忙しい毎日が続き、自分の臨床のこと、業界のこと、学会のこと、野球のこと、そのほか、いろんなことを思い、行動していると、時々、精神的に「あーーーー」なんてことに陥ることもあります。
まだまだ人間が出来ていませんね~
でも、やっぱり自分の好きなことを仕事として行え、世の中のために役立っているという心が湧いていると、そんな上っ面の精神的疲労も吹き飛んでしまうわけです。
いろんな仕事を頂いていますが、それは何か理由があり、自分の魂や心の成長のために必要であるから舞い込んで来ていると思っています。そう自覚していても、パッとしたキレのある仕事をしているわけでもないのです…
だから、最近はいろんなことが起きても、忙しくなっても、寝不足になっても 「幸せ」だな~と感謝できるようになってきました。き・ま・し・た、ですから、やっとそこまで思えるようになったということでしょうか。
「幸せ」っていろんな形があると思います。
私が尊敬する人物の一人、松下幸之助さんの言葉をお借りして、「幸せ」について…
~引用開始~
ぼくはね、幸せの条件について、こう思うんですよ。
まず第一は、「自分が幸せだと感ずること」。当たり前のことですが、自分が幸せだと思わなければ幸せではありませんね。世間には他人から見れば、大変めぐまれているな、幸せだろうな、と思われているような人でも、本人は不平不満に明け暮れている、というようなこともありますわ。
やはりどんな境遇にあろうとも、自分自身が満足しているのでなければ幸せ感は生まれない。
そして第二は、「世間の人々も、その幸せに賛意を表してくれること」で、他人のものを盗む、それでは、他人のことを不幸にしてしまいますし、自分も社会から非難を受け罰せられる。それでも自分は満足だという人も中にはいるかもしれません。しかし、そういう人はいささか異常だと思うのですよ。
この二つの条件が満たされれば一応はよいと思うのです。けれど、もう少し厳しく言えば、幸せというものは、人間の共同生活の正しい進歩向上に即したものでなければならないと思います。
たとえば、ある優秀な人物が、仙人のように山にこもってしまったとします。本人は満足しているし、社会にも別に迷惑をかけているわけでもない。その人はそれでいいのかもしれませんね。しかし、皆が皆そのように山にひきこもってしまえば、この社会はどうなるでしょう。そうなれば、人間同士が協力し合うこともなくなる。社会の進歩は止まってしまう。いや、人間がより便利に快適にというために生まれた社会すらなくなってしまうでしょうね。
だからぼくは、単に他人に迷惑をかけないだけでなく、「一歩進んで社会にプラスし、周囲の人々に幸せをもたらすところに幸せが味わえたら、より好ましい」と思うんです。
以上の三つの条件が揃ってこそ、真の幸せといえるのではないでしょうか。
~引用終了~ 『人生談義』 松下幸之助 著
松下幸之助さんの言葉は、私の”心のサプリメント”のようなものです。時々、このサプリメントのお世話になっております。
そんなを「幸せ」を常に感じながら、今日一日、過ごしていくぞいね
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