水郷地区では、今でも、人びとの通勤通学、日常生活の足として、櫓漕ぎのサッパ舟が使われています。パチパチ!

というのはウソで、幼稚園の遠足のようでした(^^)
サッパ舟という名前は知っていましたが、「笹葉舟」と書いてあるのを見て衝撃。サッパ舟って、笹の葉(のような)舟だったのか!
同型でもっと小さなものを、浦安辺りで海苔採りをしていた方たちは「べか舟」、流山の辺りでは「田舟(たぶね)」と言いますね。稲作をしていた古い農家さんの軒先なんかにぶら下がってます。
利根川を渡り、佐原の資料館に行くと昔の写真が展示してあり「高瀬舟、サッパ舟、チョキ舟が見え、云々」と解説がありました。
古典落語なんかでよく出てくるチョキ舟(吉原に通う若旦那が乗る舟^^)ですが、こちらは「猪牙舟」と書くのだと三遊亭白鳥師匠が言ってたなあと思い出し、どれがどれなのかを尋ねたら、公務員の方たちなもんで、まったく分からないと言われてしまいました。ぐっすん。
しかし、たまたまいらした警備会社のご高齢の方がいろいろと教えてくださり、盛り上がりました。
田んぼで農作業に使う、田端舟(たっぱぶね)が、サッパ舟になったという説もあるんですねー。
流山から来たと言ったら
「利根の川風袂に入れて帰ってね!」
と見送られました。
いよっ!名調子(^^)!
『天保水滸伝』玉川勝太郎、他はコチラ(^^)!
🎵利根の川風袂に入れて 月に棹差す高瀬舟
人目関の戸叩くは川の 水に堰かるるくいな鳥
恋の八月大利根月夜 佐原ばやしの音も冴え渡り
葦の葉末に露おく頃は 飛ぶや蛍のそこかしこ
潮来あやめの懐かしさ わたしゃ九十九里荒浜育ち
と言うて鰯の子ではない
義理には強いが情けにゃ弱い
されば天保十二年抜けば玉散る長脇差し
赤い血しぶきしとどに浴びて 飯岡笹川両身内
名代なりける大喧嘩
伝え伝え~し水滸伝
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