本日は、近著の紹介。
本年6月、白石崇人「明治後期の保育者論―東京女子高等師範学校附属幼稚園の理論的系譜を事例として」(『鳥取短期大学研究紀要』第61号、2010年、1~10頁)が活字化されました。この論文は、当時の代表的な保育理論家であった中村五六・東基吉・和田実・倉橋惣三の代表的論考と先行研究を用いて、明治20年代半ばから大正2年までの保育者(幼稚園保母)論を整理したものです。論文構成は以下の通り。
はじめに
1.中村五六の保育者論
(1)フレーベル原理に基づく保育理論の追求
(2)改良進歩の主体としての保育者
2.東基吉の保育者論
(1)自主的活動としての遊戯の具体化
(2)保育者の専門的知識・技能と道徳的性格
3.和田実の保育者論
(1)幼児教育法の体系化
(2)「幼児教育法」と「教育的精神」
4.倉橋惣三の保育者論への影響
(1)倉橋惣三の保育思想の概要
(2)保育者の必要条件と十分条件
おわりに
基本的な論旨としては、次の通り。明治後期の保育者論は、保育理論・方法・技術の習得へ着目する形で展開し、保母の専門的職業化への志向を強く見ることができます。大正期以降、倉橋が人格的側面を強調する「ほんとうの保母」像を提示していきましたが、そのように論じることは、明治後期に専門的職業化を志向する保育者論が蓄積されたからこそ、可能だったのではないかと考えています。また、明治後期の保育者論には、当時の小学校教員論の影響を想起させる点がありました。明治後期のフレーベル研究と幼稚園研究および実践との進展にともない、次第に「保育者論」としての独自の論理体系をもつようになったのではないか、という仮説も提示してみました。
拙稿は、保母の専門的職業化を志向する明治後期の保育者論を基盤として、大正期以降の保育者論の展開があったことを示したものです。幼稚園保母の専門的職業化が目指されていた明治後期の保育者論は、保育者の専門性への注目が進む現在、意外に参考になることは多いのではないでしょうか。明治後期およびそれの系譜に連なる倉橋の保育者論を見ると、現在でも保育者に必要な資質を示しているように思われます。内容上は時代の制約がありますので注意が必要ですが、本質的にはやはり保育者としては重要なものです。実は、それらの資質がなぜ必要なのかという理由の方が私としては面白かったので、気になる方は論文を読んでほしいのですが、少し挙げますと以下の通りです。
たとえば、中村五六の保育者論には、以下のような保育者の資質が挙げられています。
① 保育者業務に耐えうる心身の健康
(幼稚園教育は困難な仕事であり、心身虚弱では本人が苦痛を感じるため)
② 幼児の感化モデルとしての道徳的態度
(幼児は極めて感化されやすいため)
③ 幼児に対する愛情と保育者業務に対する熱心
(進んで事をなさなくては教育効果はあげられないため)
④ 普通学・教育学・幼稚園教育理論に関する学識とそれらを改良しようとする意欲・態度
(幼稚園事業は時世にしたがって改進すべきものであるため)
⑤ 実際的な保育方法の熟練
(幼稚園教育は実行する方法を欠いてはならないため)
⑥ 現代社会への理解に基づいて、保護者とコミュニケーションする能力
(幼稚園と家庭との育児方針を一致させ相互に協力しあう必要があるため)
中村は、これらを養成完了時に身につけられるとは思っておらず、就職後に引き続いて、研修・研究によって身につけるべきものとして考えていました。こういう考え方も、ある意味「現代的」な考え方でしょう。
そのほかに 上述以外の東・和田・倉橋の保育者論も非常に興味深い内容になっています。東の論には、保育者は科学・文学などの知識に読書によって通じるべきであり、それは科学・文学などを子どもっぽく表現して子どもの問いに答えるために必要なのだというのもありました(子どもは問いたがるから)。
明治の保育者論もなかなか捨てがたいな、と思われた方は、ぜひ拙稿を手に入れてみてください(手に入れ方は、最寄りの図書館に相談してみてください)。