教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

論文「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ」

2017年10月13日 20時35分22秒 | 日本教育学史
 ご無沙汰しております。先週は、土曜に岡山大学で開かれた教育史学会に出席した後、日帰りで広島に戻って日・月曜に大学祭・保護者懇談会、さらに一週間の業務をこなしました。やっと明日から休日がとれます。
 さて、遅くなりましたが、研究業績を一つご報告します。先日、教育史学会の紀要に拙稿が掲載されました。この件で先日の学会で声をかけてくださった方々、ありがとうございました。今回は論文構成だけでも紹介しておきます。

 白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会編『日本の教育史学』第60集、2017年、19~31頁。

  はじめに
 1.大瀬教育学における教師の教育研究
  (1)大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論の変遷
  (2)モイマン実験教育学説の紹介
  (3)教師の教育研究に対する注目
 2.教育学術研究会の活動
  (1)高師・帝大・私立学校関係の教育学者の組織化
  (2)教育学術研究会の教育学術研究―高師存続とヘルバルト派への挑戦
  (3)教師に対する教育研究の奨励
  おわりに

 以上です。概要は、「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」に少し書いたのでご参照ください。
 『日本の教育史学』には初掲載です。院生の頃から投稿し続けて十数年かかりました。
 とりいそぎご報告まで。
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