教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

大日・帝教広島県会員

2005年04月21日 21時43分34秒 | Weblog
 今日は、5月22日に福島大学で開催される全国地方教育史学会で発表する予定の、調査を進めていました。この研究は、全国的教育団体であった、大日本教育会および帝国教育会における地方会員の履歴を調べるもので、どのような人が両会に入会していたのだろうか、ということを明らかにするものです。そのため、広島県会員の履歴を具体的に洗っています。では、なぜこのような研究をやるのか。
 理由その1、「教育会会員には教員が多かった」と漠然と当然のようにいわれている常識を、数字化してみたかったため。地味な結果がでそうですが、どのような学校段階・地位にある教員が、どれくらいいたのか明確なデータを出せると思います。ただ、不明者が多いのが難点…
 理由その2、大日本教育会・帝国教育会を支えていた人たちはどのような人だったのか、ということを明確にするため。私の専門はこの両団体における研究活動に関する研究ですので、誰に向かって研究活動が展開されていたのか気になるところです。また、会員には両団体の機関誌が毎月配布されました。彼らは、両団体の機関誌に掲載された知識を共有していたのです(もちろん個人差はあるでしょうが)。本研究は、当時の日本における教育情報の普及状態を明らかにするために、不可欠な基礎的研究としても位置づくのではないかと思います。
 本当は全国の会員の履歴を洗うことができれば最高なのですが、当然とんでもなく時間と手間がかかるので、広島県を事例に検討することにしました。今は、二次資料(学校史・府県市郡史・教育会雑誌)を中心に使って調査しています。ほんとは学校を実際に訪ねてフィールド調査をするのが当然なのですが、私の所属する広島大学日本東洋教育史研究室には、学校史資料が少なからずあるのでまずはそれから。これだけでも、相当時間がかかるのです。あと、今、手を広げすぎるといろんな意味でヤバイことになる、という本音の理由もあり。
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