四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
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「春秋」(「綜合詩歌」改題)誌鑑賞(12) 「槿花一朝の夢」

2022年08月05日 15時11分02秒 | 短歌

-戦時下、空白の短歌史を掘り起こす その12-
    「槿花一朝の夢」


 鎌倉の北東に位置する大倉山は夏の夕映えの中でなお濃い樹影を地に落としている。武士政権の創設者、源頼朝の墓は、その大倉山の南麓中腹に立っている。源頼朝の生涯については、現在進行形の大河ドラマで既に詳細に描かれているが、伊豆配流から身を興した源頼朝。平氏追討の後、鎌倉幕府を開き征夷大将軍となり、その後、わずか七年後の正治元年(1199年)53歳で落馬により身罷った。

 短いながら、正に波乱万丈の生涯を送ったもののふの生涯を、象徴的に刻む多層塔の墓は苔むし、夕映えに染まりながら質素なたたずまいを見せている。墓の入り口近くに槿(むくげ)の群生が萎む寸前の五弁の花びらを、あるか無しかの風の中で揺らしている。純白の花びらに底紅をもつ宗旦むくげは華やかな花姿に似ぬ、妙なる寂しさをまとっている。
それは「朝開暮落」の花名が示すとおり、朝に花開き夕べに散る「ひと日花」の宿命から来る哀しみゆえだろうか。夏の夕べ、ひと日という短い生涯を全うし散っていく花の風姿。それは苔むした頼朝の墓のたたずまいと共に、「槿花一朝の夢」を語るにふさわしい、儚さと気品に満ちている。


     「宗旦むくげ」

     「源頼朝の墓(と言われています)」 (ネットから借用しました)

 短く儚いゆえに、生の限りを懸命に燃やした若者達の真摯な思い。その思いは争乱に明け暮れた源平の昔より、どんな時代の闇の中でも、それぞれに光彩を放ちながら時代の青春を貫いてきた。そんな若者達の思いと、強いられた「もう一つの戦さ場」で闘うおみな達の「生への燃焼」を、戦局悪化の極みに向かいつつあった大戦末期の詩歌の世界から探ってみたい。

 「春秋」は「綜合詩歌」を改題し創刊され、昭和十九年八月に第二号の発刊となった。この巻頭には金井章次博士の随筆「続行政鎖談」が、「綜合詩歌」に引続き掲載されている。また、巻頭の囲み作品には尾上紫舟、川田順、河野慎吾の三氏が、それぞれ力作を寄せている。この作品の中から歴史的にも貴重な、吉井勇について詠った川田順氏の歌を抄出してみたい。


吉井勇                       川田順
 さすらいの風流士(みやびお)いまはおちつきて古き京に庵せりける
 人間(ひと)よりは石が親しといひながらさびしかるらし今日も訪ひ来る
 国を憂へ談らひ尽きぬ吾が友を送り出づれば雪ふりみだる


 これらの方の他に本誌に作品を寄せた代表的な歌人は、高木一夫、武藤宏樹、村田保定、田島とう子、桑山良の各氏を始め、三十二名の方々であった。


     「カサブランカ」

 昭和十九年七月。サイパン島「玉砕」を契機に東条内閣は倒壊し、小磯内閣が発足した。八月には「国民総武装」を閣議決定し戦局の建て直しを図ったが、事態は好転せず悪化の一途を辿っていった。

 一方、六月六日300万人近い兵員を動員し「史上最大の作戦」で臨んだ連合国軍は、ドイツ軍の眼前でノルマンディー上陸を果たし、八月にはフランスシェルブール港を確保した。この作戦にはヴェルレーヌの「秋の歌」の前半分、すなわち「秋の日の ヴィオロンの ためいきの ひたぶるにうら悲し」が暗号として使用された。ここにも、連合軍のゆとりが汲み取れる。


     「オリエンタルリリー」

 戦局の悪化は、詠草の投稿を官製はがきに変えるという瑣末な状況変化も含めて、国民生活を経済的にも、文化的にも壊滅的に圧迫しつつあった。これらの情況は代表的歌人の作品にも色濃く反映し、深い影を落としている。この時代への想いを直裁に詠った歌。それは単なる時局詠を越えて歴史への貴重な伝言とも言える。そんな「伝言」の数々を抄出させて頂いた。


海戦                       甘楽 武
 海岸に焼けそぼれたつ椰子の木のをびただしきは何か哀れなり
 痺れたる足をさすりて居りしとき対空戦闘の号音鳴りぬ
 故も無く涙流れぬ赤道をいましすぎると聞きたる時に

近詠                       堀内 雄平
 人波の後ろに高く伸び上がり見つつしをりし白き面輪を
 暮れそめし水平線に吾が本土一点となりて軈て見えずも
 潜水艦に尾行されゐし幾日をかへり見るさへ身に響くあり

山住み                      高橋 静生
 病める身は草しき仰ぐ青空のひかりを見つつ涙ながれき
 あわれなる生きの生命をみ戦につなぎては思へ慰まなくに
 日に日々に瞼に熱きことのみぞ生けらく物に乏しさはなく


戦線風景                     佐藤 力雄
 トーチカのまはり乾ける土の上に一かたまりの芒映りぬ
 猛りたる機銃掃射のとどろきが河谷ふかく山にこだます
 雪の降る清き月夜を移動して牡丹江にわが兄は征きたり

初夏                       杉本 糸子
 兵はただ兵たれと書きて賜りし日のみ旗負ひて君出で征たい
 をとめらのそこはかとなき匂ひ満ち夏季練成講習会いま開かるる
 戦時農園見なれし我れかこの家の朝顔の藍いたくしすずし

花々                       田島 とう子
 なにごとか心にかへるものありて切なくぞきく梔子
 苜蓿(うまごやし)咲く河原のみちにして遠き乙女を言い出でにけり
 みちのへの未央柳の黄の乱れ心みだれてありといはなくに


「坑道のカナリヤ」という痛ましい存在がある。坑道に満ちる有毒ガスの濃度を自らの生命を賭して人間に知らせると言う、哀しくも崇高な使命を担わされたカナリヤである。詩人や歌人の果たすべき役割は、このカナリヤに似た側面を持っていると言える。時代の闇の中で、その潮流を敏感に感じ取り、自己の全存在を賭けて身に迫る危機を詠っていく。そんな熱い使命感と志を秘めた作品のみが時代を越えて人々の心を打ち、時代の潮流すら変えていく力を持つのではないだろうか。

 そんな想いを抱かせる作品が、これら歌人の歌群に少なからず存在し深く学ばされた。また、抑制の効いた表現のもつ凄さと、風韻とも言える響きを改めて味わうことが出来た。とりわけ「朝顔の藍いたくしすずし」と詠った杉本糸子氏の「初夏」一連の淡々とした声調、さりげない表現にこめられた想いの深さを心に刻んでいきたい。


     「鹿の子百合」

 本誌では、これら短歌作品の他に先にあげた金井博士の随筆を初め、高木一夫、鈴木一念、中井克比古、佐藤きよしの各氏が論文、評論、歌論等の力作を寄せている。これらの中から鈴木一念氏の歌評、解説を一部抜粋し私たちの学びの手引きとしたい。

 ○かぎろひの日は照らせどみずうみの浪うちぎはに雪ぞのこれる  斉藤茂吉
 【歌意】蔭り易い冬の陽がいま此処を照らしているけれども、この湖の寒々とした
     浪打ち際には雪が消え残って凝ごって居る
 【歌評】人間の匂いも音も感じさせぬ大自然の奥や外側の寂しさ厳しさ、
     寄り付き難さを深く思わせる。―それは上句の「かぎろひの日は照らせど」
     の否定語の圧迫力から醸成されて来ていると想う。

 この歌評と歌から、「否定語の圧迫力」を学んでいきたい。

 本誌では「春秋」と改題して以降、会員からの投稿歌を中井克比古、高木一夫、泉四郎の各氏が選者となって三部立ての選歌を行なっている。 これら選歌作品の中から、戦局悪化の下で、なお生への限りない燃焼を秘めた歌、そして詠うどころでない情況の中で、魂の奥からの抑え切れない叫びを表出させた作品を抄出させて頂いた。


 ○わが想ひ言はむ術なき旗ふりてならひの如く夫を送りぬ       平野 良枝
 ○明日はなき生命と三度書きし我れ尚ながらへて祖国に着きぬ     池田 喜多郎
 ○もののふは戦死するもの常あれどその今日死にきと聞ける悲しさ   外城 柚雄
 ○三平戦死信じかねたり公電を手にすれば浮かぶ太き眉大き声     井上 栄二
 ○花は開き陽はうらうらにてらせども還らぬ友のありて慎む      松本 みさを
 ○熄みがたく烈しき思ひ警報の夕べ真白きコデマリの花        鈴木 實
 ○今日もまた庭に咲きけりぼたん花は戦死の兄のかたみなりけり    星野 芳子
 ○快く晴れたる今朝を芍薬の露をたもちて咲き初めにけり       河本 文子
 ○空襲のま闇の中に名を呼ばひ吾等親子を師は気遣はす        杉江 秀子
 ○海の絵を描きしと吾に示したる君の生命を恋ひつつぞをり      大木 平
 ○山寺に夕桜花散りゐつつ戦へる世のここにしづけし         松田 弘吉
 ○うつつなき目にも映りて飛行機に叫びをあぐるかなし背の児が    原  恵子
 ○丸顔のほほえみし時汝が父のうつしゑに似て吾子はかなしき     土井 博子
 ○ともどもに堪えてしゆかな乏しくも配給米に命やしなふ       小笠原一二三
 ○幾枚のわが写真より頬の痩せ目立たぬを選りて母に送りぬ      岡本 武義
 ○たらちねの一生思へば涙落つはこべ花咲くおくつきどころ      菅沼 稷彦


 幾度かの慟哭の夜を重ね、吾子を抱え死と隣り合わせの生を、懸命に生きたであろうおみな達の想いが、また、わが子の戦死の報を涙を呑み込み受けとめざるを得なかった親達の想いが、これらの歌群の底から響いてくる。
諦念と呼ぶにはあまりに生々しく、重く烈しい魂の叫びが・・・。再びは還れぬであろう遠い戦場へ愛してやまない夫を、恋人を、わが子を送り出さねばならなかった女性たちと、親達の無念の思いが、その叫びと重なる。


     「夾竹桃」

 大倉山から眺める鎌倉の街並みは、夏の夕映えの中で淡いセピア色に染まっている。七里ガ浜からの潮騒が聞こえてきそうな静寂の中で、むくげの花は今その花弁を閉じようとしている。一日と言う短くも、かくも典雅さに溢れた花の一世。それは、幾多の曲折を経て武家政権を打ち立てた後、わずか七年で没した源頼朝の無念に尽きる一世に重なる。さらに、人生の開花も知らず、蕾のままに散ることを強いられた大戦下の若者達の無念さを思い起こさせる。そして、その思いを上回る残されたおみな達と、親達のさらなる無念の想いが・・・。


     「むくげ 八重」

 夏の夕映えの中で静かにその花弁を閉じるむくげの花は、そんな無念の思いを、そして叫びを押し包むように萎んでいく。朝に開き、夕べに散る槿花の紡いだ夢は、儚さの象徴かもしれない。しかし、それは戦乱の世も含めて、死と隣り合わせの生を懸命に、健気に生きた人々の燃焼の証でもあり、一瞬を永遠命に重ねることを悟った凛とした気品と志の証でもあった。
 あの8月6日が巡ってくる。今日の日を再び「戦前」にしてはいけない。そして、「ヒロシマ、ナガサキの心」が世界の人々の心に届く日が来ることを。ロシアのウクライナ侵略により原爆の脅威が具体的になる中で、そんな確かな、そして重い「一朝」ではない夢を紡いでいきたい。
                                 了

         初稿掲載  2008年8月6日
注)現下の情勢に合わせて、初稿に最小限の加筆を行いました


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10 コメント

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心の叫び (チョウキチ)
2022-08-06 10:01:21
戦争に翻弄される人々の心の叫びが聞こえます。特に、わが想ひ言はむ術なき旗ふりてならひの如く夫を送りぬ 平野良枝
 この歌は、若い妻でなくても、母親であっても、あるいはまた、父親であっても皆が感じたであろう気持ち、あるいは悲痛な叫びであったと思われます。自分ではこの悲痛さは経験していませんが、戦争の悲惨さを二度と起こしてはいけないと強く感じています。
 最近の政治情勢は、自己欲を満たすために他人を踏み台にしていると感じます。ロシアの母親の多くも日本の女性達と同じ感情を持っていると思います。早く平和が来ることを願います。
返信する
Unknown (行雲流水の如くに)
2022-08-06 13:32:56
四季の彩さん、こんにちは。
今日は古くからの友人に電話しました。
昭和18年生まれで、大学が同じ、就職した会社も同じでした。
私は北海道で生まれましたが、彼は広島生まれ、しかも爆心地に近かったと言います。
お互い酒が好きで会うたびに馬鹿話をしていましたが、「それにしてもお前は運が良かったな」というのがあいさつ代わりでした。

コロナ前は2~3年に1回は上京して旧交を温めていましたが、このところそれもかないません。
電話でお互い元気な声を確かめ合いました。

川田順の歌が心に沁みます。
国を憂へ談らひ尽きぬ吾が友を送り出づれば雪ふりみだる

今日の日を再び「戦前」にしてはいけない。
そして「ヒロシマ、ナガサキの心」が世界の人々の心に届く日が来ることを。

まったくその通りだと思います。
返信する
Unknown (1948219suisen)
2022-08-06 15:04:42
チョウキチさまがお書きのように、ご紹介いただいた第二次世界大戦末期の歌はどれも衝迫が感じられて心打たれました。

戦の歌ではありませんが、私は吉井勇を詠った川田順の歌にも惹かれました。吉井勇は奥様の悪評から逃れて一時土佐の猪野々に隠棲した人でしたし、川田順は若い人妻と再婚した曰く付きの歌人でありましたから。

おふたりとも非常に人間的魅力のあった人と思いますし、詠い方もロマンが感じられ惹かれます。

 さすらいの風流士(みやびお)いまはおちつきて古き京に庵せりける
 人間(ひと)よりは石が親しといひながらさびしかるらし今日も訪ひ来る
 国を憂へ談らひ尽きぬ吾が友を送り出づれば雪ふりみだる
返信する
チョウキチさんへ (ポエット・M)
2022-08-06 19:32:12
チョウキチさん こんばんは。
コメント頂きありがとうございます。
例示された平野良枝氏の短歌は、表現が著しく規制された戦時統制のもとで、おっしゃるように、ぎりぎりの「心からの叫び」を詠っていると感じます。

ロシアのウクライナ侵略により、戦争が現実のものとなって私たちの目の前で、依然として続いています。
戦線で闘う兵士ばかりでなく、その何倍かする家族・縁者たち悲惨さを想う時、
それを引き起こした者への怒りと共に、一日も早い収束に向けて具体的な取り組みを
望みたいと思っています。

これからも貴重なご意見を頂ければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。
返信する
行雲流水さんへ (ポエット・M)
2022-08-06 20:46:32
行雲流水さん こんばんは。
コメント頂きありがとうございました。

広島生まれのご友人に、本日連絡されたとのこと。おそらく、その方には原爆投下時の記憶は
ないでしょうが、その後の歩みには筆舌に尽くしがたい日々があったことと拝察致します。
「運が良かったな」との言葉を受け入れるまでの、厳しく辛い歩みは想像に難くはありません。
でも、元気な声を確かめ合うことが出来て良かったですね。やはり友はいいものですね。

私の友人は、長崎での体内被曝と言う宿命を生まれながらに背負っていました。
文字通り「核廃絶」を自分の生涯の課題として取り組みながら、25年にも満たない生涯を
血液の病で閉じ、十字架を抱きつつマリアのもとへ旅立ちました。
この経緯は私のブログ「2021年08月27日付け 「綜合詩歌」誌鑑賞(2) 夾竹桃への思い」で
少し触れさせて頂いています。
八月は、どうしても身近にあった、そのような友人たちに想いを馳せ、しみじみとしてしまいます。

いつも励ましと、エールの籠ったコメントを頂き嬉しいです。これからも宜しくお願い致します。
返信する
suisenさんへ (ポエット・M)
2022-08-06 20:49:41
suisenさん こんばんは。
コメント頂きありがとうございます。
ロシアのウクライナ侵略戦争により、戦争が身近になる中で、第二次世界大戦末期の歌が
より切迫感をもって感じられます。

なお、川田順が再婚されたご婦人の方に、私の師の出版記念会でお目にかかった記憶があります。
当時私は30代の後半でしたが、その方は楚々とした上品で、知的な方で川田順が人生を
懸けるにふさわしいお方と印象を持ちました。

一首目もさることながら、三首目は行雲流水さんも「心に沁みる」と仰っていましたが
この時代に、このように詠える川田順の「大きさ」を改めて感じました。
これからも宜しくお願い致します
返信する
Unknown (pdk11433)
2022-08-07 07:56:13
ポェットMさんへ。
おはようございます☁️
私の父は職業軍人でした。今や
軍隊の無い我が国では『死語』ですね?
父は技術屋だったそうで戦地には行かなかったようですが悲惨な戦争の話は
子供達にする事は無かったような気がします。敗戦になり軍人は軍人なりに
かなり苦労をして市井に復帰。
あれから76年経ち~
しかし権力を欲する
国や人は後を絶ちません。悲しいことです。
残念です!?
私も高齢者…勝手な言い分ですが
このまま、この際
平和ボケの母国と共に
戦争の無いまま終われれば良いと
願う自己中心の一人になっています。
珍しく難しい事を考えました((笑)

立秋ですね?涼しくなる秋を願って
あまり関係はないのですが
2句お願いします。

☆雷鳴に あわてふためき クロ駆ける
夏の終わりを 告げる黒雲

☆断捨離を 思い立ったは 自粛の日
懐かし品に はたと止まる手

宜しくご教示下さい🙇
返信する
クロママさんへ (ポエット・M)
2022-08-07 11:35:29
クロママさん こんにちは。
「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。

戦時中、航空機の製造・整備、軍艦の造船・保守をはじめ戦争を遂行するため
多くの機材の製作を担った技術者たちは数多存在しました。歴史的にはあまり光を
当てられて来ませんでしたが、それも「一つの戦場」であったと思っています。
その一遇にクロママさんの御父上もおられたこととと思いますし、表現を越える並々ならぬ
ご苦労をされたことと思います。それゆえ子供達には「多くを語らぬ」を貫いたのではないかと思います。
「平和ボケ」と言われましょうが、77年にわたり平和を貫いたことは稀有のことと
思いますし、国民として誇っていい事と思います。そこに憲法九条の存在が
あったことは事実であり、心したいと思います。

二首の歌、確かに拝受いたしました。二首目の「懐かし品に はたと止まる手」の状況が
目に浮かびます。読みての「そうそう」との頷きをさそう、素直な詠歌と考えます。

これからも宜しくお願い致します
返信する
立秋は過ぎても・・・ (fumiel-shima)
2022-08-08 16:07:25
ポエットMさん、こんにちは。

暦の上では「秋」に入りましたがやはり予想どおり
今日も暑くなりましたね。
高校野球にも熱が入りテレビに齧りついている毎日です。

週が変わりしたので今週も水溶サロンへの千恵子の独楽吟を提出させていただきます。

度々お伝えしていますとおり千恵子も私同様、何の知識も持ち合わせておりませんが、思ったことをそのままひたすら31文字に・・・ということでやっていますのでその真面目さだけで継続しているものと思います。

☆たのしみは 息つめて引く一本の 刻んだ思い通じ合うとき
☆たのしみは 固い顔した生徒らが 弾けて描いた一枚見るとき
☆たのしみは 明日の教室思いつつ 木の実を拾うババであるとき

この三首は過日(水曜サロンの会39と46)に提出させていただいたもの(下記)と同じように絵手紙教室内での光景を詠ったもののようです。

☆たのしみは 思案重ねた教室で わあっと上がる歓声きくとき(39)
☆たのしみは 準備ととのえ教室に 仕上がり上々笑顔みるとき(46)

よろしくお願いします。
返信する
fumiel-shimaさん (ポエット・M)
2022-08-09 08:17:27
fumiel-shimaさん おはようございます。
「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。

おっしゃるように、暦の上では「秋」となりましたが、連日「命に係わる」炎暑が
続いておりますね。やはり温暖化の影響は否定できないですね。

三首の独樂吟、拝受いたしました。
絵手紙教室は千恵子奥様の、大切な「人生のよりどころ」となっているのだと思います。
その「教室」の生徒さん一人一人の顔を思い浮かべ、準備を怠らない「誠実な教師」の姿が
詠歌から浮かんできます。このような充実感に満ちた大切なひと時を、継続的に持っている方は
幸せな方と思っています。それを理解し傍らで支えてきたfumiel-shimaさんの存在も大きな
ものであったと拝察しております。

そのような教室を、大いに独樂吟で表現して頂ければ、私達も嬉しい限りです。
これからも宜しくお願い致します
返信する

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