この世の中、悩みというものが無くなることはあるのか そんなことを考える時があります。
人生を歩んでいる中で、発展途上なのか、成長しているのか、そこのところは分かりませんが、いろんな人との関係の中で「悩み」が出てきて、本当に狼のように叫びたくなる時があります。
これは成長の過程の出来事だと思っても、なかなかやりきれない時もあるんです。
人間だから!( パクリか )
自分のことは棚に上げて、周囲の人や物に責任を押し付けたり、そこに責任を転嫁することによって自分の気持ちを楽に保とうとしたりします。
本当に自分って弱いな、と思う時が多々あります。
人生、山あり、谷ありと良く言いますが、一日においても、刹那においても、自分の心や精神と言うのは常に揺れていて、山の波がやってきたり、谷の波がやってきたりします。
そして、それが現実に現象としてあらわれることもあり、「これだけ頑張っているのに・・・」と、解決にはならないけれど、周囲にその責任を押し付ける、そんな自分が登場することもあります。
でも、ふと先人や先輩方が残した文章に触れると、我に返り、山の波が心の底から湧いて、心や精神の進む方向が変わってくることがあります
「人」を氣にせず、「天」を氣にせよ
ある時、西郷さんが、こうおっしゃった。
”人を氣にせず、天を氣にして生きていくことだね。
人生というのは、天だけが自分のことを知っている と考えながら、今、自分に出来るかぎりのことをしていけば、それでいいものなのだよ。
もしも、うまくいかない時があっても、けっして誰かを責めたり、何かを責めたりしてはいけないね。
そういう時こそ、自分の誠が、まだ足りなかったのではないか? と、自分の心を顧みなければいけないんだよ。”
『【新訳】 南州翁遺訓~西郷隆盛が遺した「天敬愛人」の教え~』より
タイミングよく、この月頭にいい文章に出逢えたものだと思います。そして、グサッと私のハートに、見事に刺さりました
話は飛びますが、最近、世間を賑わせいる大相撲、横綱 日馬富士の問題ですが、いろんな考えがあると思います。報道されているように、短絡的に日本の先輩、後輩の関係が悪のような捉え方は、これこそ悪の捉え方だと私は思います。
先輩、それも荒波にもまれて結果を出してきた先輩は、やはり、それ以前の先輩の行動や残してきた道に「天」をみているのだと思います。その「天」を実践し、受け継いでいくことが、これが先輩、後輩関係であり、師弟関係だと思います。
報道では真実はまったく分かりませんが、そこを見間違えたり、捉え違えてはいけないかなと私は感じております。
師匠や先輩の言葉や行動には、やはり人の上か、周囲か、近くか、どこにあるか分からない「天の氣」、引き寄せる氣が存在するのだと思います。すべてではありませんが(笑)。
「人」を氣にせず、「天」を氣にせよ・・・なかなか自分では出来ていませんが、本日より念頭に置きながら心を磨いていきたいなと思います。
そして、やれることは無尽にあるという気持ちで、今、やれることに全力を注ぎたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます
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