一昨日・昨日の記事は、若干異質な論が同一記事内にあるように感じたので、分割・統合しました(統合時に少し修正)。
保育者養成において、小学校以上の教員養成ではあまり強調されないテーマの一つに、「子どものモデルになる」というテーマがあります。保育者養成に携わるようになって、私が一番面食らったのがこのテーマでした。もちろん私も感覚的にはそう思ってはいましたが、そんなに切実には考えていませんでした。しかし、保育者養成校では日常的テーマであり、とくに実習先で強烈に求められます。責任の重い実習担当・理論系科目担当として養成現場にいる者として、私も切実に考えざるを得ない状況になりました。
このテーマは、戦後教育学の先行研究を調べれば調べるほど、十分に説明されていないと感じています。教師は子どものモデルである、ということは一般的に言われ、確かにそういう事実は存在します。そして、合理的な否定をすることもおそらく困難でしょう。しかし、戦後の教育学ではあまり研究されず、教員養成でも合理的には教えられてきませんでした。
その理由はいろいろあるでしょうが、大きくは3つあるだろうと思います。第1には、教育学や教育現場が戦前の聖職的教師像を避けるあまり、人格主義的な教師像全般を適切に位置づけることを避けてきたからだろうと思います。
第2には、戦後ずっと教育学の主流を占めてきた、教育科学の影響が強いのではないかと思います。戦後の教育学は、大学内部における地位向上のため、自ら科学であろうと努力してきました。「子どものモデル」というテーマを考えようとすると、人格主義的・精神論的・非合理的な論考になりやすく、また因果関係が複雑で分析しにくく、数量化するのはおそらく不可能です。そのため、教育学で真っ向から取り上げるのは、避けられ続けてきたのではないではないでしょうか。
第3に、「子どものモデル」であるという事実がもっている重さ、教師の実感からくるあきらめです。明治末期から大正期頃、「自分は子どものモデルになり得ない」と自己批判して苦しむ教師や教職を離れる者が現れるとともに、子どものモデルとはいえない教員の現実から、その欺瞞性・偽善性に苦しむ教師が現れました。そういった人々が新教育にのめり込んでいきます(浅井幸子『教師の語りと新教育―「児童の村の1920年代』東京大学出版会、2008年)。昭和戦前期には抽象的概念や超国家主義的思考によって少し状況が変わった(ごまかす?)ようですが、実態的には「教師が子どものモデルになることは理想だが、実際には無理がある」という思考様式は続いたのだろうと思います。この教師の実感からくる「あきらめ」の思考様式は、戦後教育界にも引き継がれたのではないでしょうか。
「子どものモデルになること」は、保育者養成の現場で強く求められています。近年の教育政策や教育委員会が掲げる「求められる教師像」には、人格を重視する項目が目立ちます。実際の社会においても、保護者の人格的未発達、家庭・地域の教育力不足、代表的モデルとしての英雄・偉人の不在など、身近なモデルが不足しています。これまで養成現場で避けてきてもそれほど問題にならなかったのは、学生の一般的資質がある程度確保されていたために「言わなくてもわかるだろう」が通用したからであるとともに、社会が教員の人格的問題を見過ごしてきてくれたからでしょう。しかし、今の養成現場では「学生が変わった」と学生の質が、今の日本社会では教師の人格的問題が、日常的な問題となっています。「子どものモデルになる」というテーマは、教員・保育者養成の要の一つである教育学の責任として、研究すべきテーマなのではないでしょうか。
ということで、何回かに分けて「子どものモデルになることとは?」と題し、記事にしていきます。記事の内容は、最近、時間をひねり出して必死で書いている講義用テキストの内容の一部です。研究というよりレポートみたいなもので、殴り書きのため練られた文章ではありませんが、現職教員・保育者の参考になったり、教員・保育者志望者の自覚を促したりすれば幸いだと思うので、公開します。ついでに、誰か本格的に研究する教育学者が出てこないかな、または私が知らなかった研究情報が入らないかなと期待もしております(笑)。