二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

平成24年 金沢市鍼灸マッサージ師会 新春役員研修会

2012年02月02日 | 鍼灸
1月19日(木)、平成24年の金沢市鍼灸マッサージ師会 新春役員研修会&懇親会が行われました。

 金沢市鍼灸マッサージ師会 新春役員研修会・懇親会 

 日 時:平成24年1月19日(木)  午後6時30分~7時20分(研修会)
                      午後7時30分~9時   (懇親会)
 会 場:金沢ニューグランドホテル 3階 バラッツオ

 研修内容:「金沢市の福祉行政~健康に関する取り組み~」

        (講 師)金沢市役所 福祉健康局 健康推進部 健康総務課
                               課 長  加藤 実 様

        「私の教育についての考え」
 
        (講 師)金沢市議会議員・当会 顧問  下沢広伸 様

 懇親会:
      ご来賓 (金沢市長)                 山野 之義 様
           (石川県議会議員)             下沢 佳充 様
           (金沢市議会議員)             下沢 広伸 様
           (石川県立盲学校 校長)         松原  清 様
           (石川県鍼灸マッサージ師会 副会長) 岩田 昌弘 様
           (全日本鍼灸学会 石川県鍼灸研究会) 中田 和宏 様



~役員研修会~


 司会 副会長 宮川先生


 常盤 金沢市鍼灸マッサージ師会 会長 あいさつ

 
 金沢市 健康総務課 課長  加藤 実 様

金沢市役所 健康総務課の加藤 様には、金沢市が行う福祉行政に関する取り組みのお話がありました。「いつまでも すこやかに」という冊子を参考に、生活機能の低下を早期に発見するチェックリスト(65歳以上の方 対象)、筋力トレーニング教室、転倒・骨折予防教室、健康スタジオ、栄養教室、口腔ケア教室、認知症予防教室などを行っている施策の紹介がありました。

要介護認定の前の段階である要支援にある方、または、日常生活を行う上で自分の身体機能に不安のある方を対象に、上記教室のほか、介護予防策としてシニア元気プログラムという取り組みがあります。その中の一つに、鍼灸マッサージ師(院)あるいは柔道整復師(院)が事業所となり金沢市の特定高齢者支援プログラムに登録された方が、高齢者一人ひとりにあった運動などのプログラムを提供、指導し、運動機能の向上を図る施策もあります。

シニア元気プログラムというのは、金沢市行政が中心となり、様々な機関と連携して、高齢者の方々が要介護や要支援になる前に、運動や様々な健康長寿に関する情報を提供し、指導し、そうならないようにしていこうという施策です。

今年度は、鍼灸マッサージ師に1件、柔道整復師に2件の要請があり、特定高齢者に対する支援事業が行われたとのことです。運動とともに鍼灸マッサージを、どちらも継続して行うことで健康長寿に関して相乗効果があります。基本的には、歩いて、あるいは、移動して、鍼灸院へ来ていただくのがベストです。そのためには筋力を落とさないように、少しだけでもいいですから、体を動かす、特に歩くことが重要となります。歩幅と健康長寿は関係しているとも言われています。それだけ筋肉(ムキムキマンみたいな筋肉ではないですよ)というのが健康に大切ということです。

その他、諸々、健康に関する施策のお話が20分ほどありました(5分オーバーで熱く語って頂きました)。



 
 下沢広伸 金沢市議会議員


当会の顧問をして頂いている下沢市議会議員には、市政について何でもいいのでお話くださいとお伝えしてありました。今年のお話は下沢市議が考えている「教育」のことについて約30分話して頂きました。

内容は、市議もお子様がおいでになりますので、そのPTA役員として感じたことや、現在、様々な
環境に取り巻かれている子どもの現状のお話がありました。そして、市議が主張しているのは「土曜授業の復活」でした。土曜が休日となり時間が経ち、教師、親、地域、そのほかの活動など、土曜休日という形で動いているのでなかなか簡単なことではないという話でした。

では、土曜授業を復活して何をやるのか 通常通り勉強をするのか
下沢市議はその時、一つの話を例にあげました。日本がまだ戦争という時代と言っても約70年前という最近のお話です。海軍軍人であった佐久間 勉 大尉、そして、大尉が艇長を務めていた、第6潜水艇の潜航試験、訓練での出来事のお話でした。


 研修の様子

この佐久間 勉 大尉 以下、第6潜水艇乗組員のお話は、書き始めると、私の得意技、長~~~い文章になるので、要約だけ書きます。この内容については別枠で書きたいと思います。感動、感涙しましたもので。

国産初の第6潜水艇、佐久間艇長以下、乗組員14名。ある日、潜水艇の潜航試験、訓練のため海洋へ。その潜航試験の最中、故障が起こり潜水艇は海中へ沈んでしまう。海中へ沈んで2日間、本部はやきもきしていた。乗組員の安否もさることながら、丁度その頃、同じ潜水艦の事故がイタリア海軍で起こる。ハッチを開けてみると、その周辺に折り重なるように我先にと逃げようとし、あるいはお互い争った状態で観るも無残に、醜態をさらすように死亡していたということがありました。
軍部としては「彼らはどうなんだ」という思いもあった。潜水艇を引き上げ、ハッチを開けてみると、佐久間大尉以下12名は自分の担当の席に座り、残る2名は最後まで修理をしながら、最後まで職責を全うして絶命していたということでした。その姿を目にしたものは、感嘆の声から、次の瞬間、なんとも言えない感涙に変わったそうです。

佐久間大尉は、事故があってからのことを、明かりも少なく、酸素も途切れ、悪ガスが充満する中、事細かくメモに残していました。そして「もうダメだ」と思った最後の瞬間、遺書を書かれたようです。引き上げられた大尉のポケットにこの一連のメモが入っていました。その遺書には

・天皇陛下の潜水艇、乗組員を私の不本意で故障させ、死なすことへの謝罪
・この事故を契機としさらなる潜水艇の発展を願うこと
・乗組員すべて最後まで職を全うし、国家のために死すること
・乗組員が残した遺族が心配であるので、部下の遺族にお力添えをお願いしたいこと

これらの内容が書かれていました。

死を迎えるこの時に、これだけの文章を書ける人が現在、いるでしょうか私は自分の家族にあてるくらいですね。佐久間大尉の亡くなった年齢は30歳です。30歳です。

また、この大尉以下乗組員の行動は、これぞ日本人というより人間があるべき姿、本当の強さを兼ね備えた人間の精神力だと思います。恥ずかしながら、大尉の出身がお隣の福井県であるのに、このような貴い話は、研修で話を聞くまで知りませんでした。

戦争はハッキリ言って大義名分があろうが、やってはならないことです。また、あの時代、やってはならない戦争であったが、時代の流れに逆らえないところもあったでしょう。そんな空気は私たちには想像もできませ。そして戦勝国が正義、戦敗国が悪、などと白黒ハッキリつけることができるものでもありません。近現代史の戦争時代、それぞれ各国が各国の思惑で動いたわけです。いろんな方向から視ると正義、悪はいろんな形に変化していきます。まあ、この話はここで終わり。

大戦が終結し、もう70年弱です。正義や悪、誰々の責任で判断や議論する時ではなく、佐久間大尉あるいは、金沢出身で台湾の発展に貢献した八田与一さんのような、日本人としての誇り、人間としてのあるべき姿を体現して頂いた偉人の生きざまを学んでいくべきだと思います。

下沢市議は、そのような素晴らしい人々、特に郷土の偉人が残してくれた行動や業績を、土曜授業が復活した際には取り入れ、さらに、ボランティア活動などをしたり、心、精神の教育というものをしていくことが大切ではないかと話されていました。100年の計は教育にあるとも言われています。

役員からは、金沢は芸術も盛んだから、そんな要素も入れながら教育の一環としてくといいですねという意見もありました。そうですよね。室生犀星、泉鏡花、徳田秋声という三文豪をはじめ、西田幾多郎、鈴木大拙などの哲学者も石川が誇る郷土の偉人です。

下沢市議の意見に大賛成です。人を突き動かすのは心です。精神なんですよね。そのことを偉人から学び、体を動かし体験する。そうすると脳もそれなりに反応していきます。市議の主張が通るように願ってます。

わぁ、長くなった 懇親会の模様はパート2で


二葉鍼灸療院 田中良和
コメント
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