二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

なにもうらやむ必要はない

2008年03月22日 | 言葉のちから 心のちから
そうして、ご住職様はこう言いました。
「他人をうらやましがる必要など何もない。神様はいつも平等で、その人、その人の人生を、一人ずつちゃんとお世話してくれています。あの人に苦労だけあげて、いいものは何もやらないということはない。そのかわり、あなたにもあなたがすべき苦労があって、あなたが得るべきいいものや幸せを授けてくれるのです。

だから、みんな平等なのです。

人の表面的な幸せの部分だけうらやましがって、それをくださいと言って、そのかわり、その背景の苦労は一切いりませんというのは、それこそ不平等。だから表面が欲しいなら、裏面もひっついているから、一緒に持たねばなりません、それが平等ということです。平等にしてほしいなら、両方手にしてくださいな。

それが嫌だ、怖い、私にはそんな人生耐えられませんというなら、背景の分らない他人のことを、表面だけ見てうらやましがったり、あの人だけズルイと批判したり、あの人だけいいめにあってしゃくだ、などと思わないことです。

わかりますか・・・・・
神様は平等だからこそ、一人一人にそれなりに得るべきものを与えているのです。平等だからこそ、その人、その人なりの人生が、それなりにいくように見守っているのです」

『本当に大切なものは いつも 目に見えない』 佳川奈未 著
                                より抜粋


治療の現場でも最近は精神疾患の患者さんが多く、いろんなことを学び患者さんが前へ向いて歩いていけるように話をすることを心がけています。そのためには「自分がどのような心で日々を過ごすか」が重要になってきます。

自分がここに生まれ、様々な人に出会い、人生の様々な場面で選択をせまられ、自分が選び現在の人生を歩んでいます。神仏は人の人生の過ごし方を寛容に見守る存在であり、敵にも見方にもならなりません。しかし、自分の心の在り方、人生の実践の仕方によって、敵にも見方にもなると言っても良いのかもしれません。

世界67億人、それぞれの人生があります。どのような人生にも意味があり、一人しか歩むことのできない人生にこそ価値があるということでしょう。自分の人生を一所懸命、使命を果たすべく一歩一歩踏みしめていくことこそ大切であり、それが分れば、他人の人生の価値がわかるということでしょうね。

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