朝ドラの『エール』を「明日がいよいよ最終回かあ」と思いながら見ていたのですが、小山田先生からの手紙あたりで「今日が最終回でいいんじゃないかなあ」となり、ラストの砂浜のシーンで「いや、これで終わりじゃないのなら、どうやって終わらすの!?」と勝手に心配しちゃいました。物語としては今日が最終回だったんですね。パチパチ!
いやはや知らなかったので不意打ちでした(^^;)
今は病に伏せる糟糠の妻(音)の身体を抱えながら起き上がらせる、裕一。
音と共に床に立ち、おぼつかない足取りで歩みを進めると、やがて、体が軽くなり、出会った頃の二人に戻って、砂浜を裸足で駆け巡る、、、、
、、、、、これって、私にとってのご臨終イメージです(^^;)
スーザン・バーレイの『わすれられないおくりもの』という絵本があります。私もお通夜の席などでよく紹介させていただいている不朽の名作です。
なぜ「わすれない」ではなく「わすれられない」なのか、「おくりもの」とは何だったのか、など、この絵本にまつわる話は尽きません。
話の序盤で、年老いたアナグマが、ふしぎな、でも、すばらしい夢を見ます。今まで杖を突いてようやく歩いていたのに、気が付くと走っています。その足取りは力強く、もう杖などいりません。
どこまでも続く長いトンネルを行けば行くほど、どんどん速く走れます。まるで身体がなくなってしまったかのように。やがて自分はすっかり自由になったと感じます、、、、
(続きは実際に絵本を読んでください)
肉体や執着(しゅうぢゃく)を離れ、どこまでもどこまでも自由な境地ってこういうことかなあと思います。阿字観を極めると、こんな心地になるのでしょう。
私もまれに空を飛ぶ夢を見るのですが、自分の身体が重くて重くて仕方なくて、なんとかして軽くしたいと思い、、、、、目が覚めます。
※高く飛ぼうとして飛べない夢は現実逃避らしいです。ああ、逃れたい、、、(^^;)
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