四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
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「春秋」(「綜合詩歌」改題)誌鑑賞(11) 「紫陽花の詩(うた)」

2022年06月11日 10時19分11秒 | 短歌

-戦時下、空白の短歌史を掘り起こす その11-
 「紫陽花の詩(うた)」


 昼なお霧がおおう梅雨期の箱根路。その霧の中から鮮やかな紫の大輪をのぞかせる紫陽花。一万株を越えると言われるその花群は、まさに紫の壁となり、登山電車の両脇を埋め電車の中まで紫色に染めていく。なんの変哲も無い電車を「紫陽花電車」と変えるにふさわしい紫陽花の群生でもある。

 ゆるぎなく未来をみつめ
 しゃんと笑顔さえみせる
 しんの強い乙女のようで
 その花が好きだ
 小さな小さな花が
 たくさん肩をよせあい
 一生懸命咲くから・・・

    比留川美津子詩集「紫陽花」より



 遠い青春の日、紫陽花に寄せた友の詩を九段会館の朗読会で聴いた。
自らの誕生のドラマを、その父の戦死の報の中で演じなければならなかった友。私達の上の世代の、少なからぬ人々を襲ったであろう悲惨なドラマの一つでもありましたが・・・。「戦争さえなかったら」の母の言葉を子守唄のように聞きながら育った友の、紫陽花に寄せた思いを改めて思い返している。

 雨に打たれてしおれていく春の花々の中で、その雨をまとい冴え冴えと咲く紫陽花。それは梅雨に閉ざされた人々の心に射す一筋の光明にも似た輝きを放っている。
 重くたれこめる戦局の暗雲の中で、この一筋の光明を必死で模索したであろう大戦下の人々。その思いを歴史を遡り戦時下の詩歌の世界から探ってみたい。



 昭和十九年七月、「綜合詩歌」を改題し「春秋」が創刊された。「とねりこ」「博物」を統合しての創刊であり、発行人・印刷人には野村泰三、編集人には中井半次郎の両氏が当たっている。この七月はまた、出版事業統制の名のもとに「中央公論」「改造」が廃刊させられた月でもあった。
 これに先立つ昭和十九年六月。「絶対国防圏」の要域であるマリアナ群島のサイパン島、テニアン島に米軍は上陸作戦を展開した。大本営はここを海・空軍の決戦の場と決め連合艦隊の主力は「皇国の興廃この一戦にあり」と、かつての日本海海戦時のZ旗を掲げて出動した。しかし装備の欠陥、訓練の未熟さ等々も重なり基地航空部隊および、航空母艦の主力を失った。そして、サイパンの守備軍は在留邦人もろとも「玉砕」を余儀なくされた。

 国民に向かって「赫々たる戦果」「必勝の信念」を説いた東条首相は、このサイパンの「玉砕」により、総辞職を余儀なくされ二年九ヶ月におよんだ東条内閣は、この七月十八日に倒壊した。 このような状況を背景に改題・創刊された「春秋」も戦時誌としての重い宿命を背負っていた。 巻頭は窪田空穂氏の長歌「上野公園」で飾られている。また、結社誌の統合により本誌に作品を寄せた代表的歌人は膨れ上がり、吉野秀雄氏を初め、中井克比古、上林角郎、谷山つる枝の各氏等錚々たるメンバーを含む四十余名の方々であった。



 戦況の悪化の中で政権による言論統制は一段と厳しさを増し、戦時誌として創刊された「春秋」も、その統制を色濃く滲ませていた。統制と、時代の重みに耐えひたむきに歌人としての魂を燃やした歌が、これらの作品の中からも静かな輝きを放って来る。極限とも言える厳しい状況の中で紡ぎ出された歌群から、時代を越えてなお、響いてくる歌人達の「伝言」を抄出させて頂いた。


 雑歌                     吉野 秀雄
  いまさらに物のみにわが生きめやも耳にうるさしそのある無しは
  遠く来し友もてなさむすべもなく残りの燠に香をくゆらす
  苦しさを否む得ねどもわがどちの真骨頂は今ぞ定まらむ

 春雨                     上林 角郎
  睡る子のたかくわらひて真夜ふかし幼きは夢もたぬしくあれよ
  夜の闇のわが幻覚に花びらの桜ながるるあさきくれなゐ
  目方減りし因(もと)におよびて嘆くあり減るだけの目方もちたまひたり

 季節                     谷山 つる枝
  こぼれ実はわが井戸のへに一株の麦と穂だちぬいのち清らに
  潜みつつ圧しくる敵といらつ日や清らにふかく青葉甦(かへ)れり
  ますらをは陸地(くがぢ)に海に爆ぜますをわれにしずけき庭のふじ浪

 わが夫                    北村 淑子
  兵となり五瓩増えしと言う夫を弟のごといたはらむとす
  戦闘帽の下より頬のはみいだし補充兵二等兵の君健けし
  我慢強く吾はなりしか相次ぎて召さるる兵の征でゆく見つつ

 六月                     渡辺 曾乃
  年若く学徒出陣す死生観清しみて居て己れ淋しゑ
  徒らにとりし年とは思はねど生死を賭けしこともなかりき
  花びらは厚きがままに萎へたり春や未だし部屋の沈丁花


 「命は鴻毛より軽し」と声高に説かれる中で、「こぼれ実」の穂だちに寄せた谷山つる枝氏の「いのち清らに」は、生命のもつ清々しと豊穣を静かに深く訴えている。声高に叫ぶこともなく、魂に染み入るように語りかけて来る言葉。これが歌の持つ本来の力なのかも知れない。そんな思いを抱かせる「季節」一連でもある。



 本誌では改題されたことにより編集内容も種々の様変わりを見せている。しかし、掲載されている論文、評論、随筆等の質の高さ、内容の真摯さは「綜合詩歌」の水準を継承している。田辺寿利氏による「孤絶の問題」と題した論文を初め、大和資雄、高木一夫、伊澤幸平、泉四郎及び、鈴木一念の各氏が論文、評論、歌論の各分野に力作を寄せている。これら歌論等の中から、歴史的な資料としても貴重な評論を抜粋し掲載したい。


「新詠百人集読後」              泉  四郎
 ◇ 齋藤茂吉
  ☆南瓜を猫の食うこそあわれなれ大きなたたかひここに及びつ
  ☆甥すでに南はるかへ飛び立てり汝がたたかひを日々に待たむぞ
  ☆この勝を見定めて後死なむとぞ夜の真中に目ざめ居りける

 共に時局詠であるがこの作者でなければ持っていない重圧感がある。主としてそれは措辞に由来するのであるが、単に措辞の事柄と言ってしまう訳にゆかない。言葉の肉付けがたっぷりしているのは言葉を生かしている内容―生活内容と言えば更によいかもしれない―が充実しているからであろう・・・
「以下省略」。

 「言葉を生かしている生活内容」の指摘は、平成・令和の時代を生きる、私達の今日のあり方、作歌姿勢への戒めとしても核心を衝いており、深く受けとめていきたい内容でもある。この評論の他に伊澤幸平氏の「加茂の行方」、大和資雄氏の「幕末歌人の攘夷歌」等、資料的にも貴重な論文が掲載されているが紙幅の関係で割愛したい。



 本誌では、会員からの投稿歌を中井克比古、高木一夫、泉四郎の各氏が選者となって三部立てで選歌を行っている。この作品の中から戦局の暗雲に打ちひしがれることもなく、生命の豊かさを懸命に模索し詩魂の輝きを放つ歌を中心に抄出させて頂いた。


 命かけて子を生む妻は妻ながら酷しきものを思はしむるも     工藤 映水
 吹きあふる大野の風の身に凍むを一人わびつつ没り陽に対ふ    藤田 敏子
 益荒男はあらぶるのみにあらなくにこころ稚なく母憶ふらし    三藤 寅雄
 たえがてぬ思ひのがれて山に来つ其の山にして尚も夫恋う     幸  由子
 悲しみはその極みまで達すなりとりてまるらす塵さへもなく    炭谷 孝子
 日が沁みる暖かい土暖かい土よ見つつ故なき涙の出づる      海輪 小枝子
 防空壕にしばし身を伏す時の間も幼児は愛し乳房さぐれる     小笠原 一二三
 血を誘ふ咳を湛へんとつぶる眼に幼子の顔顕ちては消ゆる     島田 融吉
 青柳のなびくを見つつ兵われはつつましく思ふ遠き戦を      岡林 秀栄
 はしゃぎし兵等眠りて静かなりこのままにして明日は征くといふ  井上 栄二
 白き木蓮ほのけく色に咲くみれど胸深くより湧く思ひあり     菅野 貞子
 一本の花をし活けよこの職場われら乙女の闘ふところ       矢佳 幸子
 積む雪の下にも春の音つれてかすかに見ゆるすみれ花かな     高畠 てる子
 海を越え来たる便りか吾が夫のみ手にふれたるこの便りはも    杉江 秀子




 東条内閣は七月の退陣にあたり、六月のサイパン島「玉砕」を「失陥」と発表した。また、統制されたジャーナリズムは「国内戦場総突破の秋―奔騰す一億の戦意」と呼号したが、戦局のほころびと配色とを人々は肌で実感しつつあった。
 迫り来る敗色、その戦局の状況が烈しければ烈しいほど、また、明日をも知れない生命の危機と行く末を感ずれば感じるほど、人々は祈る思いで「生」に値する生命の重さを自問し、その豊かさを模索した。その問いと歩みが情況の悲愴さとは裏腹に、澄明な調べとなってこれら歌群より響いてくる。遠韻とも言える調べは声高に戦意高揚を歌う「高名歌人」の作品より、必死に明日を希求するこれら市井の歌人の歌にあふれている。

 「防空壕に身を伏す時の間も乳房さぐれる」幼子に寄せた母親の思い。「こころ稚なく母憶う」兵。「日が沁みる暖かい土」にアッツ島の凍土における「玉砕」を思い、落涙するおみな。「積む雪の下にも春の音つれるすみれ」に託した思い。これら一つ一つの歌が「一行の詩」を越えて静かに訴えてくる思いと、命の絶唱を重く心に刻んでいきたい。



 暗く重い雨雲の下で、小さな一つ一つの花が健気に咲き、紫の大輪となり輝きすら放つ紫陽花。風に吹かれ、雨に叩かれてもなお冴え冴えと咲くその花は、散ることを拒み陽に朽ちることで自身の生を全うする花でもある。どんな悲しみの極みにあっても、なお幼児を抱き「もうひとつの戦場」を戦い抜いたおみな達。その力の源に、紫陽花のもつ花の執念にも似た健気な力強さを重ねてみた。紫陽花が変化(へんげ)の過程で紡ぐ詩は、生命の豊穣さへの命をかけた希求であり、限りない賛歌でもある。
                      了
                      初稿 2008年6月11日

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