さとし & まさとし

さとし&まさとし はとっても仲の悪い親子

音楽な日 vol.55

2013年04月26日 | 音楽
仲の悪い親子です。

マッピーのお気に入りな曲です。

- 大空と大地の中で -

松山千春



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略歴:

北海道足寄郡足寄町出身。北海道足寄高等学校卒業後、1975年に「全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場するも落選。 しかしSTVラジオの竹田健二[1]ディレクターに見出され、1976年に同局の「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビュー。 続いて翌1977年1月25日、「旅立ち」でレコードデビューを果たすが、同年8月27日、二人三脚で歩んできた竹田が急性心不全のため36歳で急逝し、一時失意に陥る。 しかしこれが契機となり、同年10月には個人事務所として「オフィス・パンタ」(現在のオフィス・ゲンキ)が設立され(正式な法人設立は1978年1月17日)、 千春をバックアップすることになる。

1977年10月には『オールナイトニッポン』水曜2部のパーソナリティに起用され全国区の人気に。(これに伴い『サンデージャンボスペシャル』からは降板した)。 1978年4月には月曜1部に昇格し全国区の知名度を更に得るようになる。同年に発売したシングル『季節の中で』が大ヒットしたことで一気にスターダムを駆け上り、 以後も多数のヒット曲を出し、ニューミュージック界で確固たる地位を築くに至った。

主なヒット曲に「季節の中で」「大空と大地の中で」「恋」「人生の空から」「長い夜」「君を忘れない」などがある。 1982年7月24日には札幌・真駒内屋外競技場にて5万人コンサート「大いなる愛よ夢よ’82」を開催。

1984年には『オレたちひょうきん族』内の『タケチャンマン』に使用された「ビックリ箱のうた」の作詞作曲を手がけた。

1985年12月に結婚し、一児(長女)をもうける。 デビュー以来精力的にコンサート活動を続け、2007年には、コンサート公演回数が2000回に達した。 コンサート動員数は相変わらず好調で、映画、ラジオ、ドラマ出演、雑誌「月刊松山SAGA」「月刊松山捨石」の発行、論評など、歌手以外の方面へ活動範囲を広げている。

長らく自由民主党北海道連青年部名誉会長を務め、鈴木宗男や明石康らの支援を行なってきたが、鈴木の離党に伴い自らも離党し名誉会長職を辞任。 鈴木と共に地域政党新党大地を結党した。新党大地の名付け親は松山であり、『大空と大地の中で』(着うたフル・ゴールド認定、日本レコード協会)は新党大地のテーマ曲である。

by Wikipedia
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果て~し~な~い…
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