「口語短歌・水曜サロンの会」(その60) 短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。 ☆☆☆
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。☆☆☆
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の詠まれた
短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に短歌を
投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見等をお寄せ頂ければ幸いです。
【サロンの運営について】
運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。
「薔薇 ジャルダン ドゥ フランス」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【詞書】10月26日久しぶりに湘南は茅ケ崎に行きました。3年ぶりの嫁さんの
「秋・冬新着」を買うためでした。しかし行った店はブルトーザーが整地を
していました。ショックのあまり絶句しましたが鎌倉パークホテル「ペルゴラ」で
湘南風ランチを楽しみ、気を取り直し電話をかけ事なきを得ました。結果的には
素晴らしいチェニックを数点買うことが出来ました。そんな景色を短歌で
詠んで見ました。
☆噛みしめて 一三四(いちさんよん)を 走るよろこび いつもと違う 喧騒の中
☆湘南の 幸に溢れる サラダには 三浦野菜と 潮の香りも
☆チェニックが 似合う姿の クッキーと 海岸通り 歩く喜び
(註)クッキーは私の妻のニックネームです。
浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん
【解説】
久し振りの湘南・茅ケ崎は様変わりしていて驚いたことと思います。
私たちも、茅ケ崎、辻堂、小田原は箱根への通り道ですので、湘南バイパスを下りて
時々訪ねていますが、その変貌におどろかされることがあります。
クッキーさんのお気に入りのお店も、そのあおりを受けて移転を余儀なくされたのかも
知れませんね。
特に、テラスモール湘南が辻堂に出来てから、辻堂から茅ケ崎にかけてのお店の変化
には眼を見張るものがあります。なお、テラスモールには、ポロ・ラルフローレン等の
直営店があり息子たちに付き合って時々行っています。
三首目の「チェニックが 似合う姿の クッキー」さんを思い浮かべた作者の、
幸せそうな散歩姿を思い描いています。ウキウキ感の溢れた良い歌と思います。
一首目を少し添削してみました。
【ご参考】
★逗子・葉山 一三四(いちさんよん)を 走り抜け 三年ぶりの 潮風の中
(註)一三四とは国道134号線のこと。横須賀から湘南地方を海岸線に沿って、国道1号との
接点である大磯町に至る路線で、神奈川県の海岸線を東西方向に結んでいます。
【詞書】零餘子の句はどのような人だったのか、どのようなことで馬橇で急勾配のある
1,000m地点までを登ってきたのか、興味が湧きました。馬体からの湯気が
北海道の開拓時代と重なったりもしました。
その、十勝岳の1,000m地点にある「白銀荘」で自炊の食事を作っていたときの
こと、蝿がどこからともなく飛んできて、こんな高い所にも居るんだとしばし
眺めていましたが、そんな情景を詠んでみました。
☆十勝岳千メートルの宿に棲む蝿一匹が手を揉んでいる
I.SATO(楕円と円)さん
【解説】
零餘子はものの本によると、前々から「馬橇に乗って見たかった」ようですね。
しかし、吹雪を突いて1,000mの急こう配を12時間かけて登るには、かなりの気合が
入っていたことと思います。その意味では、相当に剛毅な方ともお見受けします。
なお、自転車でそこまで登りきる作者も剛毅な方との印象があります。
今回の出詠歌の「蝿一匹が手を揉んでいる」には、一茶の句に通じる優しさと、
観察眼の鋭さを同時に感じます。
【詞書】先日友人と大阪のあべのハルカスへ行った時の感動を詠みました。
大阪より京都へ転居してここからはあの山のまだむこう、遠くへ来たもんだと
しみじみ思ったこと。
因みにスカイツリーは634m、東京タワーは333m、ハルカスは300mです。
☆ハルカスより遥かに煙る山脈(やまなみ)のトンネル抜けてわが街はあり
【詞書】360度目を凝らすと今や川も橋もなくなったが、高速道路が走り住宅や
マンションの立ち並ぶのが豆粒のように見えた。きっとあの辺りが私の産土だと
懐かしかったこと。
☆ハルカスより目を凝らし見る一点は懐かしわが産土の街
【詞書】展望台のビルの真下に動物園の屋根が見えて、そこにはあのゴリラが高いハルカスを
見上げる時もあるのだろうと想像したこと。
☆見はるかす大阪の街のパノラマにハルカス見あぐや動物園のゴリラ
夕庵さん
【解説】
大阪のアベノハルカスから見晴るかす「今住む街」。「遥かに煙る山脈」の向こう
との感慨が詠み込まれた一首目。「思えば遠くへ来たものだ」等のフレーズも浮かぶ
良い歌と思います。
なお、二首目の五句「産土の街」は、「うぶすなのまち」と読んで宜しいでしょうか。
二首目の下の句を14音にするため「わが」を「われの」にしてみましたが…、ネットで
交信し「や」が漏れていたことが判明しました。以下の歌が正解です。
★ハルカスより目を凝らし見る一点は懐かしやわが産土の街
「チロリアンランプ」
【詞書】後鳥羽院へのレクイエム モーツァルトのレクイエムを聴いて
☆おどろが下の
(Kyrie eleison)
救われない者よ
(cuncta stricte discussurus)
驕り不安の中で
(Ingemisco,tamquam reus)
独りきり
(Requiem æternam)
自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の説明です。
本歌
新古今和歌集 太上天皇(後鳥羽院)
奥山のおどろが下も踏みわけて道ある世ぞと人に知らせむ
レクイエム
Kyrie eleison 主よ憐れみ給へ。
cuncta stricte discussurus 何事も厳しく糺し給はむとて
Ingemisco,tamquam reus 我は罪人にて嘆き
Requiem æternam 無窮の安息を。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、牧氏の乱後、後鳥羽院側近の平賀朝雅を誅殺されて、
院の怒り心頭のシーンがあり、この時、モーツアルトのレクイエムが流れていた。
また、和田義盛が源実朝の和解で、降参しようとした時、無数の矢が義盛を貫き、
討ち死にするシーンでもながれていました。
後鳥羽院こそ、魂の救われない者だなあと思い短歌を作ろうとしたのですが、
以来大スランプとなり、短歌どころか俳句も出来なくなってしまいました。
( )内は、レクイエムの歌詞で、短歌の文字数には数えず、単なる張り紙的な、
コラージュと思っています。
下記URLにモーツァルト 《レクイエム》 全曲 リヒター指揮/ミュンヘン・バッハ
管弦楽団の曲を掲載しておりますが、51分も有るので、7分頃からの怒りの日だけでも
お聴きになり、あの曲か?とご確認頂ければ幸いです。
【投稿外コメント】自閑(jikan314)さんご自身のコメントです。
夕庵様へ
愚詠について、お問い合わせ有り難うございます。
そもそも普通短歌は、句読点などは入っておりませんが、愚詠の場合自由律なので、
どこで句が切れているのかが分かりにくいので、句読点、「。。。」、空白、
改行などで表現しております。
この2首は、前半と後半では、一見関係なさそうですが、付け足す事で、その時の
感情を補ったつもりです。マチスの切り絵からヒントを得ました。
改行については、目線が一瞬動く一呼吸で、読者の感覚を揃えたいとの愚考からです。
石川啄木は、短歌を三行で表しました。和歌の色紙も、和歌の美しさ、字の美しさで、
単語を分けてでも改行しています。
古来和歌でも、ぞ、なむ、や、か、こそ、けり、体言止め、枕詞などで、歌のリズムを
作っています。
【解説】
後鳥羽院の歌に、モーツァルトのレクイエムを重ねて詠った詠歌は、作者も
おっしゃるように、「魂の救われない者」後鳥羽院への鎮魂歌にもなっていますね。
後鳥羽上皇は和歌所を設け、藤原定家らを選者に任命し「新古今和歌集」の編纂に
貢献した優れた歌人でもありましたが・・・。
一方、自らが政治を執り、譲位した後は院政を行い鎌倉幕府執権の北条義時に対して
討伐の兵を挙げ承久の乱となりました。この乱で破れた後、隠岐に流され、その地で
憤怒を秘めながら没するという、波乱に満ちた生涯を送った方でもありますね。
文字通り権力に恋々とする「救われない魂」の持ち主だったのではないかと
推察しております。
後鳥羽院の和歌と、レクイエムの詞を「張り紙的な、コラージュ」とする試みは
大胆な短歌的挑戦でもありますが、私は歓迎したいと思います。
また、口語自由律短歌の表現の可能性を広げた「試み」とも言えると思います。
【詞書】今、実家から帰ってきました。と言っても、義母は介護施設で空家になって
います。それでも丹精込めた庭には黄色い『ツワブキの花』が咲いています
☆つわぶきの 今年も咲いて
主を待つ
賑わう昔 夢見ているか
クロママさん
【解説】
遠いところ、お義母様の介護施設を訪ねられたとのこと。お疲れ様でした。
面会等、コロナ禍で色々な制約もあり気を遣われたことと思いますが、
それでも、お会いすることもでき、お義母様もお喜びになったことと思います。
「丹精込めた庭」はお義母様の日ごろのご尽力で、綺麗に整えられていたことと
思います。そんなお義母様への思いも滲み、良く分かるお歌と思います。
「調べ」を意識してすこし添削してみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★つわぶきや 今年も咲いて
あるじ待つ
かの賑わいを 今も思うや
「咲き初める ホトトギス」
☆-----------☆ 「ネット歌会」開始 ☆------------☆
【詞書】先週に引き続き「ネット歌会」として展開された詠歌を掲載致します。
注) ☆:元歌 ★:返歌
☆湘南の幸にあふれるサラダには三浦野菜と潮の香りも
浅間山明鏡止水さん
★プランターの朝採りラディッシュ色を添えサラダの鉢はすぐに空っぽ
(註)湘南のさぞおしゃれなサラダには及びませんが、春先に育てていた可愛い
ラディッシュは朝のサラダには重宝しました。
夕庵さん
☆ナラ枯れの大樹に絡む蔦紅葉 滅びはともに艶やかにして
ポエット・M
★ナラ枯れの水楢(みづなら)われを彼の人は枯らさむとしてカシナガのごと
(註)カシナガ=カシノナガキクイムシ=水楢等を枯らす虫
水仙さん
★蔦紅葉装ひながらわたくしは枯れる水楢幹つやめけど
水仙さん
★蔦紅葉なんの憾みや石塀に縋りつきつつ這いのぼりゆく
(註)石塀やブロックにからんだ蔦は引っ張ってもなかなか取れません。
夕庵さん
★蔦紅葉なにを求めて登りゆく 遂げたき想い秘めて燃えるや
ポエット・M
☆------------☆ 「ネット歌会」了 ☆------------☆
「子安の里 入口付近」
☆微かにも色づき初めし里山の 子安の里に 炭焼く窯も
ポエット・M
【解説】
湘南国際村からほど近い「子安の里」は、今も里山と山村の風景を残している
数少ない集落です。12月に入ると、薪切り、山だしの作業と続き、2・3月の寒い
時期に炭を焼くとのことです。落葉樹が色づき始める初秋の季節からハゼや、
もみじが紅に染まるこれからの季節が「子安の里」の最も美しい、詩情豊かな
季節と思っています。里の一角には炭焼きの窯もあり、私たちが忘れて来た故郷の
趣がそこかしこに残っています。そんな里山への想いを詠ってみました。
「子安の里への登り道」
「五行歌集 ―君へのレクイエム― 」鑑賞 嵯峨吹雪著 (3)
1.貴女へのレクイエム(3)
貴女(きみ)の御霊よ!永遠に安かれ!
唇を
レモンの液で
湿らせて
貴女(きみ)の命の
息をうるおす
唇に
与うレモンの
液の香に
貴女(きみ)は瞳を
大きく開く
幾たびも
貴女(きみ)は瞳を
開きつつ
永遠の別れを
我に告げ逝く
たった今
生きて叫んだ
貴女(きみ)がはや
黙して受ける
死者の扱い
死者として
処置さる貴女(きみ)の
手を取りて
我は見守る
一部始終を
「薔薇 楽園」
【短歌入門・質問・提案コーナー】
この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
ヒント、質問、諸々の疑問点、さらにご意見等について触れていきたいと思います。
皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せ頂ければ
幸いです。
なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
反論、ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
それが学びに繋がれば嬉しい限りです。
【サロン参加者からのコメント】先週に引き続き掲載いたします。
自閑さんよりのコメントです。
今回は、新古今から離れて、建礼門院右京大夫を紹介します。
建礼門院右京大夫は、建礼門院(平徳子)に出仕し、平資盛と恋仲となり、
平家の都落ちで生き別れ、壇之浦の後、建礼門院を大原に訪ねる様子が、
建礼門院右京大夫集にあります。
滅多に古典を現代語に訳さないのですが、右京大夫集と今昔物語集だけは、
訳をblogに掲載しております。右京大夫のイメージとして、若尾文子さんが、
語りかける様にと自分では思っております。
寿永の平資盛との別れ
またためしたぐひも知らぬ憂きことを見てもさてある身ぞうとましき
拙訳 また他に前例の無く、同じ樣な事も知らない生き別れという辛い経験を
したのに、まだこうしてそのままに生きている自分がうとましい…
大原訪問
今や夢昔や夢と迷はれていかに思へどうつつとぞなき
拙訳 今の詫び住まいが夢なのか、昔の栄華が夢なのか迷ってしまい、
どう考えても現実のことと思われません
仰ぎ見し昔の雲の上の月かかる深山の影ぞ悲しき
拙訳 昔、宮中で拝見致しました雲の上の月の樣にお美しかった建礼門院樣が、
この樣な深山にお住まいの御樣子を拝見致しますとは悲しいことであります
山深くとどめおきつるわが心やがてすむべきしるべとをなれ
拙訳 (建礼門院樣のお住まいになる)この山深い大原に残して置いてきた
私の心が、やがて出家するという導きの道標となっておくれ
右京大夫集は、再度注目されたのが、太平洋戦争で、夫や恋人を出征で戦地に送った
方々から読まれたとの事です。
大原の寂光院の裏山には、右京大夫の墓との伝承の墓石があります。観光客も
そこまでは行かないです。
【ネット歌会について】
「ネット歌会」は、「お題」を決めて短歌を詠みあうという方式ではなく、
「水曜サロン」へ掲載された、各位の歌に対して「返歌」するという自然発生的な
歌会です。従って掲載された歌の中に自分に響くものがありましたら、それへの
返歌として大いに詠んで頂き、コメント欄に記入して頂ければ幸いです。
各位に記入して頂いた短歌を基に、編集させて頂きます。
従って、統一性や「お題」に向けた収斂性には欠けますが、面白いと思っています。
当面は、手探りでやってみたいと思っています。さらに、良いアイデアがあれば
各位よりお寄せ頂ければ嬉しいです。
「揺れるコスモス」
【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
(1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
(2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
(3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
(7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
(8) 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。
(9) 投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
ニックネームのみでIDのない方、あるいは匿名の投稿は内容により掲載
できない場合もありますのでご了承願います。
了
☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。 ☆☆☆
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。☆☆☆
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の詠まれた
短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に短歌を
投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見等をお寄せ頂ければ幸いです。
【サロンの運営について】
運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。
「薔薇 ジャルダン ドゥ フランス」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【詞書】10月26日久しぶりに湘南は茅ケ崎に行きました。3年ぶりの嫁さんの
「秋・冬新着」を買うためでした。しかし行った店はブルトーザーが整地を
していました。ショックのあまり絶句しましたが鎌倉パークホテル「ペルゴラ」で
湘南風ランチを楽しみ、気を取り直し電話をかけ事なきを得ました。結果的には
素晴らしいチェニックを数点買うことが出来ました。そんな景色を短歌で
詠んで見ました。
☆噛みしめて 一三四(いちさんよん)を 走るよろこび いつもと違う 喧騒の中
☆湘南の 幸に溢れる サラダには 三浦野菜と 潮の香りも
☆チェニックが 似合う姿の クッキーと 海岸通り 歩く喜び
(註)クッキーは私の妻のニックネームです。
浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん
【解説】
久し振りの湘南・茅ケ崎は様変わりしていて驚いたことと思います。
私たちも、茅ケ崎、辻堂、小田原は箱根への通り道ですので、湘南バイパスを下りて
時々訪ねていますが、その変貌におどろかされることがあります。
クッキーさんのお気に入りのお店も、そのあおりを受けて移転を余儀なくされたのかも
知れませんね。
特に、テラスモール湘南が辻堂に出来てから、辻堂から茅ケ崎にかけてのお店の変化
には眼を見張るものがあります。なお、テラスモールには、ポロ・ラルフローレン等の
直営店があり息子たちに付き合って時々行っています。
三首目の「チェニックが 似合う姿の クッキー」さんを思い浮かべた作者の、
幸せそうな散歩姿を思い描いています。ウキウキ感の溢れた良い歌と思います。
一首目を少し添削してみました。
【ご参考】
★逗子・葉山 一三四(いちさんよん)を 走り抜け 三年ぶりの 潮風の中
(註)一三四とは国道134号線のこと。横須賀から湘南地方を海岸線に沿って、国道1号との
接点である大磯町に至る路線で、神奈川県の海岸線を東西方向に結んでいます。
【詞書】零餘子の句はどのような人だったのか、どのようなことで馬橇で急勾配のある
1,000m地点までを登ってきたのか、興味が湧きました。馬体からの湯気が
北海道の開拓時代と重なったりもしました。
その、十勝岳の1,000m地点にある「白銀荘」で自炊の食事を作っていたときの
こと、蝿がどこからともなく飛んできて、こんな高い所にも居るんだとしばし
眺めていましたが、そんな情景を詠んでみました。
☆十勝岳千メートルの宿に棲む蝿一匹が手を揉んでいる
I.SATO(楕円と円)さん
【解説】
零餘子はものの本によると、前々から「馬橇に乗って見たかった」ようですね。
しかし、吹雪を突いて1,000mの急こう配を12時間かけて登るには、かなりの気合が
入っていたことと思います。その意味では、相当に剛毅な方ともお見受けします。
なお、自転車でそこまで登りきる作者も剛毅な方との印象があります。
今回の出詠歌の「蝿一匹が手を揉んでいる」には、一茶の句に通じる優しさと、
観察眼の鋭さを同時に感じます。
【詞書】先日友人と大阪のあべのハルカスへ行った時の感動を詠みました。
大阪より京都へ転居してここからはあの山のまだむこう、遠くへ来たもんだと
しみじみ思ったこと。
因みにスカイツリーは634m、東京タワーは333m、ハルカスは300mです。
☆ハルカスより遥かに煙る山脈(やまなみ)のトンネル抜けてわが街はあり
【詞書】360度目を凝らすと今や川も橋もなくなったが、高速道路が走り住宅や
マンションの立ち並ぶのが豆粒のように見えた。きっとあの辺りが私の産土だと
懐かしかったこと。
☆ハルカスより目を凝らし見る一点は懐かしわが産土の街
【詞書】展望台のビルの真下に動物園の屋根が見えて、そこにはあのゴリラが高いハルカスを
見上げる時もあるのだろうと想像したこと。
☆見はるかす大阪の街のパノラマにハルカス見あぐや動物園のゴリラ
夕庵さん
【解説】
大阪のアベノハルカスから見晴るかす「今住む街」。「遥かに煙る山脈」の向こう
との感慨が詠み込まれた一首目。「思えば遠くへ来たものだ」等のフレーズも浮かぶ
良い歌と思います。
なお、二首目の五句「産土の街」は、「うぶすなのまち」と読んで宜しいでしょうか。
二首目の下の句を14音にするため「わが」を「われの」にしてみましたが…、ネットで
交信し「や」が漏れていたことが判明しました。以下の歌が正解です。
★ハルカスより目を凝らし見る一点は懐かしやわが産土の街
「チロリアンランプ」
【詞書】後鳥羽院へのレクイエム モーツァルトのレクイエムを聴いて
☆おどろが下の
(Kyrie eleison)
救われない者よ
(cuncta stricte discussurus)
驕り不安の中で
(Ingemisco,tamquam reus)
独りきり
(Requiem æternam)
自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の説明です。
本歌
新古今和歌集 太上天皇(後鳥羽院)
奥山のおどろが下も踏みわけて道ある世ぞと人に知らせむ
レクイエム
Kyrie eleison 主よ憐れみ給へ。
cuncta stricte discussurus 何事も厳しく糺し給はむとて
Ingemisco,tamquam reus 我は罪人にて嘆き
Requiem æternam 無窮の安息を。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、牧氏の乱後、後鳥羽院側近の平賀朝雅を誅殺されて、
院の怒り心頭のシーンがあり、この時、モーツアルトのレクイエムが流れていた。
また、和田義盛が源実朝の和解で、降参しようとした時、無数の矢が義盛を貫き、
討ち死にするシーンでもながれていました。
後鳥羽院こそ、魂の救われない者だなあと思い短歌を作ろうとしたのですが、
以来大スランプとなり、短歌どころか俳句も出来なくなってしまいました。
( )内は、レクイエムの歌詞で、短歌の文字数には数えず、単なる張り紙的な、
コラージュと思っています。
下記URLにモーツァルト 《レクイエム》 全曲 リヒター指揮/ミュンヘン・バッハ
管弦楽団の曲を掲載しておりますが、51分も有るので、7分頃からの怒りの日だけでも
お聴きになり、あの曲か?とご確認頂ければ幸いです。
【投稿外コメント】自閑(jikan314)さんご自身のコメントです。
夕庵様へ
愚詠について、お問い合わせ有り難うございます。
そもそも普通短歌は、句読点などは入っておりませんが、愚詠の場合自由律なので、
どこで句が切れているのかが分かりにくいので、句読点、「。。。」、空白、
改行などで表現しております。
この2首は、前半と後半では、一見関係なさそうですが、付け足す事で、その時の
感情を補ったつもりです。マチスの切り絵からヒントを得ました。
改行については、目線が一瞬動く一呼吸で、読者の感覚を揃えたいとの愚考からです。
石川啄木は、短歌を三行で表しました。和歌の色紙も、和歌の美しさ、字の美しさで、
単語を分けてでも改行しています。
古来和歌でも、ぞ、なむ、や、か、こそ、けり、体言止め、枕詞などで、歌のリズムを
作っています。
【解説】
後鳥羽院の歌に、モーツァルトのレクイエムを重ねて詠った詠歌は、作者も
おっしゃるように、「魂の救われない者」後鳥羽院への鎮魂歌にもなっていますね。
後鳥羽上皇は和歌所を設け、藤原定家らを選者に任命し「新古今和歌集」の編纂に
貢献した優れた歌人でもありましたが・・・。
一方、自らが政治を執り、譲位した後は院政を行い鎌倉幕府執権の北条義時に対して
討伐の兵を挙げ承久の乱となりました。この乱で破れた後、隠岐に流され、その地で
憤怒を秘めながら没するという、波乱に満ちた生涯を送った方でもありますね。
文字通り権力に恋々とする「救われない魂」の持ち主だったのではないかと
推察しております。
後鳥羽院の和歌と、レクイエムの詞を「張り紙的な、コラージュ」とする試みは
大胆な短歌的挑戦でもありますが、私は歓迎したいと思います。
また、口語自由律短歌の表現の可能性を広げた「試み」とも言えると思います。
【詞書】今、実家から帰ってきました。と言っても、義母は介護施設で空家になって
います。それでも丹精込めた庭には黄色い『ツワブキの花』が咲いています
☆つわぶきの 今年も咲いて
主を待つ
賑わう昔 夢見ているか
クロママさん
【解説】
遠いところ、お義母様の介護施設を訪ねられたとのこと。お疲れ様でした。
面会等、コロナ禍で色々な制約もあり気を遣われたことと思いますが、
それでも、お会いすることもでき、お義母様もお喜びになったことと思います。
「丹精込めた庭」はお義母様の日ごろのご尽力で、綺麗に整えられていたことと
思います。そんなお義母様への思いも滲み、良く分かるお歌と思います。
「調べ」を意識してすこし添削してみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★つわぶきや 今年も咲いて
あるじ待つ
かの賑わいを 今も思うや
「咲き初める ホトトギス」
☆-----------☆ 「ネット歌会」開始 ☆------------☆
【詞書】先週に引き続き「ネット歌会」として展開された詠歌を掲載致します。
注) ☆:元歌 ★:返歌
☆湘南の幸にあふれるサラダには三浦野菜と潮の香りも
浅間山明鏡止水さん
★プランターの朝採りラディッシュ色を添えサラダの鉢はすぐに空っぽ
(註)湘南のさぞおしゃれなサラダには及びませんが、春先に育てていた可愛い
ラディッシュは朝のサラダには重宝しました。
夕庵さん
☆ナラ枯れの大樹に絡む蔦紅葉 滅びはともに艶やかにして
ポエット・M
★ナラ枯れの水楢(みづなら)われを彼の人は枯らさむとしてカシナガのごと
(註)カシナガ=カシノナガキクイムシ=水楢等を枯らす虫
水仙さん
★蔦紅葉装ひながらわたくしは枯れる水楢幹つやめけど
水仙さん
★蔦紅葉なんの憾みや石塀に縋りつきつつ這いのぼりゆく
(註)石塀やブロックにからんだ蔦は引っ張ってもなかなか取れません。
夕庵さん
★蔦紅葉なにを求めて登りゆく 遂げたき想い秘めて燃えるや
ポエット・M
☆------------☆ 「ネット歌会」了 ☆------------☆
「子安の里 入口付近」
☆微かにも色づき初めし里山の 子安の里に 炭焼く窯も
ポエット・M
【解説】
湘南国際村からほど近い「子安の里」は、今も里山と山村の風景を残している
数少ない集落です。12月に入ると、薪切り、山だしの作業と続き、2・3月の寒い
時期に炭を焼くとのことです。落葉樹が色づき始める初秋の季節からハゼや、
もみじが紅に染まるこれからの季節が「子安の里」の最も美しい、詩情豊かな
季節と思っています。里の一角には炭焼きの窯もあり、私たちが忘れて来た故郷の
趣がそこかしこに残っています。そんな里山への想いを詠ってみました。
「子安の里への登り道」
「五行歌集 ―君へのレクイエム― 」鑑賞 嵯峨吹雪著 (3)
1.貴女へのレクイエム(3)
貴女(きみ)の御霊よ!永遠に安かれ!
唇を
レモンの液で
湿らせて
貴女(きみ)の命の
息をうるおす
唇に
与うレモンの
液の香に
貴女(きみ)は瞳を
大きく開く
幾たびも
貴女(きみ)は瞳を
開きつつ
永遠の別れを
我に告げ逝く
たった今
生きて叫んだ
貴女(きみ)がはや
黙して受ける
死者の扱い
死者として
処置さる貴女(きみ)の
手を取りて
我は見守る
一部始終を
「薔薇 楽園」
【短歌入門・質問・提案コーナー】
この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
ヒント、質問、諸々の疑問点、さらにご意見等について触れていきたいと思います。
皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せ頂ければ
幸いです。
なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
反論、ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
それが学びに繋がれば嬉しい限りです。
【サロン参加者からのコメント】先週に引き続き掲載いたします。
自閑さんよりのコメントです。
今回は、新古今から離れて、建礼門院右京大夫を紹介します。
建礼門院右京大夫は、建礼門院(平徳子)に出仕し、平資盛と恋仲となり、
平家の都落ちで生き別れ、壇之浦の後、建礼門院を大原に訪ねる様子が、
建礼門院右京大夫集にあります。
滅多に古典を現代語に訳さないのですが、右京大夫集と今昔物語集だけは、
訳をblogに掲載しております。右京大夫のイメージとして、若尾文子さんが、
語りかける様にと自分では思っております。
寿永の平資盛との別れ
またためしたぐひも知らぬ憂きことを見てもさてある身ぞうとましき
拙訳 また他に前例の無く、同じ樣な事も知らない生き別れという辛い経験を
したのに、まだこうしてそのままに生きている自分がうとましい…
大原訪問
今や夢昔や夢と迷はれていかに思へどうつつとぞなき
拙訳 今の詫び住まいが夢なのか、昔の栄華が夢なのか迷ってしまい、
どう考えても現実のことと思われません
仰ぎ見し昔の雲の上の月かかる深山の影ぞ悲しき
拙訳 昔、宮中で拝見致しました雲の上の月の樣にお美しかった建礼門院樣が、
この樣な深山にお住まいの御樣子を拝見致しますとは悲しいことであります
山深くとどめおきつるわが心やがてすむべきしるべとをなれ
拙訳 (建礼門院樣のお住まいになる)この山深い大原に残して置いてきた
私の心が、やがて出家するという導きの道標となっておくれ
右京大夫集は、再度注目されたのが、太平洋戦争で、夫や恋人を出征で戦地に送った
方々から読まれたとの事です。
大原の寂光院の裏山には、右京大夫の墓との伝承の墓石があります。観光客も
そこまでは行かないです。
【ネット歌会について】
「ネット歌会」は、「お題」を決めて短歌を詠みあうという方式ではなく、
「水曜サロン」へ掲載された、各位の歌に対して「返歌」するという自然発生的な
歌会です。従って掲載された歌の中に自分に響くものがありましたら、それへの
返歌として大いに詠んで頂き、コメント欄に記入して頂ければ幸いです。
各位に記入して頂いた短歌を基に、編集させて頂きます。
従って、統一性や「お題」に向けた収斂性には欠けますが、面白いと思っています。
当面は、手探りでやってみたいと思っています。さらに、良いアイデアがあれば
各位よりお寄せ頂ければ嬉しいです。
「揺れるコスモス」
【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
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了