第一部「口語短歌・水曜サロンの会」(その160) 短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。
☆☆☆ 「水曜サロン」は以下の通り第一部、第二部構成に区分して運営致し
ていますので、それぞれに詠歌、返歌を出詠願います。
第一部 「口語短歌・水曜サロンの会」:従来通り三首まで出詠願います。
第二部 「ネット短歌」 :返歌専用です。
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の
詠まれた短歌を、毎週水曜日に掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に
短歌を投稿し鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見、ご提案等をお寄せ頂ければ幸いです。
「咲き初める 山茶花」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【短歌説明】浅間山明鏡止水さんご自身の説明です。
源氏物語巻名歌は「源氏物語に登場する個性豊かな15~20人の女性たち」
を中心に返歌を楽しみたいと思っています。主に光源氏と女性たちの
贈答短歌が中心です。今週は源氏物語巻名歌から2首提出しますので
ご指導よろしくお願いします。
巻名歌は過去分と重複するところもありますが、返歌自体は新規で
作成しています。私は再度研究しますので、返歌のみのご指導で簡潔に
願います。
「15.須磨(すま)藤壺の宮」
源氏は自分をとりまく政情の悪化から自ら須磨へ退去する決意をした。
都へ残る紫の上は悲嘆にくれるが、源氏は後ろ髪を引かれる思いで邸や
所領の管理を託す。藤壺、東宮をはじめ、親しい人々と別れの挨拶を
交わした源氏は、故桐壺帝の御陵を訪ねる。そこで源氏は故桐壺帝の
幻が立ち現れるのを見た。紫の上と最後の別れを済ますと、源氏は
ごく少数の供とともに須磨へと向かった。須磨での生活が落ち着くと、
源氏は閑居のわびしさを痛感する。語らう相手もいないため、源氏は
紫の上や六条御息所に手紙をしたためるが、源氏の不在を都の人々も
また嘆いていた。源氏は須磨で秋を迎えた。帝や東宮は源氏を恋しく
思うが、弘徽殿の大后を恐れ源氏に便りを出すことさえできない。
そんな状況下、今や宰相となったかつての頭の中将が源氏を訪ね、
久方ぶりに語り合った。一方、明石の入道は源氏の噂を聞き、
娘を源氏に捧げようと思いつめていた。三月、禊ぎをしていた源氏を
暴風雨が襲い、源氏は命からがら逃げ出した。
〇見しはなく あるは悲しき 世の果てを
背きしかひも なくなくぞ経る 藤壺の宮
註)お仕えした桐壺院はこの世に亡く、生きておいでのあなたは悲しい
身の上となられた世の終わりを、出家して煩悩を捨てたはずの甲斐も
無く泣きながら過ごすことでございます
〇別れしに 悲しきことは 尽きにしを
またぞこの世の 憂さはまされる 光源氏
註)父院とお別れした時に、悲しい思いはし尽くしたはずなのに、更に
この世の辛さは酷くなってしまいました
(返歌)
☆藤壺は 心が乱れ 物言わず 思い浮かんだ こと歌にできず
☆光源氏 よろずのことを 思いだし 泣いてる様は 限りなく風情
浅間山明鏡止水さん
【解説】
藤壺の宮の歌は、作者の説明の通り「(光源氏を)見ることもなく生きている
ことが悲しい。この世の終わりを背いて生きる意味もないのに、なぜ生きて
いかなければならないのでしょうか」となります。これは、光源氏との別れに
よって悲しみが深く、生きる意味を見失いかけていることが詠まれています。
両者とも、深い悲しみと絶望感を抱いているという点で共通していますが、
藤壺の宮は、生きる意味をも見失い、絶望的な状況に陥っているのに対し、
光源氏は、新たな悲しみを感じながらも、まだ生きる希望を捨てていないと
読み取れます。ただ、その原因は光源氏自らが蒔いた種であり、そのことへの
自覚が薄いとの紫式部なりの示唆が感じられます。
光源氏の返歌は、藤壺の宮への深い愛情と、自身の心の揺れを表現し別れ
という大きな悲しみの中にあっても、生きる希望を失わず、未来に向かって
進んでいこうとする強い意志も感じられます。この歌は、源氏物語全体を
貫くテーマである「生と死」、「愛と別れ」を象徴的に詠っていると考えます。
これらを踏まえて詠まれた作者の返歌は、「藤壺の宮」「光源氏」それぞれの
立場に寄り添って、二人の想いを代弁する歌となっていると考えます。
さらにもう一歩踏み込んで詠んでみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★悲しみに哀しみ重ね去り行ける 君なき都 生きる甲斐なく
★母に似る面影宿す君ゆえに 愛しく慕う 想いも罪や
【詞書】山茶花(さざんか)で三首、出詠いたします。
☆山茶花の一輪匂ひ 茶釜には 絹のごときの湯気細く立つ
☆駅前を過ぎて山茶花匂ふ垣 暮るる家路に色を散らして
☆山茶花の垣 家々に長寿村 優しき時間ゆるり過ぎゆく
みっちっちさん
【解説】
山茶花をテーマに三首の歌を詩情豊かに詠んで頂きました。
特に、一首目の歌、茶室に飾られる「茶花」については、千利休の教え
「花は野にあるように」を基本とし、自然の美しさをそのまま茶室に
持ち込むことが理想とされていますが、山茶花はその理想通りの花と
感じます。なお、上の句「山茶花の一輪匂ひ」は、千利休の教えの
通り、凛とした茶花・山茶花の一輪に焦点を当て、その香りを強調して
います。冬の寒空の下、ひときわ鮮やかに咲く山茶花の姿が目に
浮かびます。下の句の、「絹のごときの湯気細く立つ」は、茶釜から立ち
昇る湯気を、絹糸のように繊細で美しいものとして表現して、冬の静寂の
中で、この湯気はまるで生きているかのように動き、視覚的な美しさを
生み出しています。なお、結句は「湯気細く揺れ」ではいかがでしょうか。
また、山茶花の香りは、ほのかで意識して嗅がないとあまり感じられ
ませんが、本格的な冬になる前の、今ごろ咲く山茶花はそれなりに
香りが感じられます。冬になるとあまり香らないのが残念ですが…。
二首目の下の句、「暮るる家路に色を散らして」の写生もいいですね。
【詞書】テレビのキューガーデンを見て詠まさせて頂きました。
☆キューガーデン 水面に浮かぶ紅葉に 威風堂々日本庭園
【詞書】小春日を詠まさせて頂きました。
☆小春日に庭出で山を眺むれば 赤と黄色の折り重なれり
【詞書】クワガタを購入したことを詠まさせて頂きました。
☆夏ぼけかヒラタクワガタ購入す 覗き見ながら童(わらべ)にかえる
西BOOさん
【解説】
今回は、追加も含めて「キューガーデン」「小春日」「クワガタ」をテーマに
三首詠んで頂きました。
一首目の歌、キューガーデンは、ロンドンにある世界的に有名な植物園
です。その園内には、広大な日本庭園があり、英国にいながらにして
日本の伝統的な庭園の美しさを堪能することができるとのこと。
この日本庭園は、1910年の日英博覧会を記念して造られた歴史ある庭園で、
その中心には、京都・西本願寺の唐門を模した「勅使門」が建っています。
この門は、日本と英国の友好の象徴として、未だ多くの来園者を魅了して
いるとの事。この庭園の池の水面に映る紅葉も来園者を魅了し、詠まれて
いるように、「威風堂々」とした見事な景観を示していると思います。
三首目は、作者のお人柄も覗くほのぼのとした歌と感じます。詠まれて
いるように、私達も己を無にして「童(わらべ)にかえる」ひと時を持ち
たいものと感じさせる良い歌と思います。
「咲き盛る 白い山茶花」
【詞書】新蕎麦入荷の幟が目立つようになりました。
☆これやこの湯気の向こうに蕎麦ゆがく 老舗の主の寡黙こそよし
☆「瓦そば」は山口県のソールフード 茶そばの焦げの堅さは美味し
☆新蕎麦の幟はためく飛鳥路の 暖簾くぐればお馴染みの顔
夕庵さん
【解説】
新蕎麦をテーマに三首の歌を、詩情を込めて味わい深く詠んで頂きました。
新蕎麦とは、その年に収穫されたばかりの蕎麦のことを言いますが、蕎麦の
実は、気温、湿度、紫外線などで劣化しやすく、かつては保管が難しいもの
でした。それだけにそば好きたちは、首を長くして新そばを待ったものと
伺ったことがあります。私も信州育ちですので新蕎麦の味わいが忘れられず
都会で食べる小麦粉を多く含んだ蕎麦には、長い事馴染めないできました。
三首目の歌は、「新蕎麦の幟」の表現を始め、作者の豊かな感性と観察力が
感じられる作品で、作者の日常の中に「飛鳥路」を含めて、歴史が溶け
込んでいることも示唆しています。
また、短い言葉の中に、秋の穏やかな情景と、人々の温かいふれあいが凝縮
されています。下の句「暖簾くぐればお馴染みの顔」には、作者が感じた
安らぎや喜びを、私達も共有することができます。
一首目の下の句「老舗の主の寡黙こそよし」の、潔い表現が秀逸です。
【詞書】YouTube短歌:新たな旅立ち キエフの大門
☆またあらたな旅
時空を越えて
素数の階段を昇りつつ
【短歌説明】自閑さんご自身の説明です。
ムソルグスキーの展覧会の絵の内、キエフの大門は、プロムナードと
同じくらい有名な部分です。例えば、テレビ朝日系列のナニコレ
珍百景の番組内では、必ず放送される曲です。
ムソルグスキーは、親友の画家ヴィクトル・ハルトマンの遺作展の
その絵を見てイメージして、ピアノ曲を作曲し、その曲をモーリス・
ラヴェルがオーケストラに編曲し、冨田勲がシンセサイザーで更に
編曲しました。
タイトルも解説も、他の演奏も抜きにして、冨田勲編曲のイメージ
だけで、作歌をするのは、何度も聞き返して結構時間が掛りました。
素数の階段は、曲を聴いて頭の中に浮かんだ言葉で、数学の素数
(2.3.5.7.11.13・・・)の列を考える時、素数から次の素数まで
どれくらいあるか?誰にも分からない。自身も次のステップアップ
までどれくらいまで歩かなければならないか分からないです。でも
歩き出さないと、と言う意味を込めました。数学は、オイラーには
分かっても、おいらには分からないと言う程無知です😓
プロムナードの一つだけは、どうもイメージが湧かなかったので、
未作成ですが、いつかイメージが湧いたら作歌しようと思います。
来年の事を言えば、鬼が笑うでしょうが。
曲を貼付しておりますので、御覧戴ければ幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/55c63a3e08780ddb9f71433095a6ada5
自閑さん
【解説】
時間と空間の概念を超えたような、壮大なスケール感を生み出した
冨田勲版「キエフの大門」という曲。作者の歌は、この曲を幾たびも
繰り返し聞き、作者の個人的な感覚と結びつけ、「時空を越えて」
無限に広がる宇宙空間をイメージし咀嚼しつつ、納得する宇宙観を
表現していると感じました。ちなみに「キエフの大門」の「キエフ」
は、現在のウクライナの首都であるキーウを指します。
なお、素数は無限に続く数であり、その性質は神秘的で宇宙の法則に
通じるものと、数学者を始め多くの人々に捉えられてきました。
下の句の「素数の階段を昇りつつ」は、音楽を通して無限に広がる
宇宙や、人間の知覚を超えた世界へと到達しようとする作者の意欲を
表しており、「でも歩き出さないと」との作者の想いも感じられます。
また、オイラーの素数に関する研究は、現代の数学にも大きな影響を
与えており、彼の発見は、素数分布の研究、コンピュータサイエンス、
さらには暗号理論など、様々な分野で応用されています。
「数学は、オイラーには分かっても、おいらには分からない」と、謙遜と
ユーモアを交えて語って頂いていますが、一首の歌の中に、これだけの
世界観を表現できるのも作者の見識の高さと、優れた感性故と感じます。
「咲き継ぐ 皇帝ダリア」
【詞書】正直言って「うーん…😔」ですね。
たしかにドラマ「不適切にもほどがある!」は、昭和と令和の比較を
扱って、その世相や考え方の違いを挙げて面白くしている…ようで
いて、あの昭和の時代には黙認されていたセクハラ、パワハラ
モラハラ等々のハラスメントは良くない!だけども令和の、今現在の
コンプライアンスや忖度や“空気を読む”空気は何なんだよ?的な
問題提起もしていた…ドラマでもあった…と感じます。そういう
意味では画期的というか意義のあるドラマではあったかなーと…。
しかし、話題にはなったけど、あのワードが“年間大賞”なん?とは
思う訳です。私はかろうじて2回くらいと最終回は見ましたが、
姉とかは「知らん知らん見てへんかった!」と言ってました。
…大谷さんが来られなかったとしても、「50-50」じゃあかん
かったんかなあ…?(…大人の事情ってやつ?)
☆「流行語大賞」候補からならば
「初老ジャパン」?いや「50-50(フィフティフィフティ)」!
註)これは発表直前です。
☆「ふてほど」ねえ…たしかに面白かったけど
どれほどの人がそう呼んでたの?
註)発表後です。
【詞書】11月の30日でしたね。夏のパリオリンピックとパラリン
ピックの選手達のパレードが、東京・日本橋中央通でありました。
沿道の人々と同じ目線で歩く選手、車椅子の選手が700メートルを
パレードする様子をテレビでみましたが、沿道の人達にメダルを
間近で見せ、時には触らせている選手、沿道の人々と同じ目線で
手を振る選手には皆さん破顔一笑。車椅子の選手や目の不自由な
選手には、沿道の人々の声が耳にダイレクトに届いたことでしょう。
今までの車の上からのパレードも悪くはないですが、より選手たちが
身近に感じられた楽しいパレードになったのではないでしょうか?
…ちょっと歌舞伎の“お練り”を思い出しました。😄
☆沿道の人々メダルにも触れて
笑顔はじけたオリ・パラパレード
ちがやねこさん
【解説】
今回も、「流行語大賞」「ふてほど」「オリ・パラパレード」と最新の
テーマで三首詠んで頂きました。
一首目、二首目は、「流行語大賞」にまつわるものですが、今年の
年間大賞は「ふてほど」と決定されましたね。これは、金曜ドラマ
『不適切にもほどがある!』からとのこと。
一首目は「発表直前」の予想で詠まれましたが、何れも「流行語」
トップ10にノミネートされていましたね。
二首目、詠まれているように「どれほどの人がそう呼んでたの?」との
疑問は大勢の方が実感していることと思います。
しかし、「時代がいつであれ、不適切なことは不適切なのだと教えて
くれる」もので、世の中の感覚はそう大きくはズレていないことを
改めて教えてくれたと思っています。この二首の歌も「時代の感覚」を
鋭く撞いており、残していく価値があると考えます。
三首目の歌、「よくぞ詠んでくれました」と、作者に拍手を送りたいと
思います。パラリンピックのパレードは、障害を乗り越えて素晴らしい
成績を収めた選手たちの努力と勇気を称え、障害者スポーツに対する
理解を深めることを目的としているとのことです。パリ大会に出場した
100名以上の選手が参加し、沿道には約1万人の観客が詰めかけ随所で、
詠まれていますように「笑顔はじけた」喜びと、感動を共有できたと
思っています。なお、作者の心の篭もった丁寧なレポートに感動しました。
☆もみじ葉は風無き空に草書文字 えがくがに散り 放つ耀き
ポエット・M
【解説】
今年の秋、とりわけ黄葉、紅葉に染まる季節の訪れが遅く、紅葉狩の
機会が中々訪れないまま、既に冬の足音をきく日々となっています。
それでも、もみじ葉は時をおかず粛々と散っていきます。
この歌は、風もない静寂な空間の中で、冬日に照らされながら紅葉が
散る様を「草書文字」に例えて表現してみました。紅葉が散る際に描く
軌跡は、熟練の書家が筆を走らせているかのような、滑らかな、そして、
生命力さえ感じさせる流麗さを秘めています。そんな様子をなんとか
詠んでみましたが、中々ぴったりとくる表現に到達しませんでしたが…。
推敲途上として掲載させて頂きます。
「照り映える もみじ葉」
「山法師 短歌の章」鑑賞 紅林茂夫著(66)
「山法師」はエコノミストでもありました著者の経済学の論文を始め小説、
短歌等を著者により厳選され著作を集めた著者渾身の著書でもあります。
その著書から、短歌を抄出し三首づつ紹介させて頂きます。
47.「短歌の章」 釧路湿原(1)
釧路湿原 雪深々とかぎろひて
命あるものの静かにひそめり
あめつちの果なき白きひろごりに
身を委ねゐるけだものを想ふ
さいはては すぐろなる空の低くして
旅に仰げば 雪降り出でぬ
【短歌入門・質問・紹介・提案コーナー】
今週は割愛させて頂きます。
【運営にあたって】
(1)投稿期間は、原則として毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
(2)おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
なおブログの字数制限(コード30,000字)等により詞書等編集させて頂く
場合もありますのでご容赦願います。 詞書は一首200文字以内にまとめて
頂きたくご協力願います。
(3)口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4)投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。 皆様から感想等頂ければ
幸いです。
(5)作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6)掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
(7)掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
了
「冬の川」で三首、出詠いたします
⭐️流れゐて流れなきごと いにしへの哀史沈めて冬の宇治川
⭐️冬川の淡き小波に ひるがへる魚の背ひとつ きんと光りぬ
⭐️水墨のごとき山辺の冬川に かすみて立つは朱の阿弥陀橋
よろしくお願いいたします
早速、二首出詠させて頂きたいと思います。
紅葉もそろそろ見納めと思い詠ませて頂きました。
紅葉の色付いたのもつかの間で 水面に浮かび川下りけり
今年の短い秋を詠ませて頂きました。
夏終えて立冬むかえ師走が来 秋、消滅の兆しあるやも
よろしくお願いいたします。
2時38分頃投稿致しました。よろしくお願いします。
詞書
瀬戸内海と太平洋の狭間にある和歌山県の白浜温泉へ娘と二人 久しぶりに秋の旅を楽しみました。
☆見はるかす千畳敷は波荒らし 風を呼んでは人寄せつけず
☆懐かしき湯浅の街の佇まい 醤油の匂い流れ来るよな
☆「甚風呂」の暖簾くぐれば古き世の 男女混ざりの賑わいの声
よろしくお願いします。
もう一首、追加で出詠させて頂きたいと思います。
月と金星の接近を詠ませて頂きました。
今日と明日 月と金星接近す 宵の時間は晴れます様に
よろしくお願い致します。
いつも、早々に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
本作品の歌評・解説等は12月11日付け「水曜サロン その161」に
掲載させて頂きます。
これからもよろしくお願い致します。
いつも、早々に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
本作品の歌評・解説等は12月11日付け「水曜サロン その161」に
掲載させて頂きます。
これからもよろしくお願い致します。
いつも、早々に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
本作品の歌評・解説等は12月11日付け「水曜サロン その161」に
掲載させて頂きます。
これからもよろしくお願い致します。
いつも、早々に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
本作品の歌評・解説等は12月11日付け「水曜サロン その161」に
掲載させて頂きます。
これからもよろしくお願い致します。