教育史研究と邦楽作曲の生活

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海原徹の明治教員史研究―日本教員史研究の実証性の向上を目指して

2008年04月10日 22時41分52秒 | 教育研究メモ
 今回は、海原徹『明治教員史の研究』(ミネルヴァ書房、1973年)をまとめようと思います。
 海原著は、教員史研究が理想的教員像の探求とつながることを前提として、明治期の教員の傾向を検討しようとしたものです。その時代区分は、学制期・自由民権期・教育令期・学校令期・国立教育運動期・日清戦中戦後期・日露戦中戦後期にわけられ、それほど目新しいものではありませんでした。ただ、各章ともに、各時期に関する日本教員史の通説を疑い、同時代の感覚を再現しようと努めながら、歴史的事実をなるべく多面的に検討する、という研究姿勢に貫かれており、独特の雰囲気を作り出しています。
 海原著は、まず、教員の政府権力の末端としての機能と低い社会的地位の叙述を基調とする教員史像について、学制期や自由民権期の教員を適切に説明できる歴史像ではないとしています。政府権力の末端機能については、教員の自主的活動や反政府的活動をどう捉えるかで評価がかわってくると思われますが、海原氏の場合は学制期の教員の社会的地位の高さや自由民権思想のひろがりなどを強調して、当時の教員に「自由闊達」さを見出そうとしています。また、教育令期においても、教員に対する統制政策が政府で強く打ち出される一方で、地方府県では必ずしも円滑に浸透しなかったとし、教員に対する国家統制が中央から地方へ一直線に実施されたわけではないことも指摘しています。社会的地位については、同時代における教職のよりどころ、俸給の多少をはかる規準としての米価の位置づけ、報酬のあり方などを丁寧に検討し、当時の教員は貧困にあえいでいたというイメージは間違いであることを明らかにしました。つまり、全時期を一貫した教員像として認識するのではなく、各時期の教員像をその時期に限定されたものとする認識がなされていると思われます。
 学校令期については、森有礼の師範学校令や三気質(順良・親愛・威重)をもって師範タイプや軍隊式師範教育の確立とする通説に疑問を呈し、史実の再検討を行っています。とくに師範タイプは、「師範タイプ流」の教員の性質を現在にも世界的にも平均的に見られるものと位置づけ、理想の教員像と現実の有り様の乖離に見いだされるものだとして、森式の師範教育のみの結果ではないとしています。師範タイプは、師範学校制度を大きな理由として造出されたかもしれないが、明治40年代に、教職の専門化と教員の転職などが同時進行したことにも理由がある、としています。ここでは、明治19年の師範学校令と明治40年代頃に顕著になった師範タイプとを直結して考えることを戒めていると見られます。
 明治20年代の国立教育運動については、運動の主体変遷(国家教育社→国立教育期成同盟会→学政研究会(学制研究会))と主導権の変遷(教育家→政治家)を丹念に追っています。日清戦中・戦後期および日露戦中・戦後期については、戦時教育に対する教員の積極性、教員の待遇改善の不十分さ、聖職的教員像における金銭的報酬の位置づけの変化について検討しています。聖職的教員像とは、金銭的報酬や名利名欲を問題とせず、精神的報酬の多寡を問題とし、個人的にも社会的にもリーダーとして深い尊敬を払うことを社会一般に求めるものであり、国立教育運動のなかで教育費国庫補助(その多くは教員人件費)の論拠として機能しました。このような聖職-天職的教師観は、日清戦後の物価高騰のなかで、精神的報酬に加えて金銭的報酬を必要とするものに変化していったとしています。ここでは、戦前の聖職的教員像について、戦前を通して最初から最後まで同じ意味を持ったわけではないことを指摘しているように思われます。
 海原著は、日本教員史の通説を資料に戻って再検討しました。例えば、学制期の教員像や師範タイプの形成要因について、同時代の感覚をなるべく再現しようと試み、時代毎に限定されたものとして慎重に評価しようとしたところにオリジナリティがあったように感じます。なお、1960年代以降の教員論において注目された「教職の専門職性」についての関心を各所で見出すことも可能です。ただ、著書全体を貫く姿勢としては、教職の専門職性の源流を追求しているというより、同時代的感覚からできるだけ多面的に教員の歴史的事実を実証しようとする姿勢の方が一貫していると思われます。その点から見ると、海原著は、日本教員史研究の実証性を高めようとした試みとして、位置づけられるのではないかと思います。
 海原著の冒頭では、明治維新に関する深い認識が示されています。さすが『明治維新と教育』(ミネルヴァ書房、1972年)の著者だなと感じました。本論においても、本論と日本史研究の最新成果とを積極的に関連づけようという姿勢も見られます。それだけに、冒頭の日本史認識が著書全体に反映されていないように見えるのは、とても残念でした。「半開」国から「文明」国へという明治維新の構想が著書冒頭では示されています。この維新の構想が、教員にどのような役割を与え、明治期を通してどのように実現されていったのか。私の読解力のなさ故かも知れませんが、気になるままに最終頁を迎えてしまいました。
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