明治維新の政府が、例外を除き城や居館の遺跡を破壊し、礎石なども取り去りました。このため、発掘によって発見されるものは少ないようです。ただ、ツワモノどもの夢の跡は残り、遠く関ヶ原の戦場の向こうの伊吹山もその時代と同じようにこちらを向いてそびえています。
豪華な館は関ケ原合戦の直前に徳川方に攻められ燃やされてしまいました。その後小牧山と同様、岐阜城も尾張藩の管理するところとなり立ち入り禁止となりました。家康が織田の痕跡を消すため破壊されたとの説もあるとのことです。
織田信長公が4年間住んだ小牧山城から岐阜に拠点を移したのは西暦1567年。絢爛豪華な居館をこの岐阜城千畳敷遺跡に建て、8年間ここに住みました。1569年、訪れたポルトガルの宣教師のルイス・フロイスがその豪華さを日記に詳しく記し、残されています。
せっかくですので岐阜公園内を散策しました。一番に目を引くのが、大正天皇即位御大典記念事業として建てられた三重塔です。築100年に近い2014年から2年半かけて改修工事がなされ、今は朱色も鮮やかな姿を見せています。