二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

生まれるということ

2014年10月10日 | 日常

今日は10月10日です

1964年10月10日に東京オリンピックの開会式が開催されました。それを記念して10月10日を「体育の日」として1966年から国民の祝日に定められたということです。私が生まれる3年前です。

10月10日は、私の誕生日でもあり、本年で45回目の誕生日を迎えさせていただきました  よく「10月10日生まれって、そんな感じですね!」と言われることがあります。体育会系ですからね
今があるのは、ここまでの人生に関った全ての皆様のお蔭さまです。感謝です。

誕生日を機会に「生まれる」ということに少し思いを馳せてみたいと思います。

現在の日本の人口は約1億2704万人だそうです。
世界の人口は、約72億1222万6000人だそうです。
世界では、1年間で約6000万人の人々が亡くなり、約1億3000万人の人々が生まれています

世界72億人の中の、日本、さらに石川県の金沢市に生を受け・・・違った、富山県の黒部市に生を受け、こうして生活していることを考えると、すごく奇蹟的な確率で、かけがえのない場を与えられているのではないかと思います。
もしかしたらアフリカに生まれていたかもしれない、シリアかもしれない、パレスチナ・ガザ地区かもしれない、そんな中、日本に生まれたということに意味があるんだろうと思います。

だ・か・ら・日本国内で起きていること、世界で起きていることは、人ごとではないと思います。無関心ではいけないのだと感じます

人間の身体は多数の細胞の集合体であり、細胞が働いてこそ生物、人間として生活できています。昔、学校で習った生物の教科書の細胞の絵を思いだしてみてください。その細胞の中に目をやると、真ん中に生命の設計図である遺伝子の詰まった場所である「核」が存在します。その周囲にゾウリムシのような形をした小器官があります。

ここが「ミトコンドリア」です。

ここで細胞や身体を動かすためのエネルギーがつくり出されています もつくり出されています おまけに活性酸素もつくり出されています 身体の中のすべてが必要なものなので順番をつけることはできませんが、「ミトコンドリア」は身体にとってかなり重要な細胞小器官なのです。

さて、この「ミトコンドリア」は、元を辿ると太古の昔、生物の元になる細胞に入り込んで共生してしまった違う生き物だったことが分かっています。そして、そのような理由からか「ミトコンドリア」には他の器官にはないものがあります。それは遺伝子です。「ミトコンドリア」にも数は少ないですが遺伝子が存在するのです。

そして、なんとこの遺伝子は精子と卵子が受精したときに、精子のミトコンドリア遺伝子は消去され、母の遺伝子のみ次の世代に伝えられていくのです。いわゆる「母系遺伝」「母性遺伝」ということになります。子供の体質や強さは、母が重要な鍵を握っていると考えてもいいのではないでしょうか

さて、この直系の純粋な遺伝子を辿って人類の祖先を推定する研究が行われました。その研究はカリフォルニア大学の分子進化学のアラン・ウィルソン教授のチームが行いました。ヨーロッパ、アフリカ、アジア、オセアニア人などの遺伝子を採取して解析し、系統樹を描き想定した結果、約20万年前のアフリカに人類の共通の祖先が存在したとされました。この共通の祖先は「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれるようになりました。

ロマンのある話で、何か自分のルーツを探るようでワクワクしてくるものがあります

私たちは、父母から生を受けました。そして父母もそれぞれの父母より生を受けました。この時点で自分の誕生には6名が関っていることになります。そして、祖父祖母も・・・というように自分の御先祖さまを遡っていくと、この世の生を受ける前から、天文学的数字の御先祖さまの恩恵を受けていることになります。それを約20万年遡るとアフリカに行きつくということなのでしょう。

当たり前かもしれませんが、ここが重要なところであり、自分の命や人生は自分だけのものではないということなのです。なぜお墓参りに行くのか、なぜ自殺をしてはいけないのか、なぜ人を殺めてはいけないのか、人間を時間的に遡れば一つの答えが導き出されるのではないでしょうか

私は鍼灸師という仕事の中で不妊症の患者さまも多く施術させていただいていますので、生命の誕生についてはいつも神秘的に感じております。また、妊娠、胎児の発育、出産に関しても勉強させていただく機会に恵まれております

夫婦が愛し合い、夫から精子が射精されます。その数は1億ほど。現在、様々な原因でその精子の数が減少傾向にありますが少なくとも数千万の精子が卵子に向かって放出されます。卵子まで辿りつき、その硬い膜を一番最初に突き破った精子に受精の機会が与えられます。
卵子も卵胞という状態から排卵にいたるまで、年齢によって違いますが、数千とも数百とも推定される卵胞が排卵に向け成長をはじめ、最後に一個、主席卵胞という最優秀選手が排卵する栄誉にあずかり、月に一度の排卵を迎えます。

受精の確率も100%ではないですし、1回の受精に関る精子や卵子の数を考えても、私たちの生命というのは奇蹟的な確率や出逢いにより演出されていることが理解できます

この大きい地球に住む人間というもの、また、その人間の身体の仕組みから「生まれる」ということを考えてみました。本当に「生まれる」ことは奇蹟であり、必然の出逢いであり、感謝して過ごすことの大切さなどを感じました

ここで、胎内記憶を研究されている産婦人科の池川 明先生の『ママのおなかをえらんできたよ』より、ご紹介させていただきます。

  お空の上では、そら(弟)といっしょだった。  
  ボール遊びをしたんだ。
  「先に行くね」って行ってきたの。

  私は女優になりたかったからママをえらんだの。
  お空からたくさんの階段が、いろんなお母さんにつながっていたけど
  ママが一番キレイだったから、ママなら女優にしてくれると思ったの。

  ママがこういうところでこんな服を着て、
  しいたけに手を伸ばしたときに入ったんだよ。
  ママのおなかに入ったとき、長いヒモがあって
  自分のおなかにくっつけたの。
  かんたんだよ。

5歳の女の子が胎内記憶を聞かれた時のお話です。というより胎内前記憶も入ってますね

いろんな意見があると思いますが、私はこの純粋な子どもの言葉を信じています。ということは、自分は、この父と母を選んで生まれ、自分の意思でこの世に生まれてきたということです。だから自分がおかれている人生は、自分が設定して、いくつもの難関やハードルを設けて生まれてきたんだろうなということです。

ですから死んだ時に、あの世で、「自分が設定した難関やハードルはほぼクリアーできたぞ」と言えるように人生を歩みたいと思うわけです

話をまとめると、「生まれる」ということは奇蹟であり、喜びである。

          「生まれる」ということは、自分の意思である。

          「生まれる」ということは、自分の障壁を乗り越え成長することである。

          「生まれる」ということは、それ自体(生命)、感謝の塊である

そんなことを45回目の誕生日に考えてみました。

そして最近の誕生日は、母に、これまでの感謝を込めて大したのもではありませんが手紙とともにプレゼントをするようにしております(父は8年前に胃ガンで他界しましたので)。

でも、次の誕生日には隣に・・・  長文読んでいただき、ありがとうございました

 

    二葉鍼灸療院 田中良和

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