、暗~~い面ばかりが強調されていますがね

≪かつて人間は、相当な努力や年月を積み重ねないと自分が望むものを手に入れることができませんでした。手に入れるための手順、手続き、年月、辛抱がどうしても必要でした。では、そうした努力がムダであったか。

けっしてムダではありませんでした。

努力を重ねる過程で、私たち人間は暗黙の規範、規律、秩序を身につけることができたではありませんか。

『鍵山秀三郎 一日一話』  鍵山秀三郎 著


一所懸命、毎日を生活すること。そうしていれば一見、ムダであるように思えることでも自分の人生には何らかの意味があるということですかね。世の中、ムダなことなどなく、それをムダにするか、それとも意味あるものにするかは、”そこに気づき””そこへ意識が向くか”ということなんでしょうね。

そして、意味ある人生をより鮮明に生きていくには、目指す場所が必要であり、そこへ向かう意志も大切でしょう。それが人生の目的や目標であり、信念だと思いますね。

さて、今日一日を、一所懸命 楽しく 笑顔で 感謝しながら 一歩一歩進んでいきましょう 感謝で眠りにつけるように 

二葉鍼灸療院 田中良和

大きな努力で小さな成果

2010年01月14日 | 言葉のちから 心のちから
社会では、世界を席巻しきた今までの資本主義経済の終焉へ向けての流れや民主主義の名のものと隠されて続けてきた真実が明るみに出て、変化の時代が到来しています。

今まで以上に、「こころの豊かさ」や「愛」などの相手を思いやる気持ちが大切な時期にきているのでしょう。自分の心の内側に焦点をあて、そこから、広い視野で世界を、地球を、宇宙を、時代を、みつめていくことが必要なのかもしれませんね。

でも背伸びする必要はありませんよね。自分のできることを、自分の日常生活の中で、その時々で自分の心の内側をみつめていくことが肝心です。

≪与えられた境遇を受け入れて、少しでもよくしていく努力をする。大切な人生の意義だと思います。
たとえ紙一枚の厚さのためであっても、どんな努力も惜しまない。ときには、何の成果が得られなくても諦めない。

「大きな努力で小さな成果を」「微差」「僅差」を大切にする。私の基本的な考え方です。≫

『鍵山秀三郎 一日一話』 鍵山秀三郎 著


≪真に大志を抱く者は、小さな事柄でも一所懸命に勤め、また真に遠大なる考えを抱いている者は、些細な事柄もゆるがせにしない。
 ○人間の本当の正しさは、礼節と同様、小事における行いに表れるもので、言葉ではない。≫

『佐藤一斎 一日一話 ~言志四録を読む~』 渡邉五郎三郎 監修


欲というのは生きている限りなくなるものではありません。欲は人間が生きていく上で必要なことだと思います。「健康になりたい」「おいしいものが食べたい」みんな欲なのですから。

しかし、他から奪ってまで、自分さえよければ、相手をだましてまで、相手を犠牲にしてまで、環境を破壊してまで、自分の富になりさえすれば、今まではそんな世の中でした。そんな欲では、自然環境も地球も、人間自身(心や精神)も歪みが出てきて限界がくるのは当然の流れだと思います。「今」はその流れに変化が起きている時期です。

人として正しい欲を追求するとでも言いましょうか。他者を思いやり、愛する欲とでも言いましょうか。生活の中で小さなこと、些細なことから実践していくことが大切ですね。一人一人が行えば、×68億人のパワーが生まれますよね

確かにお金を儲けないと生活はできませんが、何のために仕事をするのか、誰のために、何を目的に、どんな理想を持って、どんな信念を持って、そんなことが大切なのだと感じます。お金はその後についてくるのでしょう。原因があり結果があります。他者に喜んでもらえる、その対価として物質的にはお金という形で見返りがくると考えると楽しくなります。

思考が人生そのものだとも言われます。精神的に豊かに思考すれば、そんな人生が実現できるということです。エゴを追求し、自分だけのことを考え思考すれば、そのような人生が実現します。

人生は成長のためにあると思います。仕事しかり、結婚しかり、様々な人生の場面しかり。
「今」を一所懸命、小さいこと、些細なこと、簡単なことにも一所懸命に努力することが大切ですね。そして、自分が納得いくまで努力をするプロセスが大事であり、成果は小さくても、そこに感謝をして、次の成長に繋げていくことが、人生の階段を一歩一歩(時に一歩さがりながら)進んでいくということなんでしょう。

オバマ大統領ではありませんが、change 変化の時期に来ています。何の変化か… それは自分自身に内在する心の変化です。心の窓を開いて自分の可能性を引き出すことが変化なのだと、私は思っています。

二葉鍼灸療院 田中良和

本願はここにあり!

2009年12月18日 | 言葉のちから 心のちから
金沢は数日前より冷え込みが厳しくなり、雷が鳴り響き(鰤おこし とも言われますが)、が降ってきました。12月では久しぶりの積雪ではないかと思います。昨年はほとんど降りませんでしたからね。予報では暖冬だということですがどうでしょうね…

(上の写真は、当院から18日の8時半くらいに雪景色を撮ったものです

人生は、雪が降っても、雨が降っても、晴天であっても、刻一刻と時間が過ぎていきますね。雪を考えてみると、寒くなり雪が降り積もることにより、大地は低温状態となり、様々なものが休止状態となるのかもしれません。人間にも必ず睡眠が必要なように。また、外気が温かくなりゆっくり積もった雪がとけることによって、雪解け水が川にそそぎ生命に命の源を与えます。また、地中深くに浸み込み地下水となり地中の栄養分をさらに吸収し、長年かけて地中をめぐり伏流水となり、これもまた生命に命の源(おいすぃ水)を与えて頂きます。雪がとける時に蒸発して、水蒸気となったものは、また地球のどこかで、雨や雪になるものもあるでしょう。
水は川や海や湖であったり、氷や雪であったり、水蒸気であったり、形を変化させながら循環しています。人間の身体の60~70%も水であり、人間も汗や尿、便として水分を排出し、食事などと伴に新しい水分を吸収して、常に水分を循環させています。地球環境と人間の身体は繋がっています。近くの川や海が汚れていたり、ゴミが落ちていたり、汚染されていれば、それは自分たちの身体が汚れ、汚染されているのと同じであると言えるのではないでしょうか。

大自然の恵みである雪一つをとっても、私たちは地球に生かされ、宇宙を含めた大自然に生かされていることが分かります。人間は創造できる力はありますが、富士山やアマゾン川を創ることはできません。自然を創りだすことはできませんし、地球を創りだすこともできません。この文明も自然からの恵みにより出来あがっています。

また、人間も小さく小さくして原子や分子レベルまで来ますと、あるゆる物質と組成は同じであり、酸素や窒素、水素、炭素など同じ物質が集合してできているのです。これを考えても地球環境と人間は繋がっており、お互いが影響しあっていると考えられますよね

雪のことを話していたら、前置きがすごく長くなりましたが、そんな”生かされている人生”ということを踏まえ、人生をどう捉え歩んでいったらよいか考えてみると…

≪自分の生まれる前には数千年の遠い過去があり、自分より後にも数千世の遥かな未来がある。たとえ自分が百歳まで生きようとも、悠久なる宇宙の中では、ほんの一呼吸するぐらいの短い時間でしかないのだろう。
今、幸いに人間としてこの世に生れてきた以上、人間としての使命を全うして一生を終わりたい。これだけである。自分の一生の念願はここにある。≫

『佐藤一斎 一日一話 ~言志四録を読む~』


この世に生まれてきた、世界68億人の中で日本に生まれた、私なら石川県金沢市に生まれた、この両親のもとに生まれた、この確率たるや天文学的数字になるくらい奇跡であると思います。また、その奇跡には何らかの意味があるのでしょう。この世に意味のない人間なんて一人もいません。でも、いろんな人がいて楽しいことや、嬉しいことばかりではなく、悲しいことや、苦しいこと、辛いことなど、様々な体験をするのも事実です。様々なことが起きるから人間が成長できるのもまた事実です。

人間として生まれたからには、記憶の奥に忘却している自分の使命を思い出し、引き出し、一生をかけて使命を追求して、死ぬ時に「いい人生やったな」と死ねるように、人生の「今」を一所懸命に励むことが大切だと思います。

自分が生きている意味、人生を歩む意味、これは「今」を一所懸命に生きることによって、生を全うし「死」す時に分かることなんでしょうね。”ただ、がむしゃらに生きること”、そこに人への優しさ、思いやりのある人生を付け加えると、すごく素敵な一生になるのではないでしょうか 

二葉鍼灸療院 田中良和

忘れてはいけないこと

2009年12月02日 | 言葉のちから 心のちから
自分が今あるのは、様々な人たちの支えがあってのことです。自分一人の力で生きていくことはできませんね。

≪自分が人に恩恵を施したことは、忘れてしまえばよい。しかし、自分が人から恵を受けたことは、けっして忘れてはいけない。≫

『佐藤一斎 一日一言 ~言志四録を読む~』 渡邉五郎三郎 監修


人生の中で、苦境に立った時、出発の時、不安な時、切羽詰まった時、落ち込んでいる時、一所懸命もがいていると必ず道を示す出会いがあります。そして、それがきっかけで、人生が好転することもあります。人生においての大切な分岐点であることもあります。そんな時に受けた恩はけっして忘れてはいけないものですし、それを忘れては「人」として必ず報いが来るというものです。自分が考えたこと、行ったことが自分に返ってくるということでしょうか。

また、これからの世の中に大切になってくるのは”与える心”なのではないかと思います。”求める”のではなく”与える”。自分が相手のことを考え、思い、相手に喜ばれるように行動することが大切であり、そこに見返りや期待を持たないことが、実は自分の成長に繋がるということだと思っています。

自分が受けた恩はけっして忘れてはいけないけど、自分が与えた恩恵に関しては見返りや期待を持たずに、逆に忘れてしまったほうがいい。これは、変なこだわりを持たず人生を歩む、あるいは、いらないストレスを生ずることなく人生を歩む一つの考え方なのでしょうね 

二葉鍼灸療院 田中良和

今日が最後の日だとしたら・・・

2009年11月27日 | 言葉のちから 心のちから
朝、目覚め、学校に行き勉強をし、仕事に行き働く。帰ってきて夕食を食べ、夜、眠くなったら床につく。このようなごく普通の当たり前の日常は、実は当たり前ではなく、普通の生活が実はすごく幸せなことであり、感謝してもしきれないくらいの価値ある境遇であるのです。そのことを自覚するのは自分が普通でない状況におかれてから気づくのですが、日々それを幸せと実感し、大切に時間を過ごせば人生は素敵なものになるのではないでしょうかね。

~最後だとわかっていたなら~
あなたが眠りにつくのを見るのが、最後だとわかっていたら、わたしは、もっとちゃんとカバーをかけて、神様にその魂を守ってくださるように、祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが、最後だとわかっていたら、わたしは、あなたを抱きしめて、キスをして、そしてまたもう一度呼び寄せて、抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが、最後だとわかっていたら、わたしはその一部始終をビデオにとって、毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても、わかってくれていたかもしれないけれど、最後だとわかっていたら、一言だけでもいい…「あなたを愛してる」と、わたしは伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる、でももしそれが私の勘違いで、今日ですべてが終わるのだとしたら、わたしは、今日、どんなにあなたを愛しているか、伝えたい

そして、わたしたちは、忘れないようにしたい

若い人にも、年老いた人にも、明日は誰にも約束されていないのだということを、愛する人を抱きしめられるのは、今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら、今日でもいいはず、もし明日が来ないとしたら、あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや、抱擁や、キスをするための、ほんのちょっとの時間を、どうして惜しんだのかと、忙しさを理由に、その人の最後の願いとなってしまったことを、どうして、してあげられなかったのかと

だから、今日、あなたの大切な人たちを、しっかりと抱きしめよう、そして、その人を愛していることを、いつまでも、いつまでも大切な存在だということを、そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう、そうすれば、もし明日が来ないとしても、あなたは今日を後悔しないだろう。

『最後だとわかっていたなら』 ノーマ・コーネット・ワレック 作
                  佐川 睦 (訳)


この詩は、2001年9月11日、アメリカで起こった9・11事件後に世界中に配信された詩です。1989年に発表された、ノーマさんが亡き息子サムエルに捧げた詩だということです。

「今」に幸せを感じ、「今」を大切に、一日で出会う大切な全ての人へ、身近にいて当り前のようにいる最も愛すべき人へ、あたたかい言葉と、あたたかい行動で、笑顔を忘れず一日を過ごしていきたいものですね 

二葉鍼灸療院 田中良和

一年の長短は「こころ」が決める

2009年11月18日 | 言葉のちから 心のちから
今年も早いもので、も~いくつ寝るとお正月~というところまで来ましたね。

患者様とお話していると、「今年もあっという間だったな」「毎年、一年が早く感じるね」「子供のころはもっと時間がゆっくり過ぎたと思うけど~」などのお話をよく聞きます。

時間は同じように過ぎているのに、どうして子供のころと大人では感じ方が違うのでしょうか。また先進国に住む人と、アマゾンなどの奥地で自然とともに生活している人でも時間の感じ方が違うと思います。何がそれを決めるのでしょうか。脳の機能なんでしょうかね。でも~何でも科学的に解かないほうが神秘的でいいのかもせれません…と思うのですが

≪怠けて過ごしていると、短い冬の日でも、なんと長いことか。勤めに励んでいると、長い夏の日でも、なんと短いことか。
この長い短いは自分の心持ち次第であって、日そのものにあるのではない。
また、何かを楽しみに待っている一年は、なんと待ち遠しいものか。何も待つことのない一年は、なんと速く過ぎていくことか。この久しい速いは心持ち次第であって、年そのものにあるのではない。≫

『佐藤一斎 一日一語~言志四録を読む~』 渡邉五郎三郎 監修


自分の心の持ち方次第で「時間」というものの感じ方が違ってくるんですね。一人一人の生活は百人百様ですから同じ計算はできませんが、心がどんな状態にあるか、心が何に向かっているかで、一年が充実したものになるか、一日を一生として歩めるか、「今」を幸せ~と捉えることができるかが決まるんでしょうね

虎(寅)の遠吠えが聞こえてきますが、牛のようにゆっくりと一歩一歩、大地を踏みしめ、これからも忙しい日々が続きますが、楽しんで進んでいきたいと思います。

二葉鍼灸療院 田中良和

裸でも生きる!

2009年10月30日 | 言葉のちから 心のちから
アフガニスタンで、パキスタンで、イラクで、世界で「今」も権力を持つ人たちが行う戦争や、紛争で傷つけられている人たちがたくさんいます。日本でもそのことは報道されています。

世界に目を向けると、日本という国は何と幸せな国だと感じます。自分の周囲の幸せを感じ心に余裕を持ち、そして世界に目を向けて、もう一度自分の周囲を見回してください。本当に日本は恵まれているのです。

≪バングラディッシュで見てきた現実の中で自分の人生に最も影響を与えたものは、明日に向かって必死に生きる人たちの姿だった。
食べ物が十分でない、きれいな服もない、家族もいない、約束された将来もない。そして生活はいつも政治により阻害され、きれいな水を飲むにも何キロも歩かなければならない。そんな人たちが毎日必死で生きていた。

ただただ生きるために、生きていた。

そんな姿を毎日見ていたら、バングラディッシュの人が自分に問いかけているような気がした。
「君はなんでそんなに幸せな環境にいるのに、やりたいことをやらないんだ?」って。

自分は一体何をしてきたんだ。他人と比べて一番になるなんてそんなちっぽけなことに全力を注ぎ、泣いたり笑ったり。こんな幸運な星の下に生まれておいて、周りを気にして自分ができることにも挑戦せず、したいことも我慢して、色んな制約条件を自分自身の中だけでつくり出し、自分の心の声から無意識に耳をそむけ、時間と共に流れていく。
バングラディッシュのみんなに比べて山ほど選択肢が広がっている私の人生の中、自分が彼らにできることはなんだろう。それは、まず自分自身が信じる道を生きることだった。

他人にどう思われようが、他人にどう見られ評価されようが、たとえ裸になってでも自分が信じた道を歩く。それがバングラディッシュのみんなが教えてくれたことに対する私なりの答えだ。

この本を読んでくださった読者の方の一人でも、私の心に聞こえたバングラディッシュの人の言葉が届けばいいなと思う。

自分自身が本気でやりたいこと。それが途上国で「かわいいバッグをつくる」ことだった。目の前には、たくさんの壁がある。周りが全部敵に見えることもあるし、いつも泣いてばかり。しかし、泣いた後に思う。失敗したって、転んだって、すべてを失ったって、また私は裸になればいい。そして、今日もバングラディッシュのみんなが私に問いかける。

「君はなんでそんなに幸せな環境にいるのに、やりたいことをやらないんだ?」

『裸でも生きる』~25歳起業家の号泣戦記~  
                山口絵理子 著


山口さんは、波瀾の学生時代を過ごし、ワシントンの国際機関で途上国支援の仕事につくが、そこで矛盾を感じ単身、アジアの最貧国であるバングラディッシュにわたり現実を目の当たりしました。バングラディッシュで日本人初の大学院生にもなりました。
そこで、暮らして思ったことは”この国の人たちに必要なのは施しではなく、先進国との対等な経済活動なんだ”ということを実感したそうです。そして有言実行。23歳でこの理念のもとバングラディッシュの特産であるジュートに目をつけ、それを使って世界の人たちが欲しがるような「かわいいバッグをつくろう」と23歳の時に起業を決意します。その後、高品質バッグを現地で生産し輸入販売する「(株)マザーハウス」を設立し、あらゆる苦難を乗り越えビジネスを軌道にのせました。

山口さんは私と一回り年齢が離れているのですが、彼女の信念と情熱、そして諦めない根性、行動力、貧しい人たちが自律できるように、喜べるような、誇りにできるような仕事(システム)をつくるために努力する献身の心など、あらゆる面で脱帽です。世の中、素晴らしい人間というのは年齢ではありませんね。

何を見て生活しているのか、何と比べて悩んでいるのか、何を考えて悲観しているのか、本当に自分の周囲には幸せはないのか、それぞれが違う立場にありますし、日本でも貧富の差はあります。しかし、世界と比べると日本は物事の観方、考え方、捉え方など違う角度から視て、チャンスという尻尾に気づきさえすれば、いくらでも自分の力で道をつくることができる環境にあると思います。

あとは、自分自身の自覚と勇気と信念を煥発するだけでしょう

チャンスはどこにでもあります。ただ五感で第六感で感じるか感じないか、心がオープンになっているかいないか、困難を次への試練だと捉えることができるかできないか、なのでしょう

誰にでも同等の可能性が内在しているのですから 

二葉鍼灸療院 田中良和

一日一生、と思って生きる

2009年10月16日 | 言葉のちから 心のちから
「一日一生」、この言葉は私が星稜で野球をしている時から、山下監督さん(現 総監督)がことあるごとに話されたり、野球日誌に書いて頂いた言葉です。
今になって心に沁みてくる言葉ですし、患者様との会話の中でも私がよく話す言葉なんですね。

≪行に入ると、毎朝毎朝、草鞋を履いて出ていく。登りが10キロ、わりと平坦な道が10キロ、下りが10キロの道をぐるぐる歩く。そうして一日山を歩き通して帰ってくると、草履がくたびれてボロボロになっている。翌日はまた、新しい草履を履いていかないといけない。
それを、毎日毎日、繰り返していたら、ある時、草履が自分に見えてきたんだ。

草履はボロボロになっちゃった。もし自分が草履だったら、今日でおしまいなんだなあって。明日になるとまた新しい草履を履く。それは、また生まれ変わるみたいだなあって。一日が終わって、また生まれ変わる。草履も人間も同じなんじゃないかなって。

山をトットコトットコ歩いている時は、動きの世界。一日履いた草履を脱いで、お経を上げたり、横になったりしている時は、静かな世界だ。静かな世界が終ると、朝になり、また動きの世界が始まる。動と静っていうのは背中合わせ。動があるから静があり、静があるから、動がある。

人生で置き換えるなら、「動」というのは生きること。「静」というのは死の世界。生まれるから死んで、死ぬからまた生まれる。

今日の自分は草履を脱いだ時におしまい。そこからは明日生まれ変わるために、一生懸命反省すればいい。復習するわけだな。今日なぜこういう悪いことがあったのか。じゃあ明日は二度と再び同じことは起こさないように努力しましょうって…。

そしてまた、新しく蘇って出ていく。今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。

一日が一生、だな。今日失敗したからって、へなへなすることはない。落ち込むこともない。明日はまた新しい人生が生まれてくるんじゃない。それには、今日を大切にしなかったら、明日はありませんよっていうことでもある。今が一番大切だってことだよ。

今、自分がやっていることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないのかな。≫

『一日一生』  酒井雄哉 著


天台宗大阿闍梨の、自己の実践から生まれ、体験から生み出される言葉たちには、何か奥の深さと、うんうんと納得できるものがあります。

「今」を一生懸命生き、それを積み重ねて一日を悔いなく過ごす。明日になったら今日の人生が肥やしとなった新しい自分が生まれ、そして一日を過ごす。人生とは動と静、その繰り返し。その中で何を感じ、発見するかは自分の心しだいといったところでしょうか。

一日一生でいきましょう 

二葉鍼灸療院 田中良和

人の能力・可能性

2009年09月29日 | 言葉のちから 心のちから
人間は父と母の遺伝子を半分ずつもらい、ほんの少しの遺伝子の違いが個性を表現することになるようです。身体の約60兆の細胞に秘めるほんの少しの遺伝子の違いが個性(能力)であるなら、99%以上を占める大部分の共通する部分はどう考えるのでしょうか。

≪人間の心に何かの観念が出ると、その観念の型とおりに宇宙根元から微妙な力が働き出し、その観念の型が良ければ良いように、悪ければ悪いように-わかりやすく言えば-思い方や考え方が積極的であれば、積極的なものができ、消極的なら消極的なものができる。そのように真理ができている。人間の境遇だとか、その人の現在に同情するということはないのである。峻厳侵すべからずである。≫

『中村天風 一日一話』  中村天風財団 編

≪自信を喪失してはいけません。人間には皆、同じ能力が備わっています。「私は価値のない人間だ」と考えるのは、間違っています。全くの誤りです。自己を欺いているのです。私たちは、誰でも考える力が備わっています。これ以上、何が欠けているというのでしょうか。意志の力があれば、何でもできるのです。しかし、自信を失い、「私のような者に一体何ができるのか」と思うなら、成功への道は閉ざされてしまいます。≫

『ゆるす言葉』  ダライ・ラマ14世 著


人には、個人のおかれている環境や立場に関係なく、人生は、常に自分の能力を活かせる場なのだと思います。自分にとって、いいことがたくさん起きている時であっても、苦しい立場、辛い状況など逆境におかれている時にでも、少し視点を変えたり、いい出会いがあったりすることで、自分の眠っている能力が湧いてきて、今の状況をよりいい方向へ向ける力が、人の内側には無限に存在するのだと思います。

その無限の能力(パワー)を引き出す「扉」が心の在り方なのでしょう。心が消極的であれば「扉」は閉まった状態で、前へ進むパワーが遮断されてしまいます。心が積極的であれば「扉」常に開いた状態となり、内なるパワーが湧きだしてきて、人生において多くの可能性が展開されるのだと思います。

心とはどこにあるのか分かりませんが、”自分にある”ことは確かです。その心の在り方しだいで、人生はどうとでもなるということですね

家や家族など境遇や、体やお金や形あり与えられるものは、それぞれ皆ちがっていて平等ではありませんが、心は皆、自由であり平等なものであると思います。人と同じだけの能力や可能性をそれぞれが持っているということなのだと思いますね

では、今日も半日、楽しくいきましょう 

二葉鍼灸療院 田中良和

幸福は自分の中にあり!

2009年09月03日 | 言葉のちから 心のちから
民主党が選挙に大勝し、政権交代がなされました。荒んだ暗いニュースが多い世の中、真実が隠され国民が苦しんでいる世の中、そんな世の中をすこしでもいい方向に向けて頂きたいと思います。党のため、連立政権のためではなく、国民のための政治を行ってほしいと願うばかりです。政権後退にならないようにね…

幸せって、人それぞれ違うと思いますが、何なのでしょうか
幸せって、どこにあるのでしょうか
幸せって、どうすれば得ることができるのでしょうか

~幸福のるつぼの中で活きる~
「自分の住む現在の人生環境や、また世界を、いやらしいとか、いとわしいとか、思うような人、あるいは健康に快さを感じない人があったら、その人くらい不幸を人生に感じている人はいないと言える。
反対に、現在の自分の住む世界や環境が、たとえ他人から見てそうたいしたものではないと思われるようなものでも、自分が心の底から本当に満足し、感謝して活きているとしたら、その人は終始一貫、幸福のるつぼの中で恵まれて活きている人である」

~不運だと思えば不運になる~
「あなた方の心の中の考え方や思い方が、あなたたちを現在のあるがごときあなた方にしているのであります。だから、俺は体が弱いと思ってりゃ体が弱い。俺は長生きでないと思ったら長生きできない。俺は一生不運だと思えば不運だ。
自分の念願や宿願、やさしく言えば、思うことや考えていることがかなう、かなわないということは、それが外にあるんじゃないよ。あなたたちに与えられている心の思いよう、考え方というものの中にあるんだよ」

『中村天風 一日一言』  中村天風財団 編


良書との出会い、いい言葉との出会いには時期があるのだと私は思います。その時は受け入れられなくても、真実というのは変化がありません。心の受け入れる体制が整うと、「こんな言葉、理解できん」「正しいことなんだろうけど、なんか心に響かない」「こんなことあり得るはずがない」と自分の殻の中で判断していたことが、殻を破って外を観てみると、「あの言葉や、書物に書いてあったことは本当だったんだね」とタイムラグがあり納得できることも多いと思います。

幸せは、自分の人生そのものなんでしょう。
幸せは、自分の内にある心の在り方に全てが存在するのでしょう
幸せは、自分の心の考え方、思い方を、外に向けるのではなく、自分の内面に向けることによって得ることができるのでしょう

素晴らしい人、素晴らしい書との出逢いが、人生の観方を変化させ、違った視点をもって人生を送ることができれば「常に幸福は、自分のそばに存在する」ことに気づけるのかもしれませんね。

二葉鍼灸療院 田中良和

何事も真剣に ~心を込めて~

2009年08月16日 | 言葉のちから 心のちから
本日、早くから目が覚め、というより輪島までお墓参りに行ってくるためなのでした。

しかし、早起きって気持ちがいいですね。何か気分が爽快で一日が気持よく送れそうな感じがします

≪まず何事をするにも、真剣な気持ちでそれに当たることである。すなわち一事一物いやしくもせず、すべてを真剣な気持ちですることである。
言い換えると気なしで何事もしないようにすることである。この気構えはちょっと考えると小乗的な方便のようだが、しかし、大乗的な方便に共通したものだと私は断定する。要は気を込めてやらないから、心がいつしか他方へ分裂逸散するのであるという因果関係からの、正方方便なりといえる。≫

『中村天風 一日一語』  中村天風財団 編


日常の中で行う些細な事柄も、どんな小さなことでも真剣に、というと堅苦しいかもしれませんが、心を込めて行うということでしょう。ただ何気なしに行うのではなくです。

仕事に、遊びに、会話に、挨拶に、日常の何気ない行動に対し自分の心がけを少し気をつけてみると、毎日が心のある、充実した生活になっていくのでしょう。毎日の楽しさ、嬉しさ、喜びってのは実はそのあたりの心の在り方にあるのかもしれませんね

二葉鍼灸療院 田中良和

植福

2009年07月25日 | 言葉のちから 心のちから
なかなか梅雨が明けませんね。
しかし、自然は思い通りにならないものです。じっくり待ちましょう。
雲の上には必ず青空があり、太陽が常に存在しているんですからね

≪幸田露伴の教えに、『植福』というのがあります。

つまり、将来よいことが起こる種を蒔いておこうという意味です。
たとえば、自分の裏山に桜を植えます。桜の木は成長するのに時間がかかりますので、植えた人自身には何の恩恵もありません。しかし後世の人がきれいな桜を見ることができます。

この考えが『植福』です。≫

『鍵山秀三郎 一日一話』 鍵山秀三郎 著


今の政治に、経済に足らないものかもしれません。そして地球の環境破壊が急速に進んでいる現在においては、”後世の人のために”自然と共生できる、人間に都合がよい(便利)のではなく、地球(あらゆる物質も)と生物と人間が共存共栄し、すべてが恩恵を受けることができ、幸せな循環する社会を構築するために重要な考え方なのでしょう。

さて、今日一日、「今ここ」の大切な時間で、どれだけの”未来に花咲く幸せの種”を植えることができるでしょうか 些細な出来事、小さな行動の中に実は素晴らしい種があったりするかもしれませんね。

二葉鍼灸療院 田中良和

人生、常に勉強!

2009年07月06日 | 言葉のちから 心のちから
7月に入り、忙しい日々が続いています。日々の臨床、勉強会などもさることながら、鍼灸業界の用事、そして私のライフワークである高校野球と、本当にありがたいほど忙しく動き回らせて頂いてます(マグロのように常に一日中動いている感じ

鍼灸医療は死ぬまで勉強。人生、日々の生活で起こる出来事も常に勉強です。

≪少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。≫

【少年の時に学んでおけば、壮年になって役に立ち、何事かをなすことができる。壮年の時に学んでおけば、老いても気力の衰えることがない。老年になって学んでおけば、若い者を指導することができ、死んでからもその名が朽ちることはない。】

『佐藤一斎 一日一言「言志四録」を読む』 
            渡邉五郎三郎 監修


いつになっても目標を持ち、向上心を持ち、勉強に励むことが人生には大切だということですね。

私の師匠の黒野先生もしかり。一番身近に過去、現在を通じて実践されているお手本です。また、周囲にはお手本になる先輩方が多いのです。私の職業だけに限らず、野球、患者様などいろいろな所からの学びがあるんです。

私は、今はまだ少年だから…壮年になってから役に立つように情熱的に、積極的に、楽しく、笑顔で、人生や仕事の勉強に励んでいきたいですね
それには素直さや感謝も大事です。

二葉鍼灸療院 田中良和