教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

今までとこれから

2005年04月19日 17時05分28秒 | Weblog
 何もやる気がでないので、先日から手元にある純邦楽曲の整理をしていました。これは機械的にできるので、とりあえず作業が進むのですが… 現在私の手元にあるのは300曲以上あるということがわかりました。大学学部生の時に、邦楽部や知人のつてで手当たり次第に集めたものです。学部生のころは、生活のほとんどが邦楽とTVゲームでした。今になって、あのころ勉強しておけば今こんな苦労はしなかったのになあと、後悔しきり。こういうことは、後になってわかるんですよねぇ。
  
 上に言う「勉強」とは、基礎勉強のこと、教養を身に付ける勉強のこと、幅広い知識・認識を身に付ける勉強のこと。この「勉強」がおろそかであったために、現在の研究がうまくいかない。このようなことは後悔しても今更なので、結局はがんばるしかないのですが。しかし、今の私の現状は、学振や科研費の関係で切迫した研究活動を要求されている。当然、専門的な研究を求められているわけで、基礎勉強にかまっている時間もないのです。学部生の時はうなるほど時間はあった。しかし、教育史研究で生きていこうなんて考えてもなかった。いや、考えてはいたが、現実味がなかった。大学に在籍していたのだから、勉強するのが当然だったのに。まあ、言い訳ではあるけれど、いろいろ家庭的事情や個人的事情があって、精神的余裕がなかったのが一つの原因だったのだが。
 過去を振り返ることは、直接に現実問題を解決するわけではない。しかし、何に根本的原因があるのか確認することはできる。私の場合は、興味のあることが狭い上にそのことしかやってこなかったことが、今の研究活動の行き詰まりを誘引しているのである。そのためにはどうすればよいのか。物事に対して広く興味をもち、実際に調べるという行動に移し、こつこついくしかないのである。
 現在の研究活動の行き詰まりは過去の「勉強」不足が引き起こした問題であるが、そのために私が過去やっていたことは意味を持たないのか。そんなことはない。学部生のころに邦楽に入れ込んだことは、現在の作曲活動に有益に反映しているだろう。学部生のころに頭の中で悩んでばかりであったことは、確かに大量の勉強時間を奪ったが、大きな問題を抱えていた自分自身を見つめ、良い方向に自分をコントロールできるようなる素地を作った。別の角度から分析すれば、過去の行動には現在においても意味があるのである。
 やるしかないんだから、悩んでばかりいても仕方ない。しかし心は動かない。体も動かない。おそらく軽い鬱なんだろう。まあ、外出はできるし、今日は特研にも参加した。深刻ではない。
 前へ進むしかないのは間違いないし、納得している。「前を向く」ということは、現状を脱する条件として最も重要である。「前を向く」ために「過去を振り向く」、今日この頃。
 ああ、理屈っぽいなぁ。
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