師匠の黒野保三先生のご逝去により、自分自身の修業時代、そしてそこから得られたものや、今の自分の糧となっているものを回想して、師匠というものは何なのか?!を辿っています
さて、今回は「生活の中の修行」と格好良く書いていますが、私個人としては、何も知らない田舎の高校生が大都会名古屋に出てきて、自由な時間があれば遊びたくないはずがないと思いました。時間が制約、制限されて、その中で生活することについては、今更ながら師匠に感謝しています。
若い欲望を抑えるには集団生活と規律ある生活が一番かなと思います。
起床時間から朝礼~治療室
起床は日曜、祝日以外は午前7時。起床後は担当場所の掃除、黒野先生の朝食準備の手伝い。
7時30分に朝礼。その後、朝食、8時30分には治療室(9時スタートです)に入る、そんな規律正しい朝の生活です。
月二回ほどある自由時間(門限17時ですが)でも、目覚めは7時でしたね~。
時間やメリハリ生活の大切さ、そして、良い習慣や朝のスタートで気持ちをしっかりいれる朝礼は、人を育てるという面で、今考えても素晴らしいシステムだと思います。
掃除・靴磨き(整理整頓)
これは私が今でも苦手なことですが、先生は、本当にきっちりと資料等を整理されて、すぐに取り出せるように整頓されていました。
掃除に関しては、「ここをキレイにしたら気持ち良く使ってもらえる」などの他人を思いやる気持ちが育ったかなと感じております。塵も積もればです。掃除が習慣。場を清潔に・・・出来ない所もありますが、いつも念頭にある所です。
夜には先生の靴を磨かせていただいておりました。星稜高校野球部の時も山下監督さんの靴を磨いたな~と思いながら、ここでも、よりキレイにするにはどうしたらいいか、先生の靴底はなかなか減らないな~などと思いながら、玄関で朝方まで寝てしまったこともありました いい思い出です。
でも、私、ナマケモノが身体の中に住んでいるようで、適当にやっちゃう時もあり、そんな時は、いつもが落ちて、先生に呼ばれ叱咤激励されるのでした。叱咤してくれる方がいるということは貴重で尊いことだと今は感じます。
風呂へ入る
研究所では、お風呂は近くの銭湯♨で昼過ぎにいただきに行きます。歩いて2分ほどです。
先生が風呂へ行かれる時は、先生の背中を流させてもらいます。
これも流し方、作法があるのです。ここでも日々の鍛錬でございます。
皮膚の方向や筋繊維に沿って洗っていくわけですが、ここもマッサージや身体に触れるというトレーニングが行われるわけです。
また、身体の調子を伺うというのも自然と身につくのかもしれません。
そして、銭湯は多くの皆さまが利用する場所です。靴やスリッパを揃えるということも、先生が履きやすいように揃える中で、周りの人の靴も一緒にという心も自然に身につくわけです。
鍼灸治療室の時間以外
鍼灸治療の時間は午前、午後あわせて4時間半(前後はしますが)です。鍼灸院としては短いですよね。でもいつも患者さんでギュウギュウでした。
その間の時間は、それぞれに与えられた仕事や研修会や症例報告会の準備などを行います。
私は、あん摩マッサージ指圧の出張治療にも行かせていただいてました。
私の一日の時間は、午前7時~午前2時くらいでしたので、修業時代の平均睡眠時間は4時間ほどだったと思います。だから、どこでも眠ることができました。自転車で信号待ちしている時にも眠ることができました
研究所は千種区春岡にありますので、千種区を中心に、昭和区、名東区、中区、瑞穂区、守山区、東区、西区等の範囲に、自転車をかっ飛ばしてマッサージに行ってました。この経験は治療室へ来る患者さんとは色の違う人にも接することができて勉強になりました。
出張マッサージの四方山話は、また、別ブログに書きたいと思います。
指導は間髪入れずに
生活の中でもそうですが、間違った行動や注意があれば、先生から間髪入れずに呼び出しがあります。
「田中先生、先生が日本間でお呼びです」
一番、緊張する言葉でした。
挨拶
外出する際、帰った際、鍼灸学校へ通学しているときも、「行ってきます」「只今帰りました」の報告を行います。
先生が外出される時も、「行ってらっしゃいませ」「お帰りなさいませ」。
何かいただいた時は、「ありがとうございます」。
挨拶を行うことは、徹底して自然に生活の中に定着していました。挨拶するのは当たり前かもしれませんが、修行生活であればこそ徹底して行われました。身につける、自分のものにするということは、自然に、普通に出来るということなのです。
このように鍼灸臨床から日常生活に至るまで自分を成長、磨き上げる環境に身を置くことが「修行」であり、将来を見据えて、日常生活から鍼灸臨床まで指導できることが「師匠」というものの一面なのかなと、私は考えています。
なんせ、朝起きてから夜寝るまでが鍼灸や人生の修行であり、実は睡眠まで含めて修行だったのかもしれません。
このような貴重な経験を10代後半から20代に亘り経験する場を与えていただいた師匠の黒野先生に心より感謝しております。
最後までお読みいただき、ありがとうございます
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