さて、立春は過ぎましたが寒い日が続いております。皆さま体調はいかがでしょうか
私の鍼灸の師匠であった東洋医学研究所®所長 黒野保三先生が令和3年9月に92歳にてご逝去されたことをきっかけに、私の修業時代の経験をもとに、師匠とは何だろうというものを探索する記事を書かせていただいております。
第1話をもしご覧いただいてない皆さまは、お読みいただけると嬉しく思います
鍼灸師 田中良和 ~新たなる旅立ち~ 師匠ってなんだ!?を辿る物語 ☆第1話~出逢い~☆
私が東洋医学研究所に入所、いわゆる修行を開始したのは昭和63年4月でした。
翌年の1月7日には昭和天皇がご崩御され、年号が「平成」にかわった、そんな時期でした。
年号を発表する当時の小渕 恵三 首相
東洋医学研究所のビルは3階建てになっており、3階が広い和室と狭い和室の二つです。広い和室で会議や研修が行われ、夜は私たち弟子の寝床になります。いわゆる雑魚寝ですね。当時、私を含め13名ほどの弟子が住込みで修業しておりました。
この年、私と一緒に新弟子として入所したのは、私を含め4名でしたが、皆、中和医療専門学校(当時、中和鍼灸専門学校)や明治国際医療大学(当時、明治鍼灸大学)を卒業された先生方でした。
前回も書いたかと思いますが、私は入所した年の4月から愛知県稲沢市にある中和医療専門学校に通学しながら、治療室の手伝いやマッサージの訓練、日常生活の様々な仕事を行いながら3年間の学校期間を過ごしました。
たいへん時間的にもタイトで厳しかったですが、住込みで鍼灸やマッサージを学ぶことができる環境に今では感謝してもしきれません。
当時、一番印象に残っていることが「正座」がきついことでした。笑
なんだ鍼灸のことじゃないんだ!と思われるかもしれませんが、院長先生のお部屋は日本間、食事場所も板の間に絨毯を敷いた部屋で、すべて正座だったわけです。高校野球部で鍛えた臀部、大腿部、下腿部はまだ健在で、筋肉が神経や血管を圧迫して痛いのなんのって、ホント気合いで先生の話をお聞きしたり、研修を受けたりしてました。笑
さて今回は、一日のスケジュールや研修期間で学ぶこと、休日の過ごし方などの話をしたいと思います。
全てのことは黒野先生が細部にわたり指導され、そして、おおまかな取り決めは規程や規則のような形で取決めがされています。先生は、ただ直感で弟子を指導するわけではなく、システムとして教育や全ての事柄を整理して進めておりました。これは教育から、研究、臨床、経営、会の運営にいたるまで一貫した姿勢でしたので、弟子も多く集まったのかなと思います。
私は師匠から学んだシステム化することについては、まだ実践していません。反省でございます。
研修期間
名古屋は金沢と違い大きな街で、地下鉄ってものを初めて乗ったのも名古屋で、滑走路かと思うほど広い100m道路や片側5車線の道路をみて、都会だな~と感じました。
それに繁華街の華やかさも桁違い。ワクワクする街だな~と思いました。
しかし、入所当初は休みもなく頑張って研修です。
まずは修行初めの3ヶ月は研修期間となります。休みなしで、様々な基本的な生活の流れや勉強会が行われます。
課題は、
1.起床から就寝までの生活の流れを学ぶ(自分の担当の仕事を知る)
寮長(視覚障害者の先生で、まるで目が見えているかのように隅々まで知り尽くしている先生)から、掃除から食事準備、その他の日常生活の雑用などの基本を学びます。
2.マッサージの訓練
様々な仕事の中で空いている時間は、寮長より、あん摩マッサージ指圧を習います。研究所ではマッサージ施術も鍼灸治療院とは別に行っており、基本、出張(実費)でしたが、一部は治療院に来院いただきマッサージをしていました、寮長は視覚障害があったので、治療院で主にマッサージの仕事を行ってました。
その合間、私の稽古台になっていただきマッサージを学びました(先輩方の体を借りまくり練習)。
正座しての(出た!正座!)「膝もみ」という指を鍛え、形をつくるやり方も教えていただき、一人の時はひたすら「膝もみ」を行ってました。
あん摩マッサージ指圧師の免許を取得してからは、黒野先生の体を最終試験ということで揉ませていただき、「これで患者さんを揉める技術だ」と許可が出てからマッサージへ訪問できるようになります。
3.一日のスケジュールに慣れる
研究所の起床は7時。そこから毎週変わる担当の場所の掃除を行い、7時30分から朝礼です。
朝礼では、二葉精神訓の唱和、二葉のつどい(校歌みたいなもの♬)を歌い、担当者が黒板に、本日の一言を書いて目標を話します。
その後、院長先生にお食事をお持ちし、自分の食事を行い、私の場合は学校へ行く準備を行います。
専門学校へ向かうとき、帰ってきたときは、先生に挨拶します(これがまた緊張するんですよね~)。
専門学校から帰ると、治療院のお手伝いの準備を行います。
治療院が終了したら、またマッサージの練習。0時前には就寝という流れです。
4.研修期間中の宿題
黒野先生は、鍼灸の技術や知識も大事ですが、最も大事にしたのは人間性や心の鍛錬・成長です。
そのため毎月第3日曜日には「二葉清友会」という、先生が東洋医学研究所を創立する以前から、先生を囲んで勉強する会として発展してきた勉強会です。東洋哲学思想をベースに学びながら、社会情勢や日常生活に照らし合わせて、人としてのあるべき道を学ぶ勉強会です。
この勉強会に、新人さんには宿題が出されます。①論語(いわずと知れた、孔子の教えを説いた書)、②宮本武蔵(吉川英治 著)、③葉隠(佐賀鍋島藩士 山本常朝の七年間にわたる談話を編集した”武士の心構えに関する教え”の書で、鍋島論語とも称される書)を読んでの感想を質問されます。
内容はあまり覚えていませんが(笑)緊張したのを覚えています。そして、今はあまり読んでいませんが、時々、文章の一節が蘇ってきて本を見入ってしまうことがあります。脳細胞に染み込んでいるんですな~。
5.研究所の休日
研修期間が終わると、基本、お休みが順番で当たるのですが、休日の自由時間は朝から午後5時までです。その後は、翌日の治療室の準備。食事を終えてNHKの大河ドラマを観て先生のお話となります。
完全休日は、お盆と正月、金沢に帰省したときの休みだけです。
第1日曜日は、名古屋市立大学での、全日本鍼灸学会愛知地方会の定例研修会(現在は、生体制御学会 定例研修会)、第3日曜日は囲碁会と二葉政友会の勉強会がありましたので、基本、お休みは第2と第4日曜日のみです。
囲碁は、黒野先生はアマの5段でした。研究所には囲碁板もたくさんあって、下手っぴから段持ちか!と幅がありますが、弟子は皆、囲碁がうてるのです。●○●○
休みが順番にというのは、「電話番」という制度があります。黒野先生はいろんな役職に就かれており、休みでも電話がひっきりなしでかかってきますし、マッサージの予約の電話も頻繁にかかってきますので、電話対応をしないといけないからです。
6.その中で学校の勉強
学校の勉強より、ここでの生活が優先されますが、この中で勉強をしないといけません。テストがあると結果を先生にお伝えしないといけないので、頑張らないとあかんわけです。でも当時、勉強していたかな~と、あんまり覚えていないのですが・・・。
でも直感型の私にとっては実践しながら学べたことは本当に有り難いことでした。
修行の始めはこんな感じだったでしょうか。
いろんな鍼灸治療方法や経験が出来なかった代わりに、一つの鍼灸の考え方や方法を、骨の髄まで学んだ10年間でした。学生時代も含め濃密な10年間を過ごさせていただき、ほんとうに良かったと思ってます。
次回は、ここでも書かせていただいた二葉清友会という弟子を育成するシステムと、グループでいろんな行事を共有することなどをお話させていただきます。
黒野保三先生の鍼灸研究や鍼灸診療について書かれた本です
最後までお読みいただき、ありがとうございます
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