「戦時下、空白の短歌史を掘り起こす -その6-」
「山茶花は散る」
咲さ盛る山茶花が、はらはらと散り庭隅を薄紅色に染めている。散った後の彩どりは、冬に咲く花の命の見事さを語りかけてくる。 冬に真向かう厳しい季節の中で、その到来を静かに受け止めつつ凛と咲く山茶花。それは歳晩を飾る誇り高い花であり、おごりに遠い慎ましやかな花でもある。
日本の長い歴史の中でも、最も酷しい冬の時代の一つとも言える昭和十九年が明け、その一月に十二巻目を数えた「綜合詩歌」一月号。
「総員は戦闘配置へ」の戦時スローガンを載せたこの誌歌誌に、冬に咲く山茶花の矜持とともに、その裏に潜む痛ましさが重なる。冬の時代の谷間に咲きこぼれた詩歌誌。この鑑賞、紹介を前号に引続き行っていきたい。感傷に堕ちぬように・・・。
本号は年頭を飾る新年号であり、かつ「重大な局面を迎えつつある戦局下に処する、歌人の覚悟を披瀝する」との趣旨から「歌人の信念と決意」と言う特集欄が設けられている。谷馨、相馬御風両氏をはじめ本誌の主要歌人十五名の方が稿を寄せているが、時局を反映した率直な「決意」文の一部を抜粋し、資料的な意味合いを含めて二名の方を掲載したい。
心情の吐露 半田 良平
自分の作る歌が、それを読む人に感動を与えて、それが直ちに何らかの意味で国力増強に役立つものでありたいと念願しております。そういう場合、意識的に力を入れずとも自然に詠み出されて、それがとりもなおさず皇国民としての心情を吐露したものになることは疑いありません。私はそういう歌を一首でも多く詠むことを心がけております・・・。
精進の一路 村田 保定
凡そ人の世の生活のあるところ常に詩心のあることは、花の咲きいずるが如く、鳥の歌いいずるが如くに当然のことであり、平常の時に於いてすら機に臨んで心の琴線に触れるものあれば、歌が詠まれ詩が生まれる。
況して非常の時に際会しては、史上の事実に見るも常に雄心の発露として壮烈なる雄叫としての歌が成り、詩が作られるので、これは徒らなる作為ではなくして、厳粛なる真実の顕現なのである。斯く観ずるならば、歌人の信念と決意という事も、自ずから明らかであろう。昭和聖代の雄叫を千古の後に伝えるという事こそ、現代歌人に課せられた使命であり、その目標に向かって自らを空しくして、精進の一路あるのみと考えられる・・・。
歌人が時代の先覚者たる使命を負わされ、その悲壮な志が歌を紡がせた時代。さらに、時局に真向かい自らの志を抑え、それと異なる「決意」を詠わざるを得なかった時代の在りよう。これらは、現代を生きる私達自身に、作歌姿勢を省みる視点をいやおうなく突きつけてくる。この時代の文字表現の行間に溢れる歌人としての心情を汲み取り、心に刻んで行きたい。
本号に作品を寄せた主要歌人は、前田夕暮、大和資雄、中川武、谷山つる枝の各氏を含む十七名の方々である。これらの作品の中から時代に刻んだ生々しい足跡とも言える歌、さらには時代の流れに真向かい、己の思いとの葛藤の中から紡ぎだされた緊張感に満ちた歌を中心に抄出させて頂いた。
山毛欅の木の歌 前田 夕暮
木製航空機材として役立つブナの木の列み立つみつつ心ぞきほう
みのかぎり谷うづめたる素材らは新雪なせる白ブナにして
落葉せしこの白ブナは乾き烈し幹にふるれば火をふかむとす
風塵居短歌抄 安藤 彦三郎
たな底に籾をのせればこそばゆしこころ凪ぎゐて稔りをおもふ
顔よせてたな底の籾をかたりゐるとほ世のひとら尊くもあるか
身にしみて襟立つるほどの夕風に白く波立つ秋川をわたる
苅田 脇 須美
稲刈りて夜毎を深く眠る子の知らぬ星座か冴えまさりつつ 女学生稲刈奉仕
夕空の裾にしめらふ山脈の襞深うして吾子は遠しも
兵の子が短きたより読みかへし温むおもひぞおのづからなる
奈良にて 嘉納 とわ
凛と反る御指の相にあふれたる直きみちからに頼る思ひあり
仰げども視線にすがるよしもなし永遠に内部(うち)をみつめて 日光・月光菩薩
内省の御眼尊しと仰ぎつつ微けきわれの思ひ悲しも
海戦 中川 武
想像を許さざるありたたかひは捷ちつつなほもソロモンの海に
夥しく重油流るるみんなみの海むざとして浮かぶひととき
更めて又憶ふかな北の海のアッツ桜とぞいへるうつしゑ
世界遺産となった白神山地をはじめ、日本列島を北から南へ貫くブナの森。時局はこのブナすら航空機の素材とせざるを得ない末期的情況を深めつつあった。この戦局を踏まえ、そのブナの幹に託して詠んだ前田夕暮氏の心情。自由律短歌への強いられた惜別の情は「幹にふるれば火をふかむとす」ほどに滾っていたことと拝察する。また、永遠に裡をを見つめる半眼の菩薩に、なおすがる思いを寄せる嘉納とわ氏の思い。
それは酷しい戦局下、それにもめげず、ひたむきに生き抜いた女性達の抑えてもなお、胸奥から突き上げてくる叫びとも重なる。
本号には、前号に引続き古典抄として賀茂真淵の「邇飛麻那微」を初めとした、貴重かつ優れた歌論が掲載されている。
この中から入門的歌論とも言える「寸硯」より一部抜粋し歌友諸兄と共に学ぶ一助としたい。
寸硯 野村 泰三
作歌は修練道だと言われている。この言葉を繰り返しておきたい。作歌上達の過程においては、自己の能力をよく知悉して一歩一歩向上を期して行くべきである。また、作歌を志すものは歌道修練に並行して、刻苦勉励知徳育成に邁進したいものである。短歌作品は優れたる英知と人格を具備するところ、おのずから人をして感ぜしむるもの生じ得る。
いきなり大家と同じような作歌をしようと焦ることは無益であり反って作歌上達を阻害するものである。作品の良否を識別することすらが、余程の能力が無ければ出来ないことを知り、名歌の鑑賞に努め、先進の指導を仰ぎつつ理解し得る範囲において、各自の水準を向上していくべきである。
卑近な例を挙げれば、木工が立派な工芸品を製作するに当たり、如何に優れた構想を持っていても、板の削り方を知らず、またそれが満足でない時は、決して立派な作品を得ることは出来ない。即ち一通りの基礎技術を習得せねばならぬ所以である・・・。
「優れた英知と人格の具備」「基礎技術の習得」は、私達としても短歌に取り組む基本的な姿勢として、心したい示唆でもある。
本号に評論、随筆、論文等を寄せられた主要執筆人は安積卯一郎、大野勇二、谷馨、下村海南、平野宣紀の各氏である。また、「決戦下の作品」として原三郎氏が、折口信夫、斎藤茂吉、前田夕暮ら歌人の作品評を寄せている。戦時下に紡がれた、これらの歌人の作品評は資料的にも貴重であり、一部抜粋し掲載したい。
決戦下の作品 原 三郎
○大東亜細亜全けからむとつどひたる国家代表の壮観ぞこれ 斎藤 茂吉
○かぎりなく澄みわたる高天(たかあめ)を飛び来ましたる五つ国びと 同上
十一月六日読売紙の「大東亜会議の壮観」の五首中のはじめの二首である。未曾有の大会議は五日の午前秋気あくまで澄み渡っていた帝都で開かれた。その翌朝に発表されたのであるから、記者に急かされながらペンを握られた作者を容易に想像できる。この作品には青年のような覇気と元気が溢れている。新しい大東亜の激情を充分盛っている。一瞬を急がされながら作っているために或いは粗造に似たものを感じるが、読み返してみると、いかにもこの作者らしい張りを感じさせられる。
題材の大きさを制御し得ないほどに時代の激しい息がこの作品に通っているいるのを見せられるのである・・・。
「時代の激しい息」が、作品のどこに通っているのかを見い出し得ないもどかしさはあるが、戦時下におけるジャーナリズムと歌人の関わりを示す貴重な資料を提供している。歌人としても時代の寵児でありながら、時代の見えざる手に擁かれつつ、その「激情」に呑み込まれて行く一人の歌人の存在。その状況を現代に置き換えて改めて危機感を覚えた。
戦局の進展により、空を覆う暗雲への予感が現実のものとなっていく中で、歌に託した否、託さざるを得なかった市井の歌人達の心情。その魂からの叫びにも似た歌、さらに、葛藤の果てに抑えてなお行間に溢れる思いの感じられる歌を、本号の投稿歌の中から紙面の許す限り抄出したい。
○ふる里に愛児の待つか傷兵が掌にしかと持つ小さき玩具や 笹川 祐資
○分別はためらひ易く成り果てて子は日につくる模型飛行機を 真崎 徹
○たたなはる幾山脈のさびしきをたたへてすでに暮るる 水城 秋歩
○身を飾る日は杳けくもたまはりし帯上の青に瞳はなぐさむ 斎藤 美代子
○中途にて学を捨てたる学び舎に山茶花の花散りつぐ頃か 秩父 ゆき子
○ある夜ふと星の話をきかせたるゑくぼ愛しきひとを思へり 小菅 嘉之
○まどかにも月は明るし対ひ居て嘆く思ひを君知るらむか 菅野 貞子
○悲しさを言ふべくもなき埴輪なれどつぶら眼にものな言はしめ 門脇 顕正
○征かむ日のいよよ近づき父母の生きます末を思ひみるかも 幸 秋雄
○ふるさとへ還りましけるみ遺骨に泥手を合はせおろがみにけり 廣田 博子
○身は果てて遺品といふはあらざれどなに嘆かなむ神なり兄は 佐藤 鈴子
○駅頭に散るコスモスを見つめつつ共に黙しゐき別れけるかも 古谷 秋良
○四次五次続く戦果のその陰にわが未還機の幾機を思ふ 田中 孝子
○死がいかに神秘にみちてゐやうともなほしそれより神秘なる生 久住 文哉
○白梅のごとく生きよとのたまひし師が幻ほのかにうかびぬ 木田 弘
○素枯たる雑草がなかりんどうの露を含みてさゆらぎもせず 河本 文子
○人の生命絶ゆるその時苦しみは果つると思ふさびしかれども 神谷 ツネ子
どんなに鮮やかな花びらでも、散った後に再び咲き続けることは出来ない。淡い紅色に散り敷いた山茶花の花びらから、そんな言葉が幻聴のように響いてくる。
学徒出陣に続き、演出された「聖戦」に恋人を、夫を、そしてわが子を捧げた人々の思いが、これらの歌群よりひしひしと伝わってくる。愛する兄を戦で失った悲しみに、人知れず昼夜泣き明かしたその後で「なに嘆かなむ」と詠った女性。「生命絶ゆるその時苦しみは果つると思ふさびしかれども」と詠い、悲しみの極みから立ち上がった女性の矜持。
そんな女性達の痛ましいまでの想いが、あるいは男達を「君を護るためにと」との悲しい決意を促し、戦場で「雄々しく散る」誇りへと駆り立てて行ったのではないだろうか。痛ましいまでの誇りと、悲しい決意を促す一翼を「歌」が担った事実を、私たち自身心に刻んでいかねばと考える。
色鮮やかな彩りのままに散る山茶花。その散り行く様に、かつての男達の矜持を重ねてみた。「身捨つるほどの祖国」の存在と共に。また、それを食いものにして恥じない為政者達の存在と共に・・・。
悲しみを悲しみとして詠う。どんな情況の中でも生きぬくことを、その生の尊さを賛歌として詠う一表現者としてのあり方を。そしてその志を現在の状況の中で模索してみたい。
時代の喧騒と濁流に抗いながら・・・。
了
初稿掲載 平成19年12月8日