今日はものすごく眠く、少しゆっくり起きました。10時少しすぎ、宿を出発。雨は降りそうだけど降っていない。
資料調査一日目の始まり。今日は、千代田区図書館→都立中央図書館の順にまわり、時間があればその他寄ってみる予定。ただ、千代田区図書館最寄りの駅・地下鉄をチェックし忘れる(苦笑)。何度も行ったことのある神田古書街や日本教育会館の近くなので、適当に近づくように地下鉄を乗り継ぐ。ちょっと無駄に歩かなくてはならないところに出たため失敗したけども、なんとかたどり着く経路を確保。
今日の目的地での資料調査はそれほど時間は必要ないので、先に寄りたいところへ。寄りたいところとは、千代田区立富士見小学校。この小学校は、大日本教育会・帝国教育会の評議系役員・実務系役員を長年務めていた、小学校校長の山崎彦八の勤務校なのです。なにやらかなり実績のある小学校だったようなので、一度どんなもんかこの目で見てみたかったので行ってきました。建物はおそらく戦後立て直されたもので、今度移転するらしい。参考になりそうなものは外からでは見あたらなかったし、校地も先に移転しているかもしれない(未調査)ので、明治当時のことはちょっとわからないけど、かなり特別な地にある小学校だということはわかる。近くに九段高校・九段中等教育学校など教育機関が集中し、さらに靖国神社があり、皇居にも近い。明治の時代のころは富士山が見える地でもあったとか。何気なく歩いていると、蕃書調所跡地の碑まで。
富士見小学校から千代田区図書館へ。実は千代田区図書館は、明治20年設立の大日本教育会書籍館を前身とする図書館なのです。とくにそれらしき資料は見つからなかったので(以前チェックしたこともあるし)、千代田区の教育史・学校史を見て、小学校長の名前や写真をチェック。小学校長の名前をチェックするのは、文部省官僚や文部省管轄の学校教員のように、チェックできるまとまった資料(一覧のようなもの)が限定されているため。明治28年と38年の資料は把握しているんだけど、私がよくやる長期的な分析にはちょっと不便なので。また、写真をチェックしているのは、次のような理由のため。すなわち、教育会は機械のような無機質の組織ではなくて、人間の血のかよった集団・団体だというのが、私の研究姿勢の根本。そのため、運営に関わったり、入会していた人がどんな人なのかということは極力チェックしておきたいのです。まあ、2月以来更新してない「大日本教育会・帝国教育会の群像」にいずれ載せたいというのもあるんですが(笑)。千代田区図書館を出ると、小雨が… 近かったので国立公文書館へ行くが、祝日は休みだった…(笑)。
次は、東京都立中央図書館へ。六本木ヒルズが見てみたかったので、日比谷線の六本木駅から下りて向かう。六本木ヒルズと中国大使館などを横目で見ながら通り過ぎる。大使館に近い道路上には、警官が何人も一人ずつ立っている。何じゃろ、いつもこうなんかな? ともかく、都立中央図書館に到着。この図書館に入って第一印象:国会図書館にそっくり… 図書は開架だけど、入館時に番号札を渡され、複写などの際には番号札が電子掲示板に表示される。そのためか、他の県立図書館や区立図書館とはちょっと雰囲気違うなあ、と感じる。5Fへ。まず特別資料室へ行って、井上(哲次郎)文庫・市村(サン次郎)文庫・実藤(けいしゅう)文庫の目録に目を通す。選択の基準は、次の通り。井上と市村は、大日本教育会・帝国教育会の機関誌に目を通してしばしば見かけたから、市村と実藤は、東洋教育史専攻の先輩たちがよく口にしていたのでどんな文庫なんだろうと思ったから。私のテーマでそのまま使えそうな資料はありませんでしたが、この三人は東洋のことにものすごく造詣の深い学者だったんだな、ということが実感できました。最後に、郷土資料室へ行って区教育史のチェック。複写のシステムが面倒だったので、目を通すだけにする。本としてまとまっているのは、機会を見つけて買おうかな…
16時半ごろ、本日の日程終了。歩きずくめで疲れたので、都立図書館の隣にある(というより図書館が中にある?)、有栖川宮記念公園で一休み。この公園は、大日本教育会・帝国教育会の推戴員(パトロン)であった、威仁(たけひと)親王を記念して作られた公園らしい。威仁親王の父、熾仁親王(大日本教育会総裁も務めた)の像もあったみたいですが、疲れ果てていたので断念。写真では見たことあるし… 有栖川宮家といえば、最近妙なことになっておりますが(…)、維新期・明治期ともにいろんなことに関わった大事な宮家なんですよ。ちなみに写真は、この公園にある池にたくさんいた鴨。かわいくて、おいしそうだった…(オイ!)
帰りは、疲れ果ててチェックを怠り、地下鉄の駅を見落とし、少し迷う(笑)。18時ころ帰宅。一日目、直接研究に使えそうな資料は見つかりませんでしたが、歴史観を養えた、なかなか充実した一日でした。
資料調査一日目の始まり。今日は、千代田区図書館→都立中央図書館の順にまわり、時間があればその他寄ってみる予定。ただ、千代田区図書館最寄りの駅・地下鉄をチェックし忘れる(苦笑)。何度も行ったことのある神田古書街や日本教育会館の近くなので、適当に近づくように地下鉄を乗り継ぐ。ちょっと無駄に歩かなくてはならないところに出たため失敗したけども、なんとかたどり着く経路を確保。
今日の目的地での資料調査はそれほど時間は必要ないので、先に寄りたいところへ。寄りたいところとは、千代田区立富士見小学校。この小学校は、大日本教育会・帝国教育会の評議系役員・実務系役員を長年務めていた、小学校校長の山崎彦八の勤務校なのです。なにやらかなり実績のある小学校だったようなので、一度どんなもんかこの目で見てみたかったので行ってきました。建物はおそらく戦後立て直されたもので、今度移転するらしい。参考になりそうなものは外からでは見あたらなかったし、校地も先に移転しているかもしれない(未調査)ので、明治当時のことはちょっとわからないけど、かなり特別な地にある小学校だということはわかる。近くに九段高校・九段中等教育学校など教育機関が集中し、さらに靖国神社があり、皇居にも近い。明治の時代のころは富士山が見える地でもあったとか。何気なく歩いていると、蕃書調所跡地の碑まで。
富士見小学校から千代田区図書館へ。実は千代田区図書館は、明治20年設立の大日本教育会書籍館を前身とする図書館なのです。とくにそれらしき資料は見つからなかったので(以前チェックしたこともあるし)、千代田区の教育史・学校史を見て、小学校長の名前や写真をチェック。小学校長の名前をチェックするのは、文部省官僚や文部省管轄の学校教員のように、チェックできるまとまった資料(一覧のようなもの)が限定されているため。明治28年と38年の資料は把握しているんだけど、私がよくやる長期的な分析にはちょっと不便なので。また、写真をチェックしているのは、次のような理由のため。すなわち、教育会は機械のような無機質の組織ではなくて、人間の血のかよった集団・団体だというのが、私の研究姿勢の根本。そのため、運営に関わったり、入会していた人がどんな人なのかということは極力チェックしておきたいのです。まあ、2月以来更新してない「大日本教育会・帝国教育会の群像」にいずれ載せたいというのもあるんですが(笑)。千代田区図書館を出ると、小雨が… 近かったので国立公文書館へ行くが、祝日は休みだった…(笑)。
次は、東京都立中央図書館へ。六本木ヒルズが見てみたかったので、日比谷線の六本木駅から下りて向かう。六本木ヒルズと中国大使館などを横目で見ながら通り過ぎる。大使館に近い道路上には、警官が何人も一人ずつ立っている。何じゃろ、いつもこうなんかな? ともかく、都立中央図書館に到着。この図書館に入って第一印象:国会図書館にそっくり… 図書は開架だけど、入館時に番号札を渡され、複写などの際には番号札が電子掲示板に表示される。そのためか、他の県立図書館や区立図書館とはちょっと雰囲気違うなあ、と感じる。5Fへ。まず特別資料室へ行って、井上(哲次郎)文庫・市村(サン次郎)文庫・実藤(けいしゅう)文庫の目録に目を通す。選択の基準は、次の通り。井上と市村は、大日本教育会・帝国教育会の機関誌に目を通してしばしば見かけたから、市村と実藤は、東洋教育史専攻の先輩たちがよく口にしていたのでどんな文庫なんだろうと思ったから。私のテーマでそのまま使えそうな資料はありませんでしたが、この三人は東洋のことにものすごく造詣の深い学者だったんだな、ということが実感できました。最後に、郷土資料室へ行って区教育史のチェック。複写のシステムが面倒だったので、目を通すだけにする。本としてまとまっているのは、機会を見つけて買おうかな…
16時半ごろ、本日の日程終了。歩きずくめで疲れたので、都立図書館の隣にある(というより図書館が中にある?)、有栖川宮記念公園で一休み。この公園は、大日本教育会・帝国教育会の推戴員(パトロン)であった、威仁(たけひと)親王を記念して作られた公園らしい。威仁親王の父、熾仁親王(大日本教育会総裁も務めた)の像もあったみたいですが、疲れ果てていたので断念。写真では見たことあるし… 有栖川宮家といえば、最近妙なことになっておりますが(…)、維新期・明治期ともにいろんなことに関わった大事な宮家なんですよ。ちなみに写真は、この公園にある池にたくさんいた鴨。かわいくて、おいしそうだった…(オイ!)
帰りは、疲れ果ててチェックを怠り、地下鉄の駅を見落とし、少し迷う(笑)。18時ころ帰宅。一日目、直接研究に使えそうな資料は見つかりませんでしたが、歴史観を養えた、なかなか充実した一日でした。