教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

水滸伝のち学問史

2005年12月12日 20時43分14秒 | 教育研究メモ
 広島大学邦楽部の定期演奏会(学部時代入ってたサークル)、昨日だった!
 白黒コピーのポスターで、気づかなかった…
 今日気づいたよ…すまぬ、後輩たち…

 今日は昼過ぎ起床です。というのも、久しぶりについ徹夜(朝7時まで)でゲームをしてしまいましたm(_ _)m。やってたのは、発売は何年前だったか忘れましたが、コーエー(旧光栄)の『水滸伝-天導108星』です。なんでこんなことをやってしまったのかというと、最近『水滸伝』の小説にハマってまして… その追体験がしたくて、数年前のゲームを持ち出して徹夜までしてしまいました…(苦笑) もう十分満足したので、もうやりませんがね。
 私がはまっているのは、森下翠『絵巻水滸伝』(株式会社キノトロープ所有)というネット上で連載しているデジタルノベルなんですが、正子公也さんの挿絵が、人間の息吹、筋肉の動き、力強い魂というようなものまで感じさせるすばらしい絵なのです。『水滸伝』という物語は、、『三国志演義』『紅楼夢』とならぶ名著で、12世紀の中国宋時代を舞台にし、108人の英雄豪傑の活躍を中心に描かれた中国古典文学です。まあ、この108人は「教育上よくないこと」(笑)もたくさんしていますし、基本的に「荒々しい」(笑)話なので、好き嫌いはわかれるとは思いますが、『三国志演義』に魅せられたことのある人には、絶対おすすめです。
 http://www.suikoden.com/index.html

 とまあそういうわけで徹夜をしたのですが、意外とすんなり起床できました。登校して、いつものとおり、論文を読みました。今日は、中山茂『歴史としての学問』(中央公論社、1974年)です。学問の制度化に関する先行研究です。全部はさすがに一日では読めませんので、今日は「まえがき」と第一章「記録的学問と論争的学問」を読みました。
 「まえがき」では、学説形成と研究体制の関係に注目して社会史と学説・思想史をつなぐ研究を行い、かつ東洋・西洋の学問史を比較することによってア・プリオリ(先天的性質)な学問史を相対化し、動的で柔軟な「学問的伝統(Academic Tradition)」の姿を明らかにする、という課題設定が語られています。「学問的伝統」というのは、中山氏によると、「文字を誌す者と読む者の間のコミュニケーション(伝達)」と定義され、これを解明するのが科学史学の役割だということです。
 「記録的学問と論争的学問」では、西洋古典学と自然哲学・科学のような学問的伝統の定着について考察するための伏線として、バビロニアと古代中国、古典ギリシアと中国戦国時代の比較によって、記録(記録的学問)と口頭(論争的学問)による学問的伝統の性質の違いを明らかにしています。記録的学問とは、一言でいえば、記録資料の積み重ねによって経験的な法則を見いだそうという学問です。論争的学問とは、論敵との議論の積み重ねによって一般的・普遍的な法則を見いだそうという学問です。中山氏は、この二種の学問のうちどちらが優れているかではなくて、学問の歴史の中で、それぞれがどのように機能してきたかを吟味するために、比較したのだとしています。
 感想として、非常に興味深かったです。二論文をまとめた後、いろいろアイディアがわいてきたので、今日は結局予定の3分の1程度しかできませんでした。まあ、登校が遅かったのでそうでなくても3分の2程度しかできなかったとは思いますけどね。
 博士論文の構想がふくらんできて、自分一人で盛り上がってます(笑)。
コメント
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