第一部「口語短歌・水曜サロンの会」(その150) 短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。
☆☆☆ 「水曜サロン」は以下の通り第一部、第二部構成に区分して運営致し
ていますので、それぞれに詠歌、返歌を出詠願います。
第一部 「口語短歌・水曜サロンの会」:従来通り三首まで出詠願います。
第二部 「ネット短歌」 :返歌専用です。
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の
詠まれた短歌を、毎週水曜日に掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に
短歌を投稿し鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見、ご提案等をお寄せ頂ければ幸いです。
「未だ咲き継ぐ 酔芙蓉 八重」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【短歌説明】浅間山明鏡止水さんご自身の説明です。
源氏物語巻名歌は「源氏物語に登場する個性豊かな15~20人の女性たち」を
中心に返歌を楽しみたいと思っています。 主に光源氏と女性たちの贈答短歌が
中心です。 今週は源氏物語巻名歌から2首提出しますのでご指導よろしく
お願いします。 巻名歌は過去分と重複するところもありますが、返歌自体は
新規で作成しています。 私は再度研究しますので、返歌のみのご指導で簡潔に
願います。
「5.若紫(わかむらさき)」
十八歳の春、源氏は瘧病に苦しみ、加持を受けに北山の聖のもとを訪ねる。
その夕暮れ由緒ありげな某僧都の家で可憐な少女(紫の上)を垣間見る。
その少女は源氏が恋い焦がれる藤壺の宮に生き写しだった。母を失い、
祖母の尼君に育てられるこの少女は兵部卿宮の姫君で藤壺の宮の姪だった。
源氏はこの少女を自らの手で育てたい旨を、僧都や尼君に願い出るが、
少女の幼い年齢もあって、まったく相手にされない。それにも拘らず源氏は、
病から癒え下山した後も少女に執心する。その頃、藤壺の宮が宮中から里に
下がった。源氏は藤壺の宮に仕える王命婦を頼りに、藤壺と夢のような
逢瀬を持つ。そして、この一回の密会で藤壺は懐妊する。ふたりは罪の意識に
苛まれるが、源氏は藤壺への思いをますます強めた。しばし後、紫の上の祖母、
尼君が亡くなった。源氏は紫の上を半ば盗み取るようにして、二条院に
連れ去った。少女は二条院の暮らしにすぐになじみ、源氏になついていった。
〇はつ草の 若葉のうへを見つるより 旅寝の袖も つゆぞかわかぬ 光源氏
註)初草の若葉のようなかわいらしい女の子を見てからは、旅の衣の袖の乾く
まもなく、恋しさの涙の露にぬれています。
〇枕ゆう 今宵ばかりの 露けきを 深山の苔に くらべざらなむ 尼君
註)旅寝の枕の今夜だけの露で濡れた袖を深山で苔むすほど濡れている枕と
お比べにならないでください。
(返歌)
☆藤壺に愛の執着裏返し 想えば想う燃える恋情が
☆尼君は驚くほどの衝撃も 垣間見る姫に異常な想い
浅間山明鏡止水さん
【解説】
作者の短歌説明にも記されていますが、光源氏が恋い焦がれる藤壺の宮に
生き写しだった若紫(紫の上)の出現は、源氏物語の最初の謎であり、
異常さを秘めた展開になっていると考えます。
後に光源氏の正妻になる紫の上は、この時10才と文字通り乙女で、
「恋しさの涙の露にぬれて」と詠うには、いささか異常さを感じます。
その異常さをいち早く感じた、祖母でもある尼君は光源氏の申し出を
はぐらかして「深山の苔に くらべざらなむ」と返しています。
その辺の事情を踏まえた作者の返歌ですが、二首何れも、それぞれの
詠み手の方に寄り添った内容になっています。
これらの返歌について、少し踏み込み、視点を変えて詠んでみましたが
いかがでしょうか。
【ご参考】
★かの君の面影やどす はつ草の 乙女をみそめ心みだるる
★尼君の はぐらかしにも めげずして 姫に寄せたる想いつらぬく
【詞書】秋の空を三首詠みましたので出詠いたします。
☆窓拭きのゴンドラ高く まつさらの秋青空を磨くごとくに
☆秋天を今 高跳びの人とバー スローモーションのごとく降り来る
☆秋空をゆるゆる回る観覧車 いくつの恋の想ひを乗せて
みっちっちさん
【解説】
「秋の空」を主題に三首詠んで頂きましたが、いずれも作者の発見と
感動が詠みこまれ、清澄な秋景色が表現されています。
特に、三首目の歌は、秋の穏やかな空の下でゆっくりと回る観覧車が、
いくつもの恋の思い出を乗せて回る象徴として描かれています。
「いくつの恋の想ひを乗せて」というフレーズは、観覧車に乗る人々、
とりわけ作者も含めて様々な方の恋の思い出を想起させ、観覧車が回る
たびに、過去の恋の記憶がそれぞれの方の胸に蘇る情景が浮かびます。
この歌は視覚的な美しさと、想いの深さを兼ね備えており、秋の風景と
恋の思い出を巧みに結びつけ、作者の感性の豊かさがよく表れている
作品だと感じます。
なお、栗木京子氏の「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」
(「水惑星」)の歌を思い出させ、心地よい歌の世界に誘ってくれます。
「咲き残る 芙蓉の花」
【詞書】まだ、シオカラトンボが飛んでいたことを詠ませて頂きました。
☆赤とんぼに交じりてシオカラトンボ見る まだ夏だと思ひているかも
【詞書】月見で詠ませて頂きました。
☆中秋の名月の中 餅つきをする兎さん確かに見たり
【詞書】大谷選手で詠ませて頂きました。
☆BSで 大谷選手の50号 歴史の瞬間 目撃をする
西BOOさん
【解説】
「シオカラトンボ」「中秋の名月」「大谷選手の50号ホームラン」
とをテーマに、追加分も含めて三首詠んで頂きました。
三首目の歌、詠まれているように、まさに世界の人々が「歴史の瞬間」を
目撃することになりましたね。
9月23日の時点で既に「53-55」が達成されたとのことで、「51-51」の
達成時には各地で号外も配布されたとの報道に接しました。
肘の手術後の、リハビリの最中にある選手としての記録としてみると、
まさに「前人未踏」「歴史的」「人間業ではない」等々の形容詞でも
足りない偉業ですね。私たちも、歌で表現しつつ偉業を讃えたいと思います。
二首目の歌は、澄んだ空気の中で眺める「中秋の名月」故に「兎さん」が
想像力をかき立て、ロマンに満ちた物語も生まれますね。このような
ほのぼのとした歌もいいものですね。
【詞書】スイカにせよ大根にせよ、植物達はただそこで芽吹き、芽吹いた
からには成長し、生きて実を付ける…。それだけなんでしょうけど、
条件の悪いところに根付いた野菜や果物が生る植物には人は
「頑張ってる!」とかいう思いを馳せてその成長を愉しむんですよね。
楽しい話題だしいいんですが、なんで道路端…何で中央分離帯…。😅
☆植物は己の営み果たすだけ
思い乗せるは人の愉楽よ
【詞書】あまりに突然の事でした。
18日の晩に、2日ほど「目まいが収まらない」と言っていた父が、晩御飯
どうするのか聞きに2階へ上がろうとしたら、階段の一番上に座っていて、
「まだ目が回るんやけど…」みたいに言うもんで、「お粥作って部屋に
持ってってあげようか?」と聞くと、「いや、降りる」と言うので「ゆっくり
降りといでや」と返して私は1階へ・・・。
前日に姉と「1階で寝かせよう」ということを決め、準備をして義兄が
おぶって下へ連れて行ってくれることになっていたので来てくれ
ましたが、「救急車呼ばなあかんわ!」と呼んでくれて、宇治徳洲会病院へ。
・・・そこからは、もう怒濤のようでした。
ER内では医師の呼びかけ「指1本上げて下さい」などや、私が話掛ける
のにも「うん」などの反応したりしてました。自力でトイレに行こうと
「トイレ…」と訴えたりもしていました。(「トイレ行かな…」は
その後もあり)そのうち病室が決まり、様子を見てから病棟を辞し、
1階のローソンで食べるものを買って食べ、姉に連絡を入れてから
受付ロビーの近くに居るとERの医師から連絡が入り、「CT画像に気に
なる箇所がありまして…」とMRIを撮りますの連絡(家族の承認の為?)。
到着した姉と病室に向かうと脳神経外科の先生のお話が…。
この3日間ぐらいで「“小脳”梗塞」を起こしている、という話…。
話を聞いた後に姉と共に父が居る部屋に行ったのち、脳神経外科の病室に
変わると聞き、その日の晩に移動しました。
…その後母も連れて行ったりしましたが、やはりあまりに唐突で戸惑い
ましたし、「容態が…」という電話も少なくとも2回はありました。
昨日私が1人で行った時も変化はあったりして…。嚥下障害も起きている
ので(“舌が落ちている”とも)気道確保と栄養や薬剤の投与のために
鼻からのチューブを入れるということには母、姉と話し合い、同意して
ますが、そうすることによって、精神的にも物理的にも準備をする時間が
できた、と思います。看護師さんが仰るには「拒否反応を示すご家族様も
居られます」とのことでしたが、チューブの挿入を選んだことで色々
できる時間を得たのは姉も私も同じ思いです。
まだ今日は病院からの連絡はありませんが、この後行きます。では。
(事の顛末を長々とすみません。のほほんと能天気な私も何とか
しゃんとしなければ…と思います)
☆呼吸のみ酸素送られする父の
過ごした93年思う
☆もう少し…まだもう少し…と願うのみ
病床の父は反応もせず
ちがやねこさん
【解説】
一首目の歌、詠まれている通りですね。植物は自然の摂理に従って花を咲かせ、
実りまで、己の生を淡々と全うしているだけですね。人はどんな事象にも
物語性を感じ、そこに自己投影して小さな感動を味わう特性を持っているものと
考えます。その延長に「ど根性○○」が生まれるのだと考えます。
そんなささやかな感動を与えてくれる「ど根性○○」たちに拍手を送りたい
想いです。また、このような歌が生まれることも楽しみです。
二首目、三週目の歌は、お父様が重篤な病に襲われ、その対応の中で詠まれた
歌ですので、切迫感と緊張感が伝わって来ます。心からのお見舞いを申し上げます。
いずれの歌も、作者のお父様への偽らざる想いと、どうか無事に回復してとの
深い祈りが滲んでいます。
お父様の病、「小脳梗塞」とは小脳に発生する脳梗塞の一種で、身体の平衡を
保つ機能を司っている部分の血管が詰まり、血液が十分に行き届かなくなる
ことで発症するとのこと。
この結果、主な症状としては、平衡感覚の障害(まっすぐに歩けない、ふらつき)、
回転性のめまい、手足の動きがぎこちなくなる等があるとのことですが、
お父様の症状はすべて当てはまるようですね。
発症から3時間以内であれば、血栓を溶かす薬物療法が有効でかなりの回復が
見込めるようです。ともあれ、高齢等を考慮すると十分な治療と、リハビリが
必要と考えます。先ずは、作者とご兄弟で協力しながら、心を強く持って
見守って頂ければと思います。
私達も、お父様のご無事とご回復を祈らせて頂きます。
「咲き競う コスモス」
【詞書】この歌は兄弟で飛騨を旅したとき、小さな美術館で円空仏が
展示されていました。最近大阪のアベノハルカスであったのですが
行きそびれてしまって返す返すも残念でした。
☆飛騨の里 円空仏は微笑みと 祈りと怒りの荒き彫り跡
☆微笑みて囁き交わす道祖神 コスモス揺れる馬籠の里に
☆肩に手をかけて寄り添う安曇野の紅の残れる道祖神立つ
夕庵さん
【解説】
飛騨から信州安曇野をめぐるご兄弟の旅は、秋の風情を味わう素敵な情景に
彩られていたことと思います。その中で詠まれた三首の歌は、いずれも旅の
楽しさを滲ませながらも、抑えた色調で詠い、味わい深い作品となっています。
特に、二首目の歌は、馬籠の里の道祖神と、コスモスの風景が的確な言葉で
描かれ、静かで温かい雰囲気を醸し出しています。
道祖神は、古くから村の守り神として信仰されてきましたが、この歌では、
道祖神が単なる石像ではなく、村人を見守る身近な存在と暗示されています。
道祖神がなぜ微笑んでいるのか、何を囁いているのか等々、私達の想像力を
かき立ててくれ、ほのぼのとした歌になっています。
なお、コスモスは、秋を代表する花であり、しばしば人の一生や宇宙を
象徴するものとして捉えられてきました。ここでのコスモスは、道祖神と
対比されることで、生命のサイクルや時間の緩やかな流れを暗示している
のかも知れません。
また、この歌からは穏やかで、ゆったりとした時の流れを感じますが、
この穏やかさの中に、どこかもの哀しさも感じます。秋ゆえでしょうか。
【詞書】YouTube短歌:泥の中 冨田勲 展覧会の絵
ゴールデンベルグとシュミュイレ
☆泥がいつまでも消えない
あちこち走り回り
水を飲んで・・・生きよう
【短歌説明】自閑さんご自身の説明です。
8月の豪雨で、床上浸水を受けた方々、お見舞い申し上げます。
9月も能登地方に、線状降水帯が発生して、記録的豪雨の為に、
多くの被害が又発生してしまいました。
途中は、猛暑日が続き、復旧作業も、兎に角小まめに水分補給
していたと思います。
展覧会の絵のザムエル・ゴルデンベルクとシュムイルは、
「ふたりのユダヤ人~太った男と痩せた男」という副題が
ついており、裕福で傲慢な男ゴルデンベルクと、貧しく卑屈な
男シュムイレの会話を描写した作品との事です。
冨田勲のシンセサイザー版を聴いていると、まるで泥の中に
いる様な気がしました。
以下URLに、展覧会の絵を貼付していますので、お聴き戴ければ
幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/7296c60398ac17d8211b894a24525d09
自閑さん
【解説】
元日の大地震からの復興途上にあった能登地方に、無情にも記録的な豪雨が
襲うという哀しい事態となりました。作者と共に私達も、改めて身罷った方に
哀悼の誠を捧げるとともに、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
「モデスト・ムソルグスキー」の原曲では、サミュエル・ゴールデンベルグが
威圧的で、シュミュイレが弱々しい人物として描写されていますが、冨田勲の
アレンジではその立場が逆転して描かれていますね。シュミュイレのような
立場の弱い人物が集団で主張を行い、それに圧倒されたサミュエル・
ゴールデンベルグが怯えた声で歌う、といった表現に変えられています。
この「怯えた声で歌う」状態が、泥沼の中でもがくイメージとなったことと
思います。詠われているように「あちこち走り回り 水を飲んで…生きよう」と
もがきながらも、生きようとする前向きな想いを表現した歌と感じます。
なお、ウイスキーの語源はゲール語の「Uisge-beatha」に由来し、この言葉は
「命の水」を意味するとのことですが、「水を飲んで・・・生きよう」の
「水」は、この語源を暗示しているかに感じます。
☆さるすべり未だ咲き継ぐ遊歩道 彼岸いたるも炎暑は止まず
ポエット・M
【解説】
散策で訪れる遊歩道には、未ださるすべりが咲き競っています。秋彼岸に
なるにも関わらず、その鮮やかな薄紅色の花は夏の盛りを思わせる勢いを
未だ留めています。9月に入っても猛暑日が続き日本列島は、依然として
暑いままとなっていますが、そんな気象を楽しむかのように咲き継ぐ
百日紅(サルスベリ)の花を詠ってみました。
秋彼岸となっているにもかかわらず炎暑が続くのは、異常気象や気候変動の
影響と感じますが、そんな事象への戸惑いも表してみました。
「未だ咲く さるすべりの花」
「山法師 短歌の章」鑑賞 紅林茂夫著(56)
「山法師」はエコノミストでもありました著者の経済学の論文を始め小説、
短歌等を著者により厳選され著作を集めた著者渾身の著書でもあります。
その著書から、短歌を抄出し三首づつ紹介させて頂きます。
37.「 短歌の章」 中国大陸抄(2)
長安の古き歴史は幻なし
崩れし城壁に 春は深まりぬ
楊貴妃の湯あみをなせし華清の池
白楽天は長恨歌に あてに歌ひし
匈奴迫り 人馬競ひてひしめきし
長城茫々碧空にあり
【短歌入門・質問・紹介・提案コーナー】
今回は割愛させて頂きます。
【運営にあたって】
(1)投稿期間は、原則として毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
(2)おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
なおブログの字数制限(コード30,000字)等により詞書等編集させて頂く
場合もありますのでご容赦願います。 詞書は一首200文字以内にまとめて
頂きたくご協力願います。
(3)口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4)投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。 皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5)作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6)掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
(7)掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
了