今日は特研(ゼミ)。昨日のできかけの論文を諮ってみました。大いに興味を持ってもらえたのですが、「教育学理論」をテーマとするつもりなのか、「教育学の研究体制」をテーマとするつもりなのか、という問いかけが先輩からありました。
今日のできそこないの論文は、かなり理論解説に偏っており、しかも理論分析としては研究方法からして中途半端なものになっていました。そもそも、私の研究は教育会を研究対象としているところが第一の独自性であって、これを活かしていかないとこれまでの研究の意味がなくなってしまいます。今日の論文も研究体制として教育会を想定していましたが、西村貞の理論紹介に集中していて、全体的に見ればやはり教育理論の研究にしか見えません。これではおそらく評価もまずくなるだろうし、研究の全体的な戦略からしても問題ありなので、方向性を変更することにしました。変更といっても、大分はすでに文章化したこともある方向性なので、どちらかといえば元に戻ったというべきかもしれません。もともと西村を取り上げた理由は、大日本教育会やその前身団体の東京教育学会における彼の活動を、明治日本の教育学史上において意義付けたかったからでした。やはり「教育学の研究体制」をテーマにします。もう二週間しかないけど、やれるだけやってみよう!
特研後、最低限やるべき作業(読むべき史料の整理)と、おおまかな論文の要旨を書きました。とりあえず、今日は目イボができて目が痛いので、そろそろ帰ろうと思います。健康上、運動もしておきたいし。
この後、東広島市体育館へいって運動。
今日のできそこないの論文は、かなり理論解説に偏っており、しかも理論分析としては研究方法からして中途半端なものになっていました。そもそも、私の研究は教育会を研究対象としているところが第一の独自性であって、これを活かしていかないとこれまでの研究の意味がなくなってしまいます。今日の論文も研究体制として教育会を想定していましたが、西村貞の理論紹介に集中していて、全体的に見ればやはり教育理論の研究にしか見えません。これではおそらく評価もまずくなるだろうし、研究の全体的な戦略からしても問題ありなので、方向性を変更することにしました。変更といっても、大分はすでに文章化したこともある方向性なので、どちらかといえば元に戻ったというべきかもしれません。もともと西村を取り上げた理由は、大日本教育会やその前身団体の東京教育学会における彼の活動を、明治日本の教育学史上において意義付けたかったからでした。やはり「教育学の研究体制」をテーマにします。もう二週間しかないけど、やれるだけやってみよう!
特研後、最低限やるべき作業(読むべき史料の整理)と、おおまかな論文の要旨を書きました。とりあえず、今日は目イボができて目が痛いので、そろそろ帰ろうと思います。健康上、運動もしておきたいし。
この後、東広島市体育館へいって運動。