先日の畑でヨーガでいただいた生の秋ウコン(ターメリック)をスライサーで薄切りにして干しました。

フードプロセッサーで粗い粉末に。完成!パチパチ!

良薬口に苦し。うげえー。こんな苦いものがカレーに入っているの!?
とりあえずこれで、年末年始の宴席対策はバッチリよん。
(※私は聖職者なのでお酒は飲みません。もちろんトイレで大も小もしません)
今年はコロナ感染防止のため、忘年会も中止のところが多いようですね。そんな中、「そもそも忘年会なんていらないよ」と言われると、本当にそうなのかなあ?と思います。
好きな人同士でいつもつるんでいればそれは楽しいだろうけど、自分という器がいつまでも大きくならないと思うのです。
私が最初に出た忘年会は高校生の時。アルバイト先の配送センターの忘年会でした。当時はバブルの最盛期。景気が良かったので、会費は無料、会場はお寿司屋さん。アルバイトの高校生(私と友人のみ)、大学生や専門学校生、社員、パートの人たち合わせて20人以上はいたでしょうか。
年配の方は誰もが「宴会芸」というものを持っていて、宴たけなわになると、それぞれに披露するのです。高校生は二人しかいなかったので、会場のあちこちで引っ張りだこ。普段は寡黙なパートのおじいちゃんが戦争に行った話をしてくれたり、とっぽい社員さんがきっとこれまで何十回も話したであろう若かりし頃の武勇伝を語ってくれたのを今でもよく覚えています。その人たちが好きだったか?と聞かれても、別に好きではなかったし、個人的にお茶をすることなどあり得ない間柄でした。しかしあの日あの座で、高校生同士でだべっているだけでは知り得なかった世界を教えてもらったのは事実です。
その人自身にとって、別に要らないものや、あっても無くてもどうでもいいもの、そんなモノたちにどれだけ関われるかが、気持ちの余裕、心の柔らかさの指標だと思います。
必要なものだけの一直線な人生は、細くて固いが、ぽっきりと折れやすい。そんなことをこのコロナ下で感じている人も多いのではないでしょうか。
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