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PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



昨日は、流山市観光協会有志の会がありました。パチパチ!
50周年記念誌とか、流鉄BEER電車とか、とりあえずお疲れ様~ということでした。
せっかくおおたかの森にホテルもできたんだし、円東寺もマイクロツーリズムの波に乗るんだ~えいえいおー。


さて、流山のご当地ソングの話題になりましたが、あらためて集めてみるといろいろあるんですねー。


↓たすけさん編集の動画
流山市ご当地ソングメドレー2020年版



どの歌も絶妙なユルさが何とも言えない。都会でも田舎でもなく、、、、もとい、都会であり、田舎でもある!さすが流山(^^;)
とりあえず盆踊りに向けて、『カモンベイビィ 音頭』の踊りを考えないと~
カモンベイビィ 音頭/松下貴之慎

♪踊りましょ輪になって 心ときめくこの街で
空に向かって花開く 明日に向かって花開く
赤青紫 綺麗だね! 緑豊かなこの街は
松戸じゃない 柏でもない I love I love 流山
自然いっぱい 夢いっぱい 都会のオアシス流山~

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まだまだ続く、弘法大師の足跡を辿る旅。もう少々(実はだいぶ^^;)お付き合いを願います。
続いては、海龍王寺篇です。パチパチ!


海龍王寺(かいりゅうおうじ・真言律宗)奈良県奈良市法華寺町

本堂



皇后宮の北東隅にあったため古くは隅寺(すみでら)とも呼ばれ、山号の無い珍しい寺院。弘法大師空海上人が入唐前に、般若心経を写したことで知られます。
いわゆる『隅寺心経』は、あくまでも伝・空海筆ではあるのですが、青年大師が東大寺からほど近いここに足繁く通ったことは事実でしょう。遣唐使の渡海安全祈願を行っていたことから、現在も、旅行や留学の安全祈願に来る方が多いのだとか。

このご住職である石川重元師はイケ住(イケてる住職)と呼ばれ、ラジオ番組やSNSなど多方面で伝道活動をされています。イラストレーターの「みうらじゅん」や、モデルで仏像に詳しい「はな」がここのご住職やご本尊十一面観世音菩薩のファンだと多方面で公言していることもあり、多くの若者が参拝に見えるそうです。


金堂


金堂内にある五重小塔

なんだ模型か?と思われるかも知れませんが、元々室内に置かれることを目的として奈良時代に作られたもので、国宝に指定されています。


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今朝の流山市中央公民館からの景色。富士山が見えます。パチパチ!



夕方、『スター坊主めくり』1日担当の遠島さんが、円東寺にやってきてくださいました。フットワーク軽いなー。

ちなみに私は19日担当です(^^)


一日の〆は〇〇食堂(おおたかの森子ども食堂)。私は食べて遊んでいただけですが、、、、

子どもたちはホント元気。帰る頃に雨になりました。いやあ、ころころと変わりやすい天気の日でした。



今日、「中学生の子どもに『うるせー』と言われてイヤになる。一体どうしたら」、という質問を受けました。
とりあえず、「まあ、正論で痛いとこ突いたら、そう来るのは普通っすよ」みたいに答えましたが、、、、


思春期って海に向かってバカヤローって叫んだり、サンドバッグを殴ったり、ギャーギャー騒いで走り回るものです。繋がれていた犬が、公園でリード外されたら走り回るのと一緒で。
その力が外に向かっているうちはいいのですが、やさしい子はベクトルが内側に向き、自分で自分を破壊しようとしたり、自分を否定しようとしかねません。
親に向かってうるせーと言っていた子が、部屋にこもって死にたい、と言うようになったら、間違いなくそっちの方が親はツライですから。
青春パワーのベクトルはうるせー程度に細かく分解させた方がいいです。

まあ、親のエゴとしてはスポーツ軸とか勉強軸に分解させたいですけどね(^^;)

ちなみにクソババァ!と言われたら、「クソやないで…普通のババァやで…」がおススメの返しです(^^)

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『すずめの戸締まり』、観てきました。パチパチ!


かけまくもかしこき日不見(ひみず)の神よ
遠つ御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ
久しく拝領つかまつったこの山河
かしこみかしこみ
謹んでお返し申す


以下、ネタバレあり(反転させて読んでください)












途中までは申し訳ないけど、ダメでした。ちょっと引いた時の表情の描きこみ具合とかが、映画作品とは思えないほど雑で、「マジか~」とがっかりしました。背景があんだけ描きこんであるのに。海外に受注しているせいなのかとも思いますが、声優に有名どころの俳優を使ったりしないで、「アニメ」なんだから画にもっと力を注いで欲しい。
あとBGMも全然あっていると思えなくて、辛かったです。河合奈保子とか国生さゆりとかも自分的にはナゾにしか思えず、神木隆之介のきっとわざと音痴で歌ったであろう『ルージュの伝言』も止めてくれ~!と心底思いました。歌はいい声で聴きたいです。松村北斗の祝詞もだめ。言霊ってこんなもんじゃないでしょう?と思うのですが、、、、(松村北斗、朝ドラの『カムカムエヴリバディ』は良かったけどなー)
とりあえず新海誠監督は自然現象とか日本の神様とか好きなんでしょうねー。『君の名は。』は隕石、『天気の子』は洪水、そして今回は地震ですし、やたらと神や巫女が出てくる。次は日照りか?台風か?


なーんて斜に構えて観ていましたが、いろんな不満はラストの10分で全部、ひっくり返りました。

いやあ、あれは反則です。ちっちゃな女の子が泣いたら、そりゃあ気持ち持っていかれますって~。もう号泣でした。
かつて自分を救ってくれたのは、実は未来の自分だった、というのは良くあるプロットなのですが、すっかり騙されました。そして、イケメンとかわいい子が結ばれるハッピーエンド。やられたなあ。
要石となるダイジンがかわいそうという見方もあるでしょうが、そう感じさせない流れはきちんとできていたと私は思いました。ダイジンはサダイジンと共に自分のつとめを果たしているだけで、かわいそうというのは違うかなと。


ラストの「行ってきます」のセリフも良かったなあ。行ってきますに当たる言葉って英語では無いっていいますよね。日本人ならではなのかなー。
いろいろあっても我々は生きていくしかない。前を向くしかない。行ってきますって、そんな意志がこめられた言葉でもあると思いました。




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弘法大師の足跡を辿る旅の続きです。パチパチ!
お次は、奈良といえば!の東大寺(とうだいじ・華厳宗)奈良県奈良市雑司町へ。



でかいぜ国宝の南大門。




でかいぜ仁王様(金剛力士)。もちろんこちらも国宝。




でかいぜ国宝の大仏殿。これでも再建されたときにだいぶ小さくなっているってえんだから(^^;)




でかいぜ八角燈籠。火災を免れ続けた創建当時のもの。もちろんこちらも国宝。





もうですね、ぜんぶでかくてぜんぶコクホーなの。そりゃあ、外人さんも修学旅行生も来るよなー。




そして、ついに奈良の大仏様(毘盧遮那仏)の前へ。




台座の蓮弁に線彫りされた蓮華蔵世界。




ちょうちょもでかいぜ。




脇侍の如意輪観音様もでかいぜ。




実は我々が目指したのは大仏殿ではなく、戒壇院戒壇堂。弘法大師空海上人は、遣唐使で唐に渡る前に、東大寺戒壇院で具足戒を受けて正式に出家なさっています。
ところが、、、、、、戒壇堂は保存修理及び耐震化工事の為、令和2年7月1日より約3年間拝観受付を一時停止って(T_T)



弘法大師は帰国後の弘仁元年(810)、高雄山寺に身を置きながら東大寺別当になっています。
ここで興味深い、当時の逸話があります。
「その頃の東大寺に大きな蜂が出て、僧を刺し殺すなどした為、それを恐れた僧たちは寺を離れ、参拝者の足も遠のいて、大いに困っていた。ところが、空海が東大寺別当になると、たちまち蜂は退散し、寺を捨てた僧たちも戻り、東大寺はもとの隆盛を取り戻した」というものです。これはおそらく、最澄ひきいる天台勢力に刺され(押され)、青色吐息だった奈良仏教が、朝廷に頼み入り、時代の寵児である空海上人を取り込むことで起死回生を図り、復興に成功したことを表しているのではないか、、、、と。


現在東大寺は華厳宗ですが、朝のお勤めで密教の理趣経がとなえられているのは、弘法大師が東大寺に残した影響とも言われています。






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松戸のTen→Sen『高森圭子 水彩画展 〜ふるさとの風景〜』を観に行ってきました。パチパチ!


階段をのぼるとギャラリーから姦しい声が聞こえてきて、
「ん?混んでいるな、、、、」
と思ったら、、、、、知り合いだらけ(^^;)



高森さんは、元はといえば子どもの幼稚園繋がりなのですが、かつて円東寺で月一開催していた『森のベジカフェ』のシェフで、『市の谷の市』で毎年演奏をお願いしているリコーダーアンサンブル『チャッティママ』の代表です。
NPO法人かぜのこようちえんHP


「私のやりたいことって、音楽でも料理でも無かったみたいなのよ~」


まあ、10年後は「絵でも無かった」、と言っているかも知れませんが(^^;)
泳いでいないと死ぬというのは、きっと本当でしょう。
何にせよ、凄いバイタリティそして何より、才能です。水彩画では特に水面の表現が素晴らしい、、、、

Instagramはコチラ


『高森圭子 水彩画展 〜ふるさとの風景〜』は2022.11.12土〜16水 12:00〜19:00 最終日のみ17:00まで
です~

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おおたかの森小の2年生たちが「まちたんけん」にやってきました。パチパチ!
毎年、お坊さんの仕事について聞かれるんですが、実は私もよく分からないのです。


「たぶん、亡くなった方のためにお経をとなえることが、みんなの思っている仕事なんだろうねー」


そこでお布施を預かる訳ですが、お布施とは読経への対価ではないので、その説明も難しい、、、、、
会社員の人は会社で働いてお給料をもらう。お医者さんは、病気の人や怪我の人を診て、お金をもらうよね?消防士の人は火事を消す。だけど、火事が無くてもお給料をもらうから、消火だけが消防士のお仕事ではないよね?
八百屋さんがお店の前を掃除するのはお仕事?プロ野球選手がシーズンオフにトレーニングするのはお仕事?


、、、、そんな話をすればするほど、仕事ってなんなんだ?という迷宮に入り込んでしまうのです。

大人に対してなら
「住職(代表役員)というのは宗教法人の役職だから職業だけど、僧侶(お坊さん)というのは、仏教徒という【生き方】だから、すべてが仕事なんです」
と言えるのだけど、小学2年生だからなあ。
法要ひとつとっても、供養と祈願の違いから説明しないといけないし、、、、なかなか鍛えられます。


それにしても先生は大変だ。事前に挨拶にいらしたり、今日も放課後に、御礼のお電話いただきました。※まち探検の会社やお店は合わせて30ヶ所あります
そして、「子どもたちに手紙を書いてもらうので、再来週にあらためて届けに伺います」とおっしゃるので「手紙?いやあ、わざわざいいッスよ~」、、、、、と言いかけてやめました。
手紙を書かせるのもカリキュラムのうち。届けるのも先生のお仕事なのでしょうから。




写真~
おおたかの森庭苑のツワブキの黄色がまぶしいっ。





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お次は明日香の川原寺跡へ。パチパチ!
弘福寺【川原寺跡】(ぐふくじ【かわはらでらあと】・真言宗豊山派)奈良県高市郡明日香村川原

遠くに見えるのは橘寺。


川原寺は飛鳥寺(法興寺)・薬師寺・大官大寺(大安寺)と並び「飛鳥の四大寺」と呼ばれていました。9世紀に入って朝廷から川原寺を賜った大師は、京都と高野山を往復した際の宿舎に利用したとされます。
とにかく巨大な寺院跡なので、「大師がお休みになられたのはここらへんかなー」と歩きながら想像します。



その後、建久2年(1191年)に焼失。鎌倉時代に復興されるも室町時代に落雷で焼失。その後、復興されることなく今に至ります。
現在は江戸時代に金堂跡に建てられた弘福寺がその法灯を守っています。



タクシーの運転手さん情報では、かつて境内で歯科医院を開業していた(?)という女性住職が、丁寧に案内してくれました。

写経道場からの景色。向かいに見えるのが天香具山という素晴らしいロケーション。

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今日のご紹介は秦楽寺です。パチパチ!

秦楽寺(真言律宗 奈良県磯城郡田原本町秦庄)

じんらくじ、と読みます。律宗らしい、無駄を省いた伽藍と境内です。ここは、お大師さまの出家宣言書である『三教指帰』(さんごうしいき)が執筆されたという伝説のある寺です。
『三教指帰』は元のタイトルを『聾瞽指帰』(ろうこしいき)と言って、大師直筆のものが高野山金剛峯寺に現存します(もちろん国宝)。
この書は、日本最古の戯曲であり、日本最古の思想比較書とも言われています。
都の大学をドロップアウトした24歳の空海青年は、主人公の言葉を借りて「(父ちゃん、母ちゃん、ごめん!)エリート役人になって故郷の期待に応えるのは小さな親孝行だ。それより、僧侶になってすべての人々を救うことこそが大きな親孝行であるのだ!」と高らかに宣言します。



境内の阿字池。夜更けまで執筆に明け暮れた際に、境内の阿字池でやかましく鳴くカエルたちを青年大師が叱ったところ、以来、カエルが鳴かなくなったとの逸話が伝わっています。
確かにカエルは見当たりませんでした。しかしその分、やたらと蚊が多く、拝観料は取られなかったのですが、血はだいぶ取られました、、、、

なお、およそ人気は無く、地元タクシー運転手2人とも初めて名前を聞いたとのことでした(^^;)

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先月、弘法大師空海上人にゆかりある奈良と京都のお寺へ調査参拝に行きました。
忘れないうちに、少し報告いたします。パチパチ!

久米寺(真言宗御室派 奈良県橿原市久米町)

近鉄の橿原神宮前駅から歩いてすぐ。ここは、青年大師が当時あった東塔で、『大日経※』を感得されたという寺です。
大安寺の勤操大徳から「久米寺にあるよん」と教えてもらったとか、夢のお告げで知ったとか諸説ありますが、なんにせよ空海上人はここで『大日経』に出合うのです。


東塔の礎石。

かなりの大きな塔だったことが分かります。
さて、大日経に出合い、「密教やべえ、、、。やがて必ず密教の時代が来るじぇ」と直感された青年空海上人ですが、細かなところで分からない部分も多い。こりゃあ、本場に勉強に行かないとダメだなと思い、唐の国へ旅立つ決心をする、、、、
というドラマのあった場所です。


こちらは現在の多宝塔。



※正しくは『大毘盧遮那成仏神変加持経(だいびるしゃなじょうぶつじんぺんかじきょう)』
724年に漢訳されたが、サンスクリット原本は未だ発見されていない。チベットのポタラ宮にあるのではないかと目されているが、チベットは現在、某国から支配統治されたり、人権侵害されたりで、残念ながら調査できないのが現状。

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